2020-07-04:抜歯

親知らずを抜いた。

 

朝七時五十分に起きて、歯を磨く。一時間と少し経ったら、他人に口の中を見せないといけないので念入りに。

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先日、たぶん十年ぶりくらいに歯医者に行った。左上の親知らずが鈍痛を訴え始めたからだ。

「かなりひどい虫歯になってますね、抜くしかないです」

歯科医に告げられて、そりゃそうだろうな、と思う僕。

「次回、抜きましょう」

帰り際に、次回の予約をして、渡された診察記録を見ると虫歯が九本あって、そりゃそうだろうな、と思う僕。

 

 

一年ほど前、家族で盆の墓参りに行った後、帰り道の肉料理店でローストビーフ丼を食べている時に、突然、ガリッと石を噛んだような感触と音が口の中に響いた。口の中から、その不快な感触と音の犯人である小さな欠片を探し出して、吐き出す。小さくて黒い、貝殻の破片のような、それを見て、あ、これは、と気付く。舌先で親知らずをなぞってみると、やはり、少しザラついた感触が舌先に返ってくる。人差し指を口に入れ、問題の場所に触れる。歯の表面と思えないほどにザラついて所々尖っている。少し力を入れて擦ると、小さな欠片がまた、ぽろり、と指先に付着した。

これはマズい、と思ったのもその日の内だけで、痛みも無く、生活に支障が出るわけでもなかったので、そのうち歯医者に行こうかな、と思いながらもなかなか気が乗らずに放置していたら一年近く経ってしまった。

 

僕は歯医者に行くのに抵抗がある。

機械の音が苦手だとか、痛いのが嫌だとか、そういうわけではなくて、少し前まで舌の裏筋にピアスを開けていたからだ。

タンウェブのピアスを付けたまま歯医者に行って良いものか、それとも外してから行かないといけないのか、まずそこが分からなかったし、タンウェブという部位はピアスが外し辛く付け辛い部位でもあるため億劫だったのである。

そして、もう一つ、僕は舌先を小さく割っている。これは特に治療に関しての支障はないのだろうけれど、単純に仕事柄あまり人に見られたくないという自己防衛のために、あまり歯医者に行きたくなかったのだ。保険証にバッチリ勤務先が記載されているので。

ピアスは手入れが面倒になって塞いでしまった。ピアスの穴はすぐに塞がる。もう穴が空いていた名残しか残っていないし、それも言わなければ分からないほどの些細な違和感程度のものだ。割った舌先は再生しない。一度、割ってしまえば、一生割れたままだ。割ったことに後悔はしていないのだけれど、こういう時に少し困る。

しかし、そうは言っていられない程の鈍痛が梅雨に入った頃から親知らずを襲い始めた。それくらいでは僕は歯医者に行かない。億劫なので。最初は気圧のせいかと思っていたし、二、三日で痛みが引くだろうと楽観的に捉えていた。

実際、気圧の低い時や疲れている時に親知らずが痛むことはよくあって、そういう時は大抵、数日で痛みは治まる。しかし、酷い痛みが一週間以上続いて治まる気配もなかったので、ついに観念して泣く泣く歯医者を訪問したわけである。

 

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午前九時の予約で、歯医者に着いたのは八時五十五分頃だった。開院が九時なので、一番乗りかと思ったら、既におばさんがひとり治療を受けていた。開院前なのに対応してくれるのか、と感心していると名前を呼ばれる。

 

抜歯の前に「歯のお掃除」をしてもらう。前回受診時に教わった歯の磨き方を実践している旨を伝えると、褒めてもらえた。

親知らずの抜歯は手術として扱われるようで、承諾書にサインをして渡す。文字を書く度に、自分の字の汚さに辟易とする。けれど、綺麗に書く努力はしないので自分が悪い。

 

 

「これ、いけるかなぁ、、、」

「なるほど、ここで砕けるか、、、」

「掴めるかなぁ、これ、、、」

「お、ここで(根が)三本かぁ、、、」

等々の不安になる呟きを残しつつ歯科医が僕の親知らずをいじくり回す。十分ほどいじくられ、

「はい、お口ゆすいでくださいー」

という言葉をかけられて親知らずが抜けたことを理解する。全然痛くないので抜けた瞬間も分からなかった。もっと痛いものかと思っていたけれど、ほぼ無痛だった。麻酔の注射を歯茎に刺す時にほんの少しだけチクリとしただけで、あとは無だった。無。

 

抜いた後の親知らずを見せてもらった。

なんだかゴツゴツと強そうな形をしていて、

「なかなか複雑な形で手強かったです」

と歯科医に褒められ(褒められてない)、少し誇らしい気分になった。

 

麻酔が切れた後の痛みを覚悟していたけれど、それも皆無だった。親知らずってこんなに呆気なく抜けるものなのか。

 

 

健康のために身体の一部を排除する。変な話だ。

身体は物体で、僕の容れ物で、壊れたところを修理しなければ、きっと僕のいろんな部分が零れ落ちてしまうのだろう。だから、穴を開けたり塞いだり、排除したり付け足したりして、修理を繰り返すことで容れ物としての役割を維持しなければいけないのだ。僕は痛んだ身体の一部を排除して、僕が僕としてあり続けるための、少しだけ快適な生活を手に入れる。

僕の身体の一部だった変な形をした物体。お前から恩恵を受けたことは一回もないけれど、今まで、ありがとう。さようなら。

 

 

「血流が良くなると出血してしまうかもしれないので、今日はお酒を飲まないでください」

と受付のお姉さんに言われたので今日は禁酒しなければいけない。

土曜日に酒が飲めない、それが一番辛い。

 

 

 

 

憂き世話

 

「人生は単なる付属品だ」

 

とあなたは言った。

 

「生まれたというその事実だけが、僕たちが生きている唯一の理由で、人生がああだこうだなんて後付けの娯楽みたいなもんなんだよ」

 

