2024-02-18

 酒を飲みながら、ふと、文章を、残そうと、ふと、思って、久々にブログを開いて、文字を打ち込んでいる。

 

 単調な毎日。働いて、酒飲んで、寝て、起きて、働いて、酒飲んで、寝て、起きて、働いて、酒飲んで、寝て、起きて、働いて、etc...

 

 つまんない毎日を生きて、文章を書くこともなくなってしまっていた。元々、文章を書くことが大好きだったはずなのに、もう何ヶ月も書いていなかった。生活に飲まれて、大切なものを失ってしまっていたような気分を噛み殺している。

 

 楽しいことなんてなくて、毎日、同じことの繰り返しばかりで、人生ってこんなに退屈なものなのかと感心している。退屈に慣れれば慣れるばかりで、新鮮な感動とか葛藤とか、どこに行ってしまったんだというくらいに安定して退屈な日々を過ごしている。

 

 昔感じていた激情を、もう忘れてしまった。動かない感情の相手をすることもなく、だらだらと生きている。あの頃の、怒り、悲しみ、喜び、と同じくらいの熱量を、もう感じることはないのかもしれない、と思うくらいに、日々は単調で楽しくない。

 

 楽しい人生。それは、結構難しいことなのかもしれない。無難な人生。無難な毎日。過ごしているのは"無難"な時間ばかりで、生きている意味とか分かんなくなってしまった。もっと、事件性が欲しい。どうしようもなく心を揺らしてくれる事象が起こって欲しい。人生って、思わぬ方に動くから楽しいのに、思ったように生きてる今がつまらなくてしゃーない。何か刺激が欲しい。

 

 自分が動くしかないのに、動けないまま、ダラダラ過ごしている自分が憎い。もっと、バカになれよ。もっと、思い切れよ。30歳近くにもなって、ムズムズ生きてるのダサいよ。

 

 明日、なんか起こらないかな。起こらないんだろうな。

憂き世話

 


幼い頃から通っていた駄菓子屋が営業を辞めるらしい。

「清水商店」

見慣れた看板。もう、なんて書いてあるのか判別もできないほどに古ぼけた看板。

清水商店をやってるのは、八〇歳くらいのお婆さんで、夏のぬるい風に綺麗な白髪を揺らしている。会計の計算は算盤で行うから、たまに間違っていないのか心配になる。けれど、もう何十年もそうしているのだろうから取り越し苦労なのかもしれない。

遠足の前の日には五百円玉を握りしめて、同い年の葉月と一緒に清水商店に向かった。二人で相談しながらおやつを選んだあの頃の記憶は今でも智一の中に緩やかな思い出として残っている。

 


その清水商店が無くなってしまう。そう聞いて、智一は、葉月を誘って清水商店に向かうことにした。高校生になった今、五百円玉なんてケチなことは言わず、千円札を握りしめて、最後の買い物へ向かう。

「智くん! 待ってたで!」

葉月の家に行くと、葉月はすでに玄関の前に待っていた。

「いざ!」

葉月は妙に張り切っている。

「何をそんな張り切っとるだ」

「だって、最後の買い物よ! 気合い入れんと!」

智一は葉月のこういう無邪気さを嫌いになれない。

「んじゃ、行くかぁ」

葉月を自転車の荷台に乗せて、智一は清水商店へ向かう。タイヤがキィキィと音を鳴らす。中学入学の時から使用しているこの自転車。無理な乗り方を繰り返してきたせいで、様々な場所に歪みや軋みが生まれて、漕ぐとやかましく鳴るのである。

清水商店までは、葉月の家から自転車で四分ほどだ。木造の小さな商店。いつも通り、カウンターの横の小さな椅子におばあさんが座っていて、智一たちが来ても一瞥を投げるだけで、どこか遠くを眺めている。

「ちくわだけは買うなよ、賞味期限切れてるから」

葉月に囁く。以前、祖母に頼まれて買った竹輪の賞味期限が切れていたことを、智一は根に持っている。

「りょーかいしました。隊長」

葉月がおどけて答える。

「やっぱお菓子よ、お菓子」

葉月は昔から甘いものが好きだ。

「フエラムネ 、さくらんぼ餅、あっ、ココアシガレットもあるよー! 智くん! 千円じゃ足りんかもしれん!」

葉月が妙に楽しそうで、智一も嬉しくなる。葉月とは幼馴染で、幼い時から二人、一緒に色々な遊びをしてきた。高校生になった今でも、定期的に会って、近況報告をしたり、愚痴を話し合ったりしている。