あなたの人生の一部にでもこうやって私が存在している。それも、あなたにとっては後付けの娯楽みたいなものかもしれない、と私は思う。

 

「ねぇ、いま、楽しい?」

 

私が問うと、あなたはちらりと私の顔を見る。宝石のような眼球の、その茶色い瞳のその内側に私の姿形が投影されて、視神経を伝った私の像が、あなたの脳内に映り込む。それは、虚像ではないのか、不安になる。私の姿形が、あなたの中にどのように映っているのか、私には一生わからない。

 

「楽しいよ」

 

あなたが言う。

あなたの付属品に付属する私。あなたにとっての後付けの娯楽に、すがりつく私。私はあなたの一部になりたいのだ、と、思った。思っただけで、私はあなたの一部ではないし、あなたは私の一部ではないし、なり得ない。

 

私の人生の一部にあなたがこうやって存在している。それは後付けの娯楽で、私たちは、ただ、生まれただけで、死んでいくだけで、だから、私は私の中に映るあなたのその輪郭が、たとえ虚像だったとしても、

 

「うん、楽しいね」

 

そう言って笑うことができるのだろう。

 

2020/06/15

久しぶりに日記を書く。

「日記ってのは毎日書くから日記なんだ」と、小学四年生の時の担任が言っていた。体育の時間に、鍛え上げた筋肉を見せつけるために服を捲ってキャーキャー言われてたあの先生(キャーキャーはもちろん黄色い声なんかではなくて、ただの悲鳴)。

僕は毎日日記を書くということができない。不定期にしか書けない。思いついた時に思いついたように書く、そういう書き方でしか文章を書けない。

僕は、たまに物語を書くけれど、ああいうのも本当に無の状態から書き始めて、流れゆくままに終わる。プロットとか絶対に作れないし、作ったとしても途中で「あ、やっぱりこうしたい!」と思ったらそうしてしまうので、計画的に文章を組み立てるという行為をちゃんと行える人を尊敬する。一度だけ、原稿用紙100枚分くらいの文章を書いたことがある。その時も最後まで終わらせ方を決められず、物語が流れるまま書き終わって、自分でも、あぁこう終わるのかぁ、と他人事のように思ったのだった。

 

僕にとって、書くという行為は読むという行為に似ている。

自分の頭から生まれたはずの物語が、いったいどう転がっていくのか、書き終わるまで自分でも分からない。だから、それは物語を読んでいるのと、感覚的にさほど変わらない。違いは、他人の脳みそで生まれたものか、自分の脳みそで生まれたものか、というくらいだ。新しく出会った小説を読むように、書く。僕は、僕が書く物語の最初の読者になるのが楽しくて、物語を書いている節がある。

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最近、新しく覚えたCBDというものがある。簡単に言えば合法大麻

大麻、なんて言うと身構える人も多いと思う。しかし、CBDってのは、大麻の成分の内のひとつで、幻覚作用とかを起こすような違法成分とは別物なので、安心してほしい。安心してください。

CBDにはリラックス作用があるらしく、吸ったら眠くなるとか、ぼーっとするとか、そういう感じになるっていうのを見て「いいじゃん」と思って買ってみて吸ってみたのだけど、全然眠くもならないしぼーっともしない。吸い方が悪いのかもしれない。

でも、僕は頻脈の動悸持ちで、日々のストレスにドキドキドキドキ心臓を酷使していたのだけれど、それが最近なくなったので、何かしらのリラックス効果はあるのかもしれないな、と思っている。ストレス社会に生きているあなたにオススメ。少し値段が高いけど、まぁ、ドキドキドキドキし続ける生活から脱出できるなら、まぁ、ってくらいの値段です。気になった方は調べてみてください。楽天とかで買えます。

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日記と言いながら、今日の出来事を全く書いていない。

雨が降り出した。私は室内にいる。だから濡れない。当然のことだが、その当然が当然であることが、なんとなく恐ろしく感じられる瞬間がある。

狭い部屋のベッドの上で、ひとりでいるのに服を着ていることを、ふと不思議に思う。着飾る必要もないし、寒いわけでもない。何の必要があって服を着ているのか、分からないけれど、私は毎日服を着替える。部屋から出なくても、人に会わなくても、毎日、毎日。

それでも、一日に一度は必ず全裸になる。身体を洗うためである。誰しもが、一日に一度は全裸になる。そして、私は、着ているスウェットを脱いでみることにする。これから風呂に入るわけではないが、だからこそ、脱いでみることに意味がある。いや、意味なんてない。でも、脱ぐ。全てのことには本質的に意味なんてものは付随していないのだから。

まずは上から。少しだけ謎の背徳感。誰に見られているわけでもないのに、裸になるということは緊張を伴う。下も脱ぐ。当然、下着も脱ぐ。少し躊躇うが、しかし、脱がなければいけない。なぜなら、もう上半身は裸だからだ。意を決して、パンツを一気に下ろす。ついに全裸だ。紛う事なき、全裸。私は今、特別な理由もなく全裸になっている。そもそも、全裸になることに理由がいるのだろうか。いらない。全裸になりたい時に全裸になれば良い。しかし、公共の場所では全裸になってはいけない。法律でそう決まっている。法律は守らなければいけない。私は、法律を守りながら全裸になっている。言い換えれば、全裸で法律を守っている。

インターホンが鳴る。きっと、宅配のお兄さんが数日前に注文していた、好きなブランドのネットショップ限定Tシャツを届けに着たのだろう。さっきまで着ていたスウェットの上下を手に取って、全裸のまま玄関へ向かう。扉の前までたどり着く。さて、もしも、このまま全裸で玄関の扉を開ければ、その瞬間、私は、全裸で法律を守っている人だったのに、全裸で法律を破る人になってしまう。全裸で法律を破るなんていうのは、この世で最も避けたい法律の破り方である。人を殺す方がマシかもしれない。世の中は、そういう危ういバランスで成り立っている。そして、私は、スウェットを着る。ドアを開けて、荷物を受け取る。

受け取りのサインを書き終えて、ボールペンをお兄さんに返す。

「ありがとうございます!」

お兄さんが元気良く言う。その肩が少し濡れている。そういえば、雨が降っているのだった。

「天気悪いのに、こちらこそ、いつもありがとうございます」

立ち去ろうとするお兄さんの背中に声を掛けると、お兄さんは振り向いて、

「ありがとうございます!」

と、また元気良く笑った。

笑顔の素敵なお兄さん。お兄さんの背中を見送りながら、ゆっくりドアを閉める。雨に濡れながら働くお兄さんが、早く家に帰ってあったかいお風呂に浸かれますように。お兄さんの担当の再配達が少ない日でありますように。そんなことを願いながら、私は、ノーパンだった。

 

 

憂き世話

普段は家にこもっていたいと思っているくせに、いざ「外に出るな」と言われると、なぜだか無性に外に出たくなるのは、私だけではないはずだ。人間は誰しも心の中に天邪鬼を飼っている。心の中の天邪鬼たちも、政府からの自粛要請を受けて、天邪鬼だから、外へ出たがっているのだろう。

 

 

レースカーテン越しの春の陽射しが、フローリングに暖かな模様を描いている昼さがり。普段より時間をかけて淹れたコーヒーを、地元の窯元で買った少し良いマグカップで飲む。私は熱い液体を飲むのが昔から苦手で、一口目を口に入れるその三回に一回は舌先を火傷する。今回は火傷しなかった。よし、順調。

さて、家から出ることができないとなると、油断をすれば、スマートフォンの画面を睨み続けてしまう生活になりかねない。家から出ることなく如何に充実した一日を過ごせるか、それを思案することが自粛中の自分にできる唯一の楽しみである。

 

 

今日は本を読むことにする。

買ったまま読まずに積み上がった本の山が本棚とスチールラックとの間の四〇センチほどの隙間に、どっしり構えている。本棚はとっくにキャパオーバー、それなのについつい増やしてしまう本たちが群れている幸せな山。本当は、新しい本棚が欲しいけれど、本棚を買うならそのお金で本を買いたい。それに本棚を新しく置くスペースもない。私は、直木賞よりも芥川賞が好きで(理由は自分でもよくわからない)、歴代受賞作を買い漁るのが趣味なのだけれど、読むスピードがかなり遅く、また、所謂「ゾーン」に入らないと読み進めることができず、大抵は読み始めても「ゾーン」に入れず数ページで本を閉じてしまうという、めっぽう読書に向かない性格の持ち主なので、歴代受賞作が続々と買い揃えられつつあるものの、未だに読んだ作品よりも読んでいない作品のほうが多い。つまり、そういうわけで、さっき「買い漁る」のが趣味と言ったのだ。

山の中腹、富士山でいうと七合目あたりに、川上弘美の「蛇を踏む」の文庫の背表紙が見える。私はこの作品が好きで、何度も読んだ。何度も読んだけれど、何度読んでもさっぱり分からない。そのさっぱり分からなさがなんとも気持ちよくて、何度も何度も読み返しては、毎度唸っている。川上弘美は自分の書く物語を、うそばなし、と呼んでいる。「うそ」の国は、「ほんと」の国のすぐそばにある、とも言っている。「蛇を踏む」には「消える」と「惜夜記」という作品が併録されていて、「惜夜記」は、夏目漱石の「夢十夜」の影響をもろに感じる構成で書かれている。掌編の集合体としての短編、というか。

七合目から「蛇を踏む」を抜き出す。そこに「蛇を踏む」分の隙間が生まれる。私は無造作に本を重ねているわけではない。ちゃんと、崩れないように、本の抜き差しをやり易いように、考えて重ねているので、一冊抜き出したくらいでは、この山はビクともしない。危なっかしい子供の頃によく遊んだジェンガとは違って、しっかりしたバランスで、この山は立っている。

ページを捲って、数行読んだところで、今日は「ゾーン」に入れそうだと気付く。そして、突入する。

「蛇を踏む」のあとがきに、

「ここに収められた三篇の「うそばなし」は、1995年の後半から1996年の前半にかけて書いたものです。」

という記述がある。大好きな作品が、自分が生まれたのと同じ頃に生まれたのだという事実があるだけで、こんな世界でも悪いことや悲しいことばかりではないのだ、と安心できる。

「蛇を踏む」を、本の山に空いた一センチにも満たない隙間へ戻す。オレンジ色の背表紙が、隙間を埋める。

 

 

数時間ぶりにスマートフォンのロックを解除して、SNSアプリを開く。画面の中を流れる言葉の川。そのひとつひとつに大小様々な想いが込められていることを考える。言葉を発するのは人間だ。言葉は自然発生しない。三密を避けなければいけない状況で外を出歩けない分、SNSに費やす時間が増えたことによって、画面の中、人々の思考は普段の数倍の密度で絡み合っている。濃厚接触だ。

とはいえ、文字だけでは実感が湧かないのも当然で、目に入る文字の羅列から、それを組み立てた人の顔だったり身体つきを想像することはできても、やっぱりそれは想像でしかなくて、その人のことなんてさっぱり分からないので、自分が向き合っているのは四角い電子機器でしかないように感じてしまう。実体のない沢山の誰かは、果たして本当にこの日本の何処かに存在しているのだろうか。でも、この画面の向こうの誰かにとっては、自分も沢山の誰かの中のひとりで、私はたしかにここに存在していて、だから、たぶん、私にとっての沢山の誰かは、ちゃんとそれぞれ、そこに、たしかに存在しているのだろう。