「おれの分も合わせたら二千円は買えるで」

「天才では??」

そんなくだらないやりとりも、二人の日常で、もう何年も繰り返している。葉月の好きなものを買いな、智一はそう言って、葉月が商品を選ぶのを眺める。葉月が楽しそうだと、智一は安心する。

「最後だと思うと、全部買いたくなって困るねー」

呑気に葉月が言う。べつに、スーパーでもコンビニでも買えるものばかりだけれど、智一たちにとっては大切な場所での、最後の買い物なのだ。

「おれ、あれ買いたいわ。よっちゃんイカ

「あれ臭いからヤダよー」

この辺りで、あ、葉月の欲しいものしか買えないな、と察する。

「じゃあ、もう、二千円分、葉月に任せるわ」

「任せられてやるわ」

で、結局、二千円分、葉月の好きな駄菓子を買い込んだ。駄菓子の二千円分って、とんでもない量だ。清水商店のばあちゃんは、相変わらずで、震える手で算盤を使ってパチパチと会計を計算し、金額だけを伝えて、あとは無言だった。

最後まで清水商店らしいな、と思いながら智一は会計を済ませる。

「ありがとよ」

ばあちゃんが初めて口を開いた。なんか嬉しかった。

 


長い石段を登った神社の社の横に、小さな小屋がある。普段はあまり使われておらず、秋祭りの前の晩に「夜宮」と呼ばれる祭事が行われる以外にここが使われているのを智一は見たことがない。小屋には鍵がかかっておらず、智一と葉月はよくここで夏休みの課題に取り組んだり、世間話をしたりする。なんとなく、秘密基地のようで居心地が良いのだ。埃っぽく、湿っぽい空気が少し鬱陶しいが、扇風機があるので誤魔化せる。

「智くん! お菓子パーティーよ!」

葉月が張り切っている。

「見て、ヤンキーの真似」

カカオシガレットをタバコのように咥えて葉月が所謂うんこ座り、をして見せる。

「威圧感が足りんね

「なるほど、勉強になります」

智一はフエラムネを袋から取り出して、パッケージを開け、付属のおもちゃが入った小さな箱を葉月に投げる。

「何が出るかな、何が出るかな」

ライオンのごきげんよう、のあの曲を口ずさみながら葉月が箱を開ける。

「なんじゃこりゃ、どうやって遊ぶもんなんだろね」

葉月が手のひらにおもちゃを乗せて、智一に見せる。ライオンの頭のようなものがついた、指輪のような形をしたプラスチックの塊。指に通すには穴が小さすぎる。フエラムネの食玩は、たまに、本当に使い道がわからないものがある。説明書をつけて欲しい、と感じることが多い。

「なんにもならんわ、こりゃ」

「残念」

 


買ったお菓子を全て開き終わって、窓を開け放った小屋の中で、ふたり、ぼーっと寝転がっていると、智一の膝の上に一匹、赤い蜻蛉が止まった。

「葉月、見てこれ」

葉月がこちらを振り返り、智一が指差す先を見つめる。

「赤とんぼや」

「まだ夏なのにな」

赤とんぼ、といえば秋に稲穂の上を飛び回っているイメージが強い。こんな季節に見るのは初めてだった。

「赤とんぼはね、アキアカネって言ってね」

葉月が勝ち誇った顔で語り出した。

「夏になってすぐ羽化するんよ。そんで、すぐ、山の上に避暑しに上がるんよ。夏の暑い間は山の上の涼しいところで過ごして、秋になってやっと、平地に降りてくるんよ。トンボたちも暑がりなんよ!」

へへん、と顔に書いてある。

「なんでそんなこと知っとるん」

「小学生のころ自由研究で調べたんよー」

智一が知らないことを、葉月が知っている。なんとなく、嬉しいような、寂しいような、気持ちになる。

葉月はいつでも、無邪気で、朗らかで、笑っていて、それで、智一よりも少し頭が悪い、はず。

頭の良さなんて、何で判断するのか、分からないけれど、勉強に関しては葉月に負けたことはなかった。

テストの点数を見せ合って、毎度、葉月の方が点数が低く、「次こそはあたしが勝つもん!」と拗ねるのを見るのが好きだった。今思えば、そのために勉強を頑張っていたのかもしれない。