それに、いま、世界と繋がる術は、この小さな長方形の端末にしか見出すこともできない。小さな部屋で、私はひとりだけれど、ひとりではない。

でも、スマートフォンの画面を一日睨み続けるのは嫌だ。なぜって、肩がこるから。首の骨が歪んじゃうから。

 

 

夕方は、一日の中で最も好きな時間だ。夕方の光は優しい。その光の傾き方、それに照らされるビルや街路樹の影、世界が最も美しく見えるのは、夕方。異論は認めない。こんなに晴れているのだから、散歩に行きたい。でも、行けない。いや、行こうと思えば、行ける。要請なんだから、強制じゃないんだから。私の天邪鬼も外へ出たがっている。いや、ダメだ。私はこれから映画を観る。冷蔵庫にはお酒も買ってある。自粛要請を受けて、アマゾンプライムにせっかく加入したんだから。私は善良な国民でありたい、わけじゃないけど、例えば友達や家族、同僚、近所のおじいちゃんやおばあちゃん、アパートの廊下でよくすれ違う家族、そういう私の日々にとってかけがえのない人々に対して、善良でありたい。

冷蔵庫から、缶ビールを一本取り出して、プルタブを引く。ぷしゅっ、と長い夜が始まる音がした。

2020/2/11:退屈な祝日

ひとり、どんよりとした気分で終えるこの一日が、自分の今後の人生にとって善にも悪にも働かない、きっと、数ヶ月もすれば記憶の端にも登らない、思い出そうとしても思い出せない類の一日になってしまうのだという予感が、布団に潜ることを躊躇わせる。

 

ふと思い出すのは、喜怒哀楽の付随した「あの日」ばかりで、人間の脳味噌というものは、感情で上塗りした時間しか記憶に残せないのではないか、と思う。例えば、フードコートで食べたもの、買い物に行った時に着ていた服の色、公園で捕まえたトノサマバッタは何匹だったか等、平凡な日常のあれこれを思い出すことは困難だ。あの子の髪の匂い、祖父が死んでいく病室での啜り泣く声、幼馴染と作った首の無い雪の怪獣。鮮明に思い出せるのは、色々な感情の渦の中を流され泳いでいた瞬間、そういう記憶ばかりだ。

特別な日が毎日続けば良い、というわけではない。不特定だからこその特別なのだから。毎日が特別になってしまうと「今日は特別、特別な日ではなかったなぁ」という事態にもなりかねない。特別の中にも段階が構築されてしまうだろう。つまり、特別が特別ではなくなってしまう。人間は欲望の塊なので、特別が毎日続くと特別を特別と思わなくなって、特別よりも特別な特別を希求し始めるに決まっている。そんなのは、虚しい。

特別じゃない日も、自分を構成する一部になっていくのだろうか。それとも、ただ単に通り過ぎる一点でしかないのだろうか。でも、こういう一日があるからこそ、特別な日を特別に感じることができるのだと考えると、少しだけ、安心することができる。

 

間違ったことも間違っていないことも全部を抱えた状態が今の自分である。そして、この先に増えていく間違いや正解に耐え切れるだけの精神が必要なのだろう。死ぬまで更新される幸福や絶望を内包できる容れ物で居なければならない。自分の人生の大きさは、自分で量るしかないのだから、量り方を間違えないように。

 

記憶は過去だ。でも、さっき言ったように、思い出せることは「特別な」ある日のことばかりだ。これまでの人生、特別じゃなかった日の方が多いのではないか。自分の人生において、その全体像を正確に把握できている人間なんて、きっと存在しないだろう。平凡なある日。思い出すことのないある日。その積み重ねの中に、幸せだったり悲しみだったり、様々な感情が色を付けていって、そして人はそれを人生と呼ぶ。

 

生きていくということは、絵を描くようなもので、物語を綴るようなもので、色を付けて、脚色を加えて、あぁこれは素晴らしい、面白い、と思えるように足掻く作業と、それを俯瞰してここはこうした方が良いとか、なんでこうなってしまったんだ、でもここは感動したぞ、と、観る作業が並列的に連続している状態であるといえる。人間は複雑だ。

 

布団に潜り込む。目を閉じて、意識を飛ばせば、次に目を開く時には朝になっている。そうしてダラダラと日々は続く。いつまでも続くようで、いつかは終わると言う。特別が特別なままで、いつまでも続けば良いのにな、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/2/3:雑文

令和2年の2月。もう年が明けてから1ヶ月経った。この1ヶ月、何もしていない。何もしていないのに1ヶ月が経っていて超怖い。とか言ってるうちにまた1年終わるんだろうな。

 

2年も経てば、仕事にも慣れて余裕が出てきて仕事終わりに友達とかとご飯食べて遅くまで話し込んで次の日も仕事だけどそんなことどうでもよくてあと10分が20分になって遅くなっちゃったなーとか言って帰って寝て早起きして出社、みたいなこともできるようになるんだろうなーとか思ってたけど、まったくそんなことはなく、仕事終わりは、疲れ切って一目散に帰宅して酒飲みたいという欲望しか見出せない。

 

何かを成し遂げた実感も充実感もなく、合わせ鏡みたいな日々が続いていって、気付けば弛んだ枝みたいな見た目になっている。そんな未来が、わりとすぐそこに存在することを悟って、震えてしまう。

 

選択を誤り続けて(正しい選択なんてのは幻想なんだけど、自分の実感としての話)、後悔が積もるだけの人生を、如何に喜劇に見せかけるか(自分に)がこれから生きていく上での命題だと思っている。

 

そういう意味で、人々は日々には変化が必要だと言うわけです、たぶん。変化のない惰性の日々は、喜劇でないのはもちろん、悲劇ですらない。人間は自分の生きる日々を物語だと思い込みたがる。なので、必死に理想の物語を思い描いて、理想に近づくための選択肢なんてものがあると錯覚して、勝手に良い選択だった悪い選択だったと自己判断しては喜んだり悲しんだりしている。本来、人生なんてのは虚無で何もない。何もないからこそ、真っ白いキャンバスよろしく何かを描こうとする。