そんな葉月も、智一も、もう高校生で、やっぱり智一の方が偏差値の高い高校に通っていて、葉月はそんなこと気にすることなく、いつも笑っている。

「そっか。だからアキアカネって言うんやね。夏は山の上で涼しく過ごして、紅葉と共に赤色の身体で飛び回って。夏が嫌いなのに夏に羽化するなんて、効率的じゃないのになぁ」

葉月が智一の目を見つめて言う。

「嫌いなものって、無いと寂しいんよ。嫌いなものがあるから、好きなものを好きだって言い切れる。トンボにだって好きな季節があるだけよ。生まれて死ぬこととは関係なく、好きな季節に好きに生きるのが楽しいんよ、多分ね」

清水商店のおばあさんは、どうだったのだろう。なんとなく、そう思う。好きなことを好きなように、嫌いなことを嫌いなように、生きてきたのだろうか。無愛想なあの顔を思い出す。おばあさんは、好きだったのだろうか、あの店が。来るお客が。働いている自分が。

「おれはフエラムネ 、好きだよ、わけ分からん玩具も含めて」

「じゃあ、これ智くんにあげるよ」

「いや、それはいらんわ」

葉月は、何が好き?

智一は、何が好きなんだろう、考える。考えて、考えて、やっぱり、あぁ、好きだ、と思う。早く秋になれば良い。土臭い畦道を歩きながら、秋だね、って目を合わせたり、アキアカネの話、覚えてる? とか話したり、したいな、と、思う。

 


くだらないプラスチックの塊も、葉月といれば、思い出になるらしい。

 


自転車のタイヤが、キィキィと鳴る。二人分の重さを、鳴らす。空が橙色に染まっていて、まるで秋が来たみたいな夕焼け色だった。アキアカネたちはまだ、山の中で暑さから逃れているのだろう。

 

 

 

2022-08-13 : あ

あ、あ、あー、あ、あ、あ、あ、

呼吸はしています。生きております。

えー、突然ですが、他人の幸福に当てられています。結婚、妊娠、出産、一軒家、昇進、その他諸々。

 

おめでとう、は持ち合わせております。

が、どこかに嫉妬、とまではいかないけれど、それに準ずる感情とか、切なさとか、虚しさとか、同時に感じるわけです。そんな自分も大嫌いで嫌になるわけです。

 

好きな女が、知らん男と一緒にいるとか、そんなことで、心はズタボロ、だっさいなぁ、とか思うわけです。

 

世は盆休み、会いたい人に会うとか、実家に帰省とか、帰省せずにイチャイチャとか、人それぞれ過ごしていることでしょう。

 

平和な世界だなぁ。

 

おれは、まだ生きていくわけです。負けてなんていられないわけです。弱者だろうが、知らねぇわけです。黙っとけ外野、なわけです。

 

生きることが、ただそれだけで苦痛だとか、言い訳みたいでダサいから言わないことにして、ゆるくゆるく、他人にゆるく、自分にゆるく、をモットーにゆるゆる生き延びて、メリットなんてないけど、それでも、しがみついてる、その必死さは見せずに、ゆるゆるゆるゆる、いこーってわけです。

 

べつにおれなんていてもいなくてもだから、せめて、ちょっとでも、いたな、って思わせたい。さよならは言わないけど、いたな、って思わせたい。

とても贅沢な望みです。

 

吸って、吐いて、あぁ、まだ続いてる。

憂き世話

 ライターで火をつけた煙草、久々に吸う煙草。咥えて、そして、吸う。普段の呼吸よりも強めに吸う。深呼吸よりは浅めに吸う。

 

 クソ不味い。

 

 よくこんなモンを、毎日、いや、毎時間、飽きずに吸ってられんな、オッサンら。と思う。口には出さない。口に出すのは、媚びて空虚に取り繕った言葉。ダルい。あー、ダルい。

 

 社会は人間が回している。そう勘違いする奴は馬鹿よりも多いが、実際は「人間社会」を人間が回しているだけで、人間以外の社会を「社会」と呼ばないことで、俺ら最強じゃね? 的な振る舞いばかりしてる。人間社会以外の社会の方が圧倒的に多いこと、見ないふりしてるのはいいけど、それらを壊していっていることにも気づかずに、環境保全! とか、ほざいて気持ち良くなっている。「壊したの、お前らだろ」なんて被害者たちは何も言ってくれない。動物は無口なわけじゃなくて、人間が喋り過ぎっていうだけだ。言わなくても伝わることってある、とか言う奴、たまにいるけど、お前のやってること的外れでしかないよ。気づけよ。

 

 俺らは、生きてるだけで害悪なの。

 

 完全正義な人間って、一体、何人いる?

 あんたはどう?

 ほら口籠るじゃないか。

 ダサ。

 

 俺は、馬鹿だし間抜けだし、何も考えてないけど、人間ほど馬鹿な生き物いないと思ってるよ。壊して、全部、自分らの都合の良い形に作り直しているじゃないか。それが、自分らの首を絞めてることにも、気づいていないじゃないか。

 

 なんて、ここでボソボソ喋っていても、どうにもならない。立派なこと言えない。だって、俺は人間だから。馬鹿だから。守れないから。

 

 ごめんなさい。

2022-04-01 : 片割れ

 

 「男女の友情はあると思いますか?」

 

 よく耳にする問い。僕は迷わず「あります」と答える。だって、実際にあるんだもの。僕は知っているんだもの。大好きで最強な女友達がいるんだもの。恋愛なんて馬鹿らしく思えるくらいな友情を知っているんだもの。なんなら友情なんかでは括り切れない、色んな感情や色んな感覚を知っているんだもの。

 

 

 僕と彼女とは、生まれ育った場所は全く違う。距離で言えば、400Km近く離れているのではなかろうか。たぶん。ただ、似ている環境(地図アプリで見せ合った地元の風景が一致し過ぎた。更に、幼い頃のことについて話す内容が一致し過ぎていた。2人とも親が教員だった。なんかもう、ちょっと怖くなった)で、育ったというだけの、そして、中学を卒業する頃に買い与えてもらったガラケーで、とあるラジオ番組のネット掲示板に書き込みをしていたというだけの、それだけの共通点とも言えないレベルの共通点しかなかった。

 

 掲示板に書き込んだコメントへ向こうからレスが付いたのか、自分が向こうにレスを付けたのか、覚えていないけれど、どちらかの書き込みにどちらかがレスを付けて、僕たちの関係は始まった。

「あ、また〇〇さんからレスが来てるな」

「〇〇さんが書き込みしてるからレス付けとこ」

って、だんだんそれが楽しくなっていった。

 それが最初。

 

 10数ヶ月経って、別のSNSで、偶然、彼女らしき人物を発見したので、これは間違ってたら恥ずかしいやつだ、頼む、貴女であれ、そうあってくれ、そうじゃなかったらコーラ一気飲みしてゲップせずに山手線の駅名を言います、と思いながら、

「もしかして〇〇ちゃんですか?」

とメッセージを送ってみた。そして、帰ってきた返信を見て、安堵。

 そして、そのSNSのメール機能(今で言うDMかな)で、連絡を取り始めた。前述のネット掲示板は、毎日定時に2回書き込み内容が更新されていた。つまり、一言でもやりとりをするのにかなりの時間が掛かる。よく考えたら、400Km先へ公共交通機関等で向かって口頭で内容を伝えた方が普通に早い。飛脚の如く。メール機能なら、リアルタイムでやり取りができるし、匿名性もある。そこから、僕たちは更に、一気に仲良くなっていった。きもいくらい仲良くなっていった。

 本当に毎日、連絡を取っていた。日々のこと、趣味のこと、自分の考えていること、彼女の考えていること、内容のないことから内容のありすぎることまで、たくさん話をした。その内に、LINEを交換して、LINEでのやり取りが始まった。会ったこともないのに、もう頭の先から爪先までを共有してるみたいな、そう思ってしまうくらいには、たくさん話をした。

 

 で、1年ほど経ち、僕に恋人ができた。その頃の僕は、ピュアピュアの男子高校生だったので、彼女がいるのに他の女とは連絡取れねえぜ、、とピュアピュア故の残酷さで「連絡を取るのを控えよう」と伝えた。おバカっ。できることなら、その頃の自分に伝えたい「その恋人は『ただの友達』とやらに簡単に寝取られるよ。その後、そいつと結婚するよ」と。あと、「女友達とも連絡取っといた方がいいよ。友達マジで少ないくせに友達削るのやめて、お願いします」と。

 

 そこから、連絡頻度はどんどん減ったものの(当然の結果)、数ヶ月に1度とか年に1度とか、ふとした時に、お互いが「元気?」とか「おひさ〜」とかちょっとした連絡を寄越して、ふと途切れる、というのを繰り返すようになった(以下『ふとLINE』と記す)。大事な友達がいなくならなくて良かったね。

 僕は基本的にLINEが嫌いで、誰彼問わずに結構な頻度で無視をするので(するな)LINEが続くことは少ないし、一度途切れてしまった相手と再度連絡を取ることなんてのはありえない(ありえろ)。しかし。彼女との『ふとLINE』だけは、何故か、いつまでも、続いてきたのだった。