 

つまり、人々の生きる本質は物語とも言える。人は自分を物語として完成させることを目的に、人を愛すし、産むし、殺すし、死んでいく。

 

そんなことを考えていると、物語って人が生み出したものではなくて、物語が人を生み出したのかなぁ、とも思う。

 

ここからの人生、どうなっていくのか、わりとどうでもいいけど、欲を言えば、誰かの物語に組み込まれて死んでいきたいというエゴに殺されたい。

 

 

憂き世話

 

「こんばんは、起きてる?」

 僕たちの会話は、毎回、その言葉から始まる。それは電話だったり、SNSのメッセージ機能だったり、玄関先でだったり、状況は違えど、いつだってそうだった。アシちゃんの家だったり、駅前だったり、適当な場所で落ち合って、ふたりで酒を飲む。アシちゃんは、僕に会った時点で必ず酔っ払っていた。

「アルコールはね、正義なんだよ。人間の本質はいつだって隠されていて、その本質ってのは、まあ、隠されてるくらいだから善か悪かって言ったら大抵は悪の方で、アルコールはそれを暴いてくれるんだよ」

 アシちゃんは言った。ちなみに今だから言えるけれど、アシちゃんがいつも夜になると酔っ払っているのは、二十歳になる前からのことだった。

 ふたりで飲みに行って、次の店を探して飲み屋街を歩いている時、路上で、どう見ても既婚者であろう左手の薬指に指輪をつけた中年男と、どう見ても大学生であろう耳たぶに猫の形のダサいピアスを付けた金髪の若い女が抱き合って深めのキスをしていたことがあって、横を通り過ぎながら「本質、出ちゃってるねぇ」なんてアシちゃんが言うから、僕は声を出して笑ってしまった。ぎょっとした顔でこちらを振り向いた男と女の唇はヨダレの糸で結ばれていて、汚くて、下品だった。糸はすぐに重力に負けて、一滴の雫になって、吐瀉物や煙草の吸い殻まみれの地面へ吸い込まれるように垂れ落ちていった。少し歩いてから、その話をアシちゃんにすると「あれは、あいつらにとっての運命の赤い糸みたいなもんだね」なんて言うから、僕はまた声を出して笑った。「どっちかに口内炎ができてて、ヨダレに血が混ざってたら、完璧だねぇ」と、アシちゃんがほくそ笑む。僕は「汚ねえ赤い糸だな」と笑いながら側溝に唾を吐いた。

 居酒屋を三軒ハシゴした後、アシちゃんの部屋へ向かう。アシちゃんは駅から徒歩十三分の安いアパートで一人暮らしをしている。僕は実家に暮らしている。僕の家とアシちゃんの実家との間には歩いて数分の距離しかない。僕の家からアシちゃんのアパートまでも、歩いて十数分ほどの距離しかない。それなのに、アシちゃんがわざわざ一人暮らしをしているのは、親と仲が悪いから、ではなくて、ただ単に一人暮らしがしてみたかったから、という理由かららしい。アシちゃんは大学に行っていない。高校を出てから、建築会社の事務職に就職したが、数ヶ月で退職した。今はフリーターで、バイトをして家賃と生活費を稼いでいる。一方、大学生の僕は、実家暮らしなので食費はかからないし、学費も親に払ってもらっていて、週に三日ほどのシフトを組んで駅前の居酒屋で稼いでいるバイト代は自分の遊びのために使う、という甘ったれた生活をしている。

     アシちゃんと飲みに出ると、数回に一回は、アシちゃんの部屋で飲み直す。帰り道のコンビニで、ビールとストロングゼロを二本ずつと、ちょっとしたスナック菓子をカゴに入れていると、アシちゃんが何かを持って歩いてくる。

イカそうめん、臭くて美味い。最近ハマってんだよね」

「嗜好がおっさんみたいだな」

「うるさいな、汚いおっさんも綺麗なお姉さんも、表皮を剥がしたら人型の肉の塊でしかないのよ」

    イカそうめんの袋がカゴに投げ入れられて、かさり、と乾いた音を鳴らす。

 レジでジャージ姿の中年男性が煙草を買っている後ろ姿を眺めながら、財布から千円札を取り出していると、横からアシちゃんが五百円玉を渡してくる。それを受け取って会計を済ませている間に、アシちゃんは外に出て、先程までレジにいたジャージ姿の中年男性と並んで煙草をふかしている。店員の「ありがとうございました」を後ろに聞きながら自動ドアを抜けて、お釣りをアシちゃんへ渡す。

 アシちゃんも僕も、酒を飲むと眠くなるタイプで、ふたりで酒を飲んでは、どちらかが眠り、起きている方が眠ってしまった方を起こして、しばらくしてまたどちらかが眠り、笑いながら起こして、そうしていつのまにかふたりとも眠ってしまうのだった。

 セックスをするのは、飲んで帰った夜ではなくて、次の日の朝、もしくは昼頃に目が覚めてからが多かった。アシちゃんが「セックスは起き抜けにする方が気持ちいい」と主張するからそうなったのだけれど、それに関しては僕も同意見だ。起き抜けのセックスは、思考回路が覚醒しないまま、性欲だけが色濃く、肌の感触や体温、まだ歯を磨いてない口内のざらざらした不快感、ぬるい体液が混ざり合う音、全てが生々しく感じられて、たまらなく気持ちが良い。

 