 

 大学2年生になって、僕は件の恋人を寝取られた。寝取られました。大事なことなので2回言いました。ここテストに出ます。寝取られて、そして結婚まで行かれます。赤ちゃんもすぐ産まれます。おめでとうございます。ここもテストに出ます、復習するように。それで、そのうち、また、ふと連絡を取り始めた彼女と、なんとなく暇だし、なんかタイミングも合いそうなので会ってみようということになり、2人が住んでいる中間地点にあたる京都で予定も立てずに昼頃に待ち合わせ、ラーメンを食べ、どこ行こうか〜って悩んで、水族館に行き、夕方に帰る、という、小学生のデートか? みたいな初対面を終えた。両生類マニアの僕がオオサンショウウオが見たかったという理由だけで提案した水族館だったが、今思えば彼女はオオサンショウウオを丹念に体の隅から隅までニヤニヤしながら舐めるように見渡す僕の姿に少し引いていた気がする。ごめんなさい。またいつか〜、と別れて、そこから6年、『ふとLINE』を繰り返し現在に至る。ちなみに、その間もお互いに恋人ができたりいなくなったりしている。

 

 で、再会の日が唐突にやってきたわけだ。本当に唐突だった。『ふとLINE』からの『ふと再会』である。僕が休職をしていて暇を持て余していると言う話をしたら「来れるなら来ていいよ〜」との返信があり、休職してるくせに酒ばかり飲んで酔っ払いながらスマホをいじいじしていた僕は、気付けば、片道8時間のバスのチケット(往路)をゲットしており、自分でも、え、マジで行くの? と思うなどした。え、復路は?

 いつ折り返すのか分からない駅伝のようなノリで、彼女の元へ向かったのであった。

 

 彼女の住むマンションに着いて、まず、見たことのないなんか電話機みたいに数字のボタンが並んでるインターホンで部屋番号押して呼び出す瞬間が、今回の旅で一番緊張した瞬間。

 

 結局、3日間を共に過ごしたわけですが、やったことを書き落とすと、

 

・留守番

・近所の居酒屋へ行く

・お腹見せ合って「それはちょっと、、やば、、」    と言われて筋トレに目覚める

・適宜薬を飲む

・米を炊く、食べる

・夕方まで寝る

・近所の麺屋に行く

・映画を観る

・テレビ電話で顔合わせをする(彼女の彼氏さんと(この書き方分かりづらいな(()の中に()を入れると、とても読みづらいな)))

・昼前まで寝る

Uber eatsを頼む

・映画を観る

・冷凍食品を解凍して食べる

・ゲラゲラ笑いながらツーショットを撮る

 

 お分かり頂けただろうか、、、

 それではもう1度ご覧頂こう、、、

 

・留守番

・近所の居酒屋へ行く

・お腹見せ合って「それはちょっと、、やば、、」    と言われて筋トレに目覚める

・適宜薬を飲む

・米を炊く、食べる

・夕方まで寝る

・近所の麺屋に行く

・ドラッグストアに行く

・映画を観る

・テレビ電話で顔合わせをする(彼女の彼氏さんと(この書き方分かりづらいな(()の中に()を入れると、とても読みづらいな)))

・昼前まで寝る

Uber eatsを頼む

・映画を観る

・冷凍食品を解凍して食べる

・ゲラゲラ笑いながらツーショットを撮る

 

 ほぼ、何もしておりません。我々。ていうか、ほぼ外に出てませんね。なんなら仕方なく外に出る感じでしたね。

「栄養、、摂るかぁ、、死ぬし、、、」

みたいな感じでしたね常に。2人とも。

 3日間ですよ。片道8時間ですよ。

 でもこれで満足するのが我々なのです。というか、正直、めちゃくちゃ楽しかったです。僕の住んでるとこはバチクソ田舎で、Uberの配達範囲に入るまであと100年くらい掛かってもおかしくないので、初の「こんちはー、Uber eatsでーす」が聞けてテンションブチ上がった。めちゃくちゃ楽しかったし、自分の家より居心地が良くて、ゴーロゴーロヘーラヘーラしてたら「お前ナメてやがるな」と言われた。

 小学生デートの次に会った今回、ただ各々生活をしただけの3日間だった。会うのが2回目の男女で、こんなことあります? 会ってない6年の間に何があったのだろう。生霊同士でルームシェアとかしてたんだろうか。と、思うくらいにはお互い、何の違和感もなく気遣いもなく過ごせてしまった。そう思っているのが、僕だけだったらごめん。