 僕たちは付き合っていたわけではない。でも、友達というには近すぎる関係だった。僕がアシちゃんのことを「アシちゃん」と呼ぶのは、彼女と出会った頃に、彼女の名字である「足立」をどう読むのか分からなくて、かろうじて「足」という漢字を「アシ」と読むことができたからだ。幼馴染の場合、普通だったら下の名前で呼ぶことが多いのだろうけれど、僕はアシちゃんのことをなぜだか名字で呼んでいる。幼少期の僕は、漢字を読めるのが格好良いと思っていたのかもしれない。そして、アシちゃんの名前の中で唯一読めた「足」という字で、彼女を呼ぶようになったのだろう。とにかく僕たちは、幼馴染だからずっと一緒に遊んでいた。一緒に虫を捕まえたり、雪だるまを作ったり、漫画を貸し借りしたりしていたその延長が、酒になり、セックスになっただけのことなのだと思う。

    アシちゃんの話を、大学の友人にすると、

「それってセフレじゃん」

と言われるが、なんだかしっくりこない。そうやってカテゴライズされるようなくだらない関係なんかじゃなくて、僕とアシちゃんは「僕とアシちゃん」でしかない。カテゴライズされるようなくだらない関係なんかより、もっとくだらない関係だから、カテゴライズすらできないのかもしれない。他人から見ればセフレに見えても、僕とアシちゃんとはセフレではない。恋人同士でもない。強いて言えば、幼馴染。正しくは、僕とアシちゃん。関係に名前を付けるなんてのはただのエゴでしかないと思う。いつも通る道で、いつも見ている街並のはずなのに、ある日突然、理由もなく、どうしようもなく美しく感じてしまう瞬間があるような、そういう言葉では説明できない感覚があるように、どうにも説明できない関係があることはおかしなことではないだろう。

    アシちゃんが「今日はバイト休みなんだぁ」と、冷蔵庫から缶チューハイを取り出して、プルタブを引く。下着も付けずにオーバーサイズのTシャツを着て、朝から酒を煽るアシちゃん。僕は、ベッドの上で足元に脱ぎ捨ててあった下着を履きながら、缶を傾けるアシちゃんを眺めている。

「あ、そうだ」

アシちゃんが、机の上に置いてあったレジ袋の中から何やら取り出す。

「これ、フエラムネ、ふと見かけてさ、懐かしくて買っちゃったんだよね」

    幼い頃、両親は毎週三百円の「おやつ代」をくれた。おやつ代を貰うと、ふたりで一週間分のお菓子を買いに近所のスーパーマーケットに向かった。ひもQ、蒲焼きさん太郎、チョコボール、ココアシガレット、色々な種類のお菓子が並ぶ棚の前でふたりは目を輝かせる。アシちゃんも毎週百円持ってきてくれたので、ふたり合わせて四百円以内に収まるように、あれこれ悩みながら選ぶのが楽しかった。フエラムネは毎回買った。付属のおもちゃをアシちゃんが欲しがるので、自分がどうしても欲しいもの以外はアシちゃんにあげて、その代わり、八個入りのラムネの内の五個を僕が食べていた。

「おもちゃ、開けてみてよ」

アシちゃんが、僕に小さな箱を投げて渡す。小さな箱の中でおもちゃがカラカラ音を立てた。箱を開けると、プラスチック製の鼻が異様に長く尖った謎の動物が入っていた。

「ヤバい動物が入ってたわ」

ベッドから降りて、手のひらに乗せた謎の動物をアシちゃんに見せる。謎の動物を受け取ったアシちゃんは「うわ、なんかキモいね」と笑う。箱を開けて中身を確認して渡す。この作業を幼い頃には毎週行っていた。おもちゃを受け取ったアシちゃんは、それがどんなものであっても、大袈裟なくらいに喜んでくれた。卒業したり、大学生になったり、バイトを始めたり、就職したり、ふたりの状況はそれぞれ少しずつ変化してきた。いつからか昼間ではなくて、夜に会うようになった。朝まで一緒にいるようになった。それでも、目の前で笑うアシちゃんの右頬の笑窪は、幼い頃から何ひとつ変わらない。アシちゃんが、謎の動物を右手の指先で転がして眺めながら、酒臭い息を吹いて、懐かしい音を鳴らす。

 

 

 

憂き世話

  中国地方の小さな地方都市、都市だなんて呼んでしまうのも恥ずかしいくらいのここにある国立大学には、受験に失敗してランクを下げて行き場もなくて仕方なくここを選んだという学生ばかりが多く通う。なんでこの大学を選んだの? と訊くと大抵、苦笑いを浮かべて「聞かなくてもわかるだろうに」という目でこちらを見つめる。

 自分は何故この大学を選んだのか。純粋に、地元の大学であったからだ。やりたいこともないし、わざわざ遠くの大学に行く意味も見出せなかった。高校三年生の頃、クラスメートたちが続々と進路を決めていく中、自分だけが最後まで進路を確定せずにだらだらと受験勉強をこなすだけの日々を送っていた。

 

「やりたいことがなかなか見つからないんですよねえ」

 

 担任との面談の際に言ったことがある。担任の眼鏡が少しだけ左に傾いていたのを覚えている。レンズ越しの目は机の上の資料に向けられたままだった。

 

「やりたいことなんて、大学に入ったら勝手に見つかるから、とりあえず少しでも興味のあることを学べそうなところを探してみなよ。大学にはいろんな人がいて刺激にもなるし、サークルに入ったり、バイトしたり、そういう経験の中でいろんなことを学んで自分の生き方を考えてみるのがいいと思う。今は、難しく考えすぎない方が良い」

 

「そんなもんですかねえ」

 

 担任は自分のことしか考えていないのだろうな、と思った。自分のクラスの進学率を上げたいから、そして少しでも自分の評価を上げたいから、この自分がかけている眼鏡の傾きにも気づかない男は自分の将来ばかりに目を向けていて、ちっとも私の目を見ようともしないのだ。

 

「先生は、どういう基準で大学を選んだの?」

 

 もし、この教師が自分と同じように何の目的も期待もなく大学に進学をしたというのなら話を聞いてやっても良いな、と思い訊ねる。

 