 しかし、まぁ、驚くほどに生活のペースが一致していたので、ほんっっっとうにノンストレス。起きる時間も寝る時間も、ご飯を食べる量(仏壇に備える用くらいの少量の米)も頻度(ちゃんと3食食え)も、やる気が出てくる時間も、わりと元気に動き回れる時間も、ほぼ完全に一致していた。びびった。彼女もびびっていた。あまりにも同じ過ぎて、もしも、この2人で暮らしたら餓死する、と言う結論に至った。何故なら、放っておいたら何も食わないから。なんと驚くべきことに、2人とも咀嚼が面倒だ、と感じているからである。誰か食わせてくれる人がいなければ我々は生きてゆけないのである。「ほら、ご飯の時間! 起きて!」「ちゃんと食べなきゃ!」そういった言葉たちが我々の生命線なのだ。今生、この2人からは絶対に出てこない言葉たちだ。来世でちゃんと食おうな、、、。

 

 帰りのバス、1日間違えてチケット買ってて、倍額払いました。

「お客さん、これ、昨日のだよ。待っとくから買ってきてくださいな」

 運転手さんの言葉に愕然として、チケット売り場に走った。ちょうどいい感じに雨が降り始めていて、主人公の心情の比喩みたいな感じで降るんじゃねえよ、と思った。涙出そうだった。ちょっと出ちゃってたかもしんない。

 これは蛇足。

 

 さて、本題。

 これまでのネットでのやり取りが我々の友情なのか何なのか分からない感情、お互いが持て余して名づけることのできない感情を生み出したのは間違いないのだが、この関係性を形作るのに最も貢献したのは、やはり全力の言葉を投げて、全力で受け止めていた、あの頃なのだろう、と思っている。若かった我々は、心という心を言葉に込めてやり取りをしていた。それしか手段が無かったから。彼女が辛い時も、僕が辛い時も、彼女が楽しい時も、僕が楽しい時も、ずっと言葉を、脳内を、感覚の全てをやり取りしている内に、きっと、彼女が僕の中に積もっていって、僕が彼女の中に積もっていった。

 

 だから、お互いの共通認識として

 

「双子の片割れみたいだよね」

 

という結論に至る。

 

「めちゃくちゃ好きだけど恋愛感情は全くないよね」

「それな」

 

 自分の中に他人がいる。そういう感覚。そうとしか言い表せない感情。

 

 言葉ってのは、その人の「形」ではなくて核の部分を表現するものだと、僕は思っている。

 つまり、性別や身体の特徴や、その人の見た目ではなくて、その人が常日頃考えていること、好きなこと、嫌いなこと、そういう、所謂「人間の中身」を表すものが、言葉である。

 

 僕と彼女は、言葉を通して出会った。

 身体が会っている時間よりも、圧倒的に多くの時間を言葉で会っている。中身の共有。これは僕たちだけの特権で、これから先、もうこんなに素晴らしい体験をすることはないだろう。

 

「双子だとしたら、兄か弟かどっちだと思う?」

「弟」

「だよね」

 

 きっと貴女が姉ちゃんだから、たぶん僕は少しだけ貴女に引っ張ってもらって生きている。

 

 

 「男女の友情はあると思いますか?」

 友情なんてもの越えてしまっているけれど、まぁ、だから、僕たちは、

 「あります」

って、何の躊躇もなく言える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

憂き世話

 目が覚めたら、右手の薬指がボールペンになっていたのだけれど、僕は左利きだし、薬指って一番指の中で扱いづらいので、めちゃくちゃ微妙な気分になった。せめて左手の薬指であって欲しかったな、そしたら、練習すれば普通に字を書けるようになって便利かもしれない。会議の時にボールペン持ってくるの忘れた! って時とかに重宝するし。いや、でも、あれだな、婚約指輪とか結婚指輪付ける指だな。ボールペンに指輪付けなきゃいけないのか。もう指輪じゃないじゃん。ボールペン輪じゃん。婚約ボールペン輪じゃん。

 

 ところで、インクの入れ替えってどうするんだろうこれ。もしかして、インクが無くなったら、補充できないのか? インクの出ないボールペンなんて、小型破砕ゴミでしかないぞ。そうなると、「右手の薬指がボールペンの人」じゃなくて、「右手の薬指が小型破砕ゴミの人」になってしまう。「右手の薬指がボールペンの人」ってだけでもキツいのに、

 

「あ、右手の薬指がボールペンの方なんですね」

 

「ええ、そうなんですけど、インクが無くなっちゃって、最早ただの捨てることのできない小型破砕ゴミなんです」

 

なんて説明しなきゃいけなくなるのは、もう、なんか相手方にも申し訳ないな。絶対、第一印象「なんだコイツ、指きも」なのに、追い討ちをかけるようにきもい説明だもんな。捨てることのできないゴミ、ってちょっとうまいこと言おうとしてるのもきもいな。悲しくなってきた。ちくしょう。僕が何をしたって言うんだ。何の呪いだ、これは。誰による、何のための呪いなんだ、これは。呪いなのか? これは。何も分からねえな。誰に問い掛ければ答えが返ってくるんだ。文房具屋か? 文房具屋に問い掛ければ良いのか? 文房具屋に問い掛けたところで、変な顔されるのがオチか? そもそも、なんで、ボールペンなんだ。もっと何かあるだろ。ドライバーとか。うん、ドライバーが良いな、マイナスの方。マイナスの方が使い勝手が良いんだよな。プラスドライバーとしても使えちゃうから有能なんだよ、マイナスドライバー。マイナスドライバーにしようよ。それが良いよ。ねぇ、お願いします。マイナスドライバーにしてください。僕の右手の薬指をマイナスドライバーにしてください。もう、なんなら、いっそのこと僕をマイナスドライバーにしてください。「右手の薬指がボールペンだったけどインクが無くなったから右手の薬指が小型破砕ゴミの人」なんて人生は嫌なんです。マイナスドライバーになりたいです。マイナスドライバーになるためだったら何だってします。将来の夢はマイナスドライバーです。マイナスドライバー最高。マイナスドライバーしか勝たん。マイナスドライバー万歳! マイナスドライバー万歳!

2022-01-02

恋愛とは、粘膜と粘膜を重ね合わせる作業に裏打ちされた正義の上で繰り返される陶酔、行き過ぎて狂う安心感と独占欲、理不尽を許すことすら少し楽しんでしまうことを肯定される驕り、そういうものを綺麗に言い換えただけの言葉で、そこに付随するナンバーワン感情はたぶん「苦しみ」なのに、皆んな、恋愛を祭り上げる一方なのは、僕らも生き物であって、本能的な部分でその方が都合が良いからなのだと、思う。

これは僕の考え方だから、否定されても仕方ないし、僕はこんなこと考えている人と恋愛したくないので、否定されても仕方ないんだけど、やはり僕も生き物なので、雄と雌との間にある理に飲み込まれそうになる夜だってあるわけですよ。そんで考えれば考えるほど、滑稽な生き物だなぁ人間、と思うわけです。他の動物に脳味噌自慢するんなら、もっとスマートに生きて見せるべきなんだ。いくら個性とやらを尊重したところで、結局、自分の遺伝子をいかに残すかっていう脳味噌のどっかに転がっているデッカい本能の塊を誰も見つけられずにいるじゃないか。

 

恋愛とは関係ないのだけれど、僕はこの一年と少しをバカみたく生きている間に、「他人をもっと信用してもいいのだ」ということと、「他人を信用し過ぎてはいけない」ということを学んだ。どっちだよ? って思うと思うけど、両者共に同じ位に真実なのです。何言ってるか分かんないですよね。でも本当にそう感じたのです。

 

生きててくれて安心した、とか、元気そうで安心した、とか、そういう言葉を投げてくるのは、一度、僕のどっかを粉砕した人たちばかりで、この人たちは何がしたいんだろう? と考える。誰かを無意識的に見下して、安心する。そのための道具が僕なら、それでいいけど、そんな安心を欲さなければ生きていけないくらいなら僕は生きていなくてもいいと思ってしまう。ダサいもん。だから僕は、いらんな、と思った関係は、できる限り終わらせるようにしている。だらだら引き摺って、良いことがあった試しがない。腐り切った安心感なんて、そんなものを抱えていても、その臭いと重さに、足取りが重くなっていくだけだ。

 

新しい年が始まったらしい。

 

新年一発目の記憶は「同性にされるフェラ」。相も変わらずクソみたいな年になりそうです。でも、なんだか久しぶりに前向きなんだ。やり直す。今からでも遅くないって、遅くなかったって、言えるようになる。人生は良くも悪くも終わるまで続く。終わるのを楽しみに生きてみようかな、と、今は思っている。