「俺は教師になりたかったから、教員免許を取れる大学を探したんだよ。まあ、どこに行っても大抵の大学は教員免許くらい取れるんだけど。あとは、歴史が好きだったから、そういうことを学べる大学を選んだってのもあるかな。でも、その他のことはあまり考えてなかったなあ。」

 

 なんだ、やっぱりやりたいことがあって大学に入っためでたいタイプの人間じゃないか。尻が痛んできたので、座り直すと椅子が軋んで嫌な音を立てた。

 

「じゃあ、先生は教師になりたいという信念を持って大学生活を過ごして、実際に教師になって、素晴らしい生き方をしてきたんだね。すごいね」

 

「べつに素晴らしくはないだろ」

 

「いや、素晴らしいと思うよ」

 

 生徒に褒められて嬉しいのか担任の口角が少し上がった。つまらない。こんな男でも夢を持ってまっとうに生きてきたのだ。自分は何をしているのだろうか。

 

 大学に入学すると、思っていた通り「大学生マジ最高じゃん」と顔に書いてあるような人間ばかりが教室や廊下、食堂などに蛆のように湧いて蠢いていて、もとから少ししか持ち合わせていなかった希望も粉々に砕け散って蛆に食われていった。

 最初に私に話しかけてきたのは、肩くらいまでの髪の毛を金に近い茶色に染めた好美という女だった。右の耳たぶに大きめの黒子のようにくっついたピアスは開けたばかりなのだろう、穴の周りが赤くなっていて、体液が乾いて黄色く粉を吹いていた。

 

「あなたどこ出身? あたしは岡山から来たんだー。この辺りって店も少ないし遊ぶとこないよね。四年間やっていけるかなあ」

 

「私、ここ地元なんで」

 

 簡潔に答えると、好美は「え、地元なんだ、すごいね」とよく分からないことを言った。何もすごくない。黙っていてほしい。

憂き世話

「そう、あの時から僕の性格はこんなに卑屈でどうしようもない匂いを漂わせ始めたんだと思います。どこか一点が腐り始めてしまった果物、そうだな、蜜柑とか梨とかそういうものを思い浮かべていただければ分かりやすいかもしれません。それまでは綺麗な色や形をしていたはずなのに、気づいたときには腐敗が進行していたらしく、いつのまにか目に見えて腐り始めた一点から腐敗が徐々に全体へと広がっていきますよね。そういった感じで、僕はあの日、腐り始めて、ついには点が点ではなくなって僕を覆い尽くしてしまったんです。」

 

 目の前の二十代前半くらいに見える男は感情の無い目をこちらへ向けた。人間なので感情がないわけはないのだが、感情を読み取ろうと見つめ返しても、そこに映るのは瞳のカーブに沿うように引き伸ばされて歪んだ自分の顔くらいで、男がそこで何を感じて息をしているのか全く分からない。ここに座っている自分の姿が男の瞳に映るままの歪んだ姿をしているような気がしてくる。首元に青黒い蛇が巻き付いていると錯覚しそうなほどに重苦しく淀んだ室内の空気。それを入れ替えるためだろう、男が立ち上がり、からから、と粗末な音を立てながら窓を開いていく。

 

「あの時って、具体的にいつのことなの?」

 

 開かれた窓から流れ込んできた新鮮な空気に背中を押されるように、訊ねてみる。蛇はもうどこかへ隠れてしまったようだ。喋っている一瞬の間に、この口の中にするりと逃げ込んだのではなければ良いな、と思う。

 

「中学校一年生の頃です。」

 

 男が浅蜊を横から見たような薄い唇を割って話し始める。

 

「当時付き合っていた子がいたんです。彼女は携帯電話を持ってたんですけど、僕は親が買ってくれなくて持っていなかったんです。だから連絡を取るのは家の電話でっていうことになっていたんですけど、ほら、中学生くらいの女の子って手紙が好きじゃないですか、彼女も手紙好きだったみたいで、ある日、文通しようって言われたんです。家の電話だと親が鬱陶しいし、まあいいかな、と思って文通を始めたんですね。もちろん切手を貼って、住所を書いて、投函して、なんて面倒なことはしませんでしたよ。そんなことしたら、それこそ親に見られて鬱陶しいですからね。学校で会った時に渡したり渡されたりするんです。クラスが違ったので、廊下ですれ違う時が多かったです。ていうか、あれですね、冷静に考えると学校でたまに手紙交換するくらいの関係なのに付き合ってたっていえるんですかね? まあ中学生でしたから、彼氏彼女っていう響きがただただ嬉しかったんでしょうね。まあでも好き同士ではあったので良しとしましょう。で、文通を始めたんですけど、僕、思ってたよりも手紙書くの嫌いだったんですね。手紙書くのってこんな面倒なことなんだな、って書いてみて初めて気づきました。自分の思っていることとか考えていること、体験したこととか、よく恥ずかしげもなく書けるもんだなって。頑張って書いたんですけど、僕、恥ずかしがり屋なので、手紙を渡すタイミングもなかなか掴めなくて、すれ違ってもちょっと手を振るくらいしかできなかったり、酷いときには彼女に気づかないふりしちゃったりしてました。でも彼女の方はね、自分の書いた手紙をさりげなく僕のポケットにねじ込んでくるんです。ポケットに手を突っ込んでくるから、その子の指先が僕の股間に触れちゃうこともあって、僕が、うっ、て声を出しちゃうと、ああ、ごめんごめんって。結構積極的な子だったんですかね、分かんないですけど。ああいう子とセックスできてたなら、また何か変わってたのかもしれませんね。あ、話が逸れました。そう、それでも何度か僕も頑張って手紙を渡してたんです。だから彼女の方からも手紙の返事がやってくるわけで。返事をもらってないのに、さらに返事を書く奴なんて相当な曲者ですもんね。」