憂き世話

生きていたらいつか死ぬ、ってみんな知ってるはずなのに、それを考えている人ってあまりいない。自分が死ぬことを勘定に入れて生活をしている人ってどれほどいるのだろうか。人間だって生き物だ。いつ死んだっておかしな話ではなくて、例えば、あと三秒後には心臓が止まっちゃったり、脳の血管に血栓が詰まっちゃったりして、死んでしまってる可能性だってある。

 

世界は「生きている人」によって回っているわけだけれど、死んでしまった人の数の方が圧倒的に多い。百数年も経てば、もう今この世に生きている人たちなんて一人も、たったの一人もいない。

 

怖くないのは何故だろう。

 

みんながいなくなることが決まっているのに、僕はあなたと恋をしてキスしてセックスして、もしかしたら結婚しちゃったり、子供も生まれたりして、その全てが、発生した時点で消滅することは確定事項なのに、それを幸せだと、どうして言えてしまうのだろう。

 

生はイコール死だ。

 

綺麗な花も枯れる。歴史的な建造物も焼けて無くなることもある。あなたのその綺麗なまつ毛を見れなくなる日だって、必ず、必ず、来る。来てしまう。

 

だから、誰かを好きになることはとても恐ろしいと思う。どんな形にしろ、失くなることが確定しているから、会えなくなることが確定しているから、触れられなくなることが、あなたの体温とか肌の柔らかさとか忘れてしまう日が、いつか必ず来てしまうから。

 

あなたの幸せは、そのまま、いつか、どうしようもない悲しみに変わるんだよ。それでも、いいと思える人がもしもいるのなら、大切にしてあげてくれ。悲しみなんかよりも幸せを、自分の幸せを、そしてそれ以上にその人の幸せを大切にしてあげてくれ。

 

いつかくる、いつかに、馬鹿みたいに涙が出てきて止まらなくて死にたくなってしまったら、それはあなたとその人の出会いが正しかったことの証明なのだと、僕が勝手に保証する。

 

いつか死ぬから、生きている。こんなに悲しい事実を、みんな知っているはずなのに、それを考えている人ってあまりいない。だから僕が今、ここに書き残しておく。

 

死ぬまで笑っていてね。死んだら泣いてくれる人を大切に。

 

 

 

 

2021-10-7

 朝起きるのがこんなに難しいとは、1年前までは思ったことがなかった。起きられなくて、仕事を休んだ。連絡だけしてまた眠る。また欠勤。

 

 朝も昼も食べずに一日中眠っていた。

 最近は、面白い夢を見る気がする。いつも内容は覚えていないけれど。だから、ずっと眠っていたいのかもしれない。

 

 数時間おきに目が覚めて、罪悪感に襲われて、逃げるためにまた目を閉じる。こんな生活、嫌だなあ。

 

 普通の生活。

 

 先の見えない生活。

 

 

 

 

2021-09-20 : 味噌

脳味噌みたいなグロい気持ちの悪い塊がさ、どんな可愛い女の子にも格好の良い男の子にも、天才にもクソ馬鹿にも、一人ひとつ、備え付けられてるらしいんだけれども、だけど、その実物を見たことのある人って、まぁ、いなくて、僕らは脳味噌とかいうグロい気持ちの悪い塊に支配されながら、本当は、頭蓋に何が詰め込まれてるのか、知らないまま、信じ込んでいるだけで、だから、この身体、僕の身体、貴女の身体、みんなの身体、脳味噌、みんなの脳味噌、それを味噌汁にして、そう、蟹味噌みたいに美味い美味いって、僕らより力の強い生物の娯楽にされて、そんで消費されて、乱獲されて、僕の愛するあの子や、あの子の愛するアイツや、全部、餌になって、そこに誰も何も感じない世界が新たにいつか出来上がって、支配者は人間ではなくなって、人間は食われる側になって、それで解決することは沢山あって、悲しむのは人間だけで、それをものともせずに食う方は食うし、呆気なくて、僕はそれを少し、希望、のようにも思ってしまって、それを誰にも言えずに、心の中で反復して、繰り返して、そうしている内に、食われてしまう、終わってしまう、その頃には、人生なんて、何の意味もなくなっていて、僕らは餌でしかなくなっていて、悲しい、と思うことすら、なくなっていて、恐怖に殺されそうになっていて、救ってくれる神様なんて、もう誰も信じることができなくなっていて、僕らは、「人間」って、白トレーに消費期限のラベルを付けられて、スーパーマーケットに卸売りされているんだ。