 

 男は窓の外の暗闇に目を向けながら話している。一匹の羽虫が、部屋の明かりに導かれて、外の広い世界から、閉ざされた狭い空間に舞い込んでくる。

 

「頑張って返事書いて渡してたんですけど、ついに渡せなかった手紙がありまして、内容は、たしか、テストの点はどうだったか、とか、好きだよ愛してるよ、みたいな適当な文句とか、そんなもんでした。だから別に特段渡しづらいものでもなかったんですけど、なんとなく渡せなくて、そのままどんどん時間だけが過ぎていって、渡してない手紙に彼女から返事が来るはずもなく、すれ違っても目を合わせるくらいになって、そのうちに付き合ってるってことすら本当かどうか分からなくなってきて、でも学ランのポケットには渡せないままの手紙がいつまでも居座ってるんです。ポケットだけじゃなくて、頭の中にもずっとそれが居座ってた。ああ、もう嫌だ、と思って、ある日の帰り道、手紙を川に投げ捨てたんです。あの時ってのは、その時のことです。腐敗しつつあった梨の表面に、茶色くて指で押したら、ぐしゃり、と潰れてしまいそうな小さな点ができた瞬間でした。」

 

 羽虫は電灯の周りを円を描くようにして飛び回っている。男の背中を水滴が下っていく。下に向かうにつれてその速度は速くなっていき、最後には男の尻の割れ目に吸い込まれていった。部屋の中が暑いのだ。自分の身体も汗で湿っている。白く膨らんだふくらはぎを眺めていると蛙の腹を思い出す。自分の身体なのに気持ちが悪い。

 

「そんなことで、性格が卑屈になるもんなの?」

 

 それまで窓の外ばかりに目を向けていた男が振り向く。下唇を噛み、何かを考えているのか目玉を泳がせた後、こちらに視線を向ける。

 

「なんというか、人間って馬鹿なんですよ、たぶん。他の人にとっては本当に些細な出来事でも、ある人にとっては人生を揺るがすほどの意味を含んでいるものなんです。みんながみんな、同じ価値観で生きているわけじゃないんです。それが分かっていても、他人の価値観なんてガンガン無視して自分の価値観でしか生きられないから人間は馬鹿なんです」

 

「それって、あたしがバカだってことを言いたいの?」

 

 少しだけ棘のある声音で言ってみる。

 

「いや、そういうつもりじゃなかったんですけど」

 

 男は、こちらから目を反らしてまごついている。男の感情を初めて目にしたような気がして、心の中でほくそ笑む。

 

「まあいいや、続けて」

 

 男に最後まで話をさせることにする。特に理由はない。ただ同じ空間、同じ時間にふたりでいるというこの事実がいつまで続くものなのか確かめてみたいのだった。もしかしたら、もう腐敗は始まっているのかもしれない。

 

「ああ、はい、えっと、あなたのことを馬鹿にしてるわけじゃなくて、どちらかと言うと自分を馬鹿にしているというか。そういうところが卑屈なんですよね。だから、えっと、あの時から僕はずっと、あの時のことを引き摺ったままここまで来てしまって、そのせいでいろいろなことを上手くこなせないんです。例えば、文章を書くことを未だに苦手にしているのも手紙のことがあったせいだと考えることができますよね。一種のトラウマというか。あと、女の人と接するのもあまり得意じゃないです。セックスだって数えるほどしかしたことないし、付き合ったことだってそう。そうだ、女の子って僕が思ってるよりも性欲強いんですね。最近分かりましたけど。飲み会とかで隣の席になった子が、この後空いてる? って声掛けてくることが割と多くて。僕から誘うことなんてできないので感心しますね。まあ、誘われても行く甲斐性なんて無いんですけどね。自信ないんです、自分のセックスに。たまに、まあいいか、と思って二人で飲み直して、カラオケ行って、それからホテルに行って、みたいなことも、たまにですけどね、ありますよ。でも、大抵、想像していたよりもつまんなかったな、って結果で終わるんです。自分のセックスもしょーもないし、相手もたいしたことないし。きっと、僕は女性に期待し過ぎてしまっているから、期待を越えることなんて無いんです。期待ばかり膨らんでしまって、現実がついていかないんですよね。あれ? なんでこんな話してるんだろう? あ、違う。違います。あなたとのセックスはとても良かったですよ。ここまで来たのはなんだろう、自分でもよく分かんないんですけど、あなたのこと気になってるのかもしれない。うん、気になってたからついて来たんです。えっと」

 

「あ、もういいよ。君があたしのこと気になってるとか、そういうことが聞きたいわけじゃないから」

 

 じゃあ何が聞きたいのだろうか。正直今までの話なんて全てどうだって良かったのだ。セックスがしたくなったので、たまたま隣にいた男に声を掛けてホテルに来ただけなのだ。今回の男はどうやら外れらしかった。可愛い顔をしていたので遊び慣れているのだろうと思っていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。「ただ屁理屈を並べて自分を正当化したいだけの童貞じゃない程度の変な奴」これが今回の男に対する印象だった。セックスも、彼が言う「自信の無さ」が現れたのかあまり良いものではなかった。期待を越えることはなかった。お互いさまかもしれないけれど。セックスが終わって何やら話し始めたと思ったらこの有様だ。

 

「うわあ、虫だ」

 

 突然、男が犬の糞でも踏んだかのような間抜けな声を上げる。さっきの羽虫が男の顔の周りを周回するように飛んでいる。男の顔には恐怖の色がありありと浮かんでいる。自分の内面についてだらだら語らせたのが悪かったのか、男は急に感情をあらわにし始めた。面倒くさい。

 

「寝るね、おやすみ」

 

 そう言って男に背を向ける形で寝転がり布団を被る。シーツがふたりの汗を吸って、湿り気を帯びている。柔らかい水溜りの様で、不気味な感触。