憂き世話

夕方くらいから、日が暮れて数時間経った今まで、ずっとずっと同じ問題を考え続けている。

 

自分の頭が相当に悪いと気づいたのは最近のことで、「宿題面倒臭いよ〜」なんて台詞が、教室のあちこちから毎日聞こえてくるものだから、私は勝手に勘違いをしていたのだ。プリントを1枚終わらせるのにみんな8時間くらい使うものだとあたしは思っていたのだけれど、プリント1枚に8時間使っているというのは異常なことらしいと、みっちゃんのこれでもかと真ん丸に見開かれた目を見て気づいてしまったのだ。

「昨日、寝るの遅くなっちゃったんだ〜、眠いよ〜」

と、みっちゃんが言ったので

「宿題? 昨日のプリント難しかったもんね、あたしも終わらせるのに12時間かかったから徹夜して学校来たんだー」

と言うと、みっちゃんは、なるほど眼球って本当に真ん丸い球体だから眼球っていうんだ、へぇ〜すごいなぁ、って思ってしまうくらいに目を真ん丸にして、

「12時間もかかったの? あたし40分で出来たよ。昨日は録り溜めてたドラマ一気見したから寝れなかったんだよ、え、12時間って、すごいね、そんなに難しかったかな、うん、まぁ、難しかったけど」

そこであたしは気づいてしまったのだった。

 

あれ? あたし、もしかしてめちゃくちゃに頭が悪いのかな?

 

みっちゃんはプリント1枚を40分で終わらせると言う。みっちゃんだけではない。「えぇ〜、40分なんて嘘だ〜、ねぇ、8時間はかかるよねぇ?」と近くにいたトシくんとあきちゃんに同意を求めると、トシくんもあきちゃんも、何言ってんだこいつ、って顔をしながら「40分あればいける」と言った。40分でプリント1枚を終わらせることができるなんてあたしにはにわかに信じられない。驚きの速さだ。爆速。あたしはプリント1枚に8時間かかる。だから、宿題にプリントが2枚出てしまった時は大変だ。単純に計算して16時間掛かる。この「単純な計算」をするのにも10分かかった。なんで今まで自分がめちゃくちゃに頭が悪いことに気づかなかったのだろう。少なくとも、家族は気づいていたんじゃないのか。教えてくれよ。父さんも母さんも「トモちゃんは、頭がいいねぇ〜」って言ってるのはなんなんだよ。

そこでまた、あたしは気づく。

父さんも母さんも、本当はあたしがめちゃくちゃ頭が悪いと分かっているのだ。分かっているけど、認めたくないのだ。父さんも母さんも特別頭が良いわけではないけど、まさか自分の子供がこんなにも頭が悪いだなんて信じたくなくて、だから、「頭がいいねぇ〜」なんて、わざと呑気に笑って見せて、あたしはまんまとそれに騙されて、そうやって父さんと母さんは現実を見ないふりしているのだ。その証拠に、あたしが毎回0点のテストを持って帰ると、母さんは「あれ、おかしいね、1と0が足りないね」とか言って、0の前に1と0を付け足して「100」を作り出す。それを見てめちゃくちゃに頭が悪いあたしは「やった100点だ、あたしって賢いなぁ」と思ってしまっていた。

 

15年生きてきて、やっと、やっと、自分がめちゃくちゃに頭が悪いと気づいてしまったあたしの絶望たるや言葉にできない。なんてったって、15年間も自分がめちゃくちゃに頭が悪いことに気づかないくらいめちゃくちゃに頭が悪いのだ。なんてことだ。15年もかけてやっと解き明かした答えがこれだなんて、名探偵コナンもビックリ、身体は大人、頭脳は猿以下。じっちゃんの名にかけて!なんて口が裂けても言えない。じっちゃんマジごめん。

 

あれ? でも、めちゃくちゃに頭が悪いあたしは今までちゃんと勉強してきて、それでもこうやってめちゃくちゃに頭が悪いのだから、これから先、勉強したところで人並みに頭良くはなれない、つまり底が知れてるってことで、あたしは今までプリントを解くのに使っていた8時間を自由に使ったところで何の問題もないのでは? 8時間もあれば、ちょっと遠出して帰ってくることもできる。あれあれ? めちゃくちゃ自由じゃん、あたし。だから、あたしはもう問題を解くのをやめる。

 

 

数年経って、あたしは「本当の自由」をみつける。「本当の自由」をこれまでたくさんの人々が探し求めてきたけれど、それを見つけた人はひとりとしていなかった。でも、あたしは見つけた。めちゃくちゃに頭が悪いあたしは、誰にも見つけられなかった答えを見つけた。そう、めちゃくちゃに頭が悪いあたしは、実は誰よりも頭が良かったのだ。えっへん。だからといって、あたしは他の人を馬鹿にしたりはしない。だってあたしはめちゃくちゃに頭が悪いけれど、それでも、みんなそれぞれ必死なのだということくらいはちゃんと知っているからだ。

みんな「自分の生きる意味」とか「1番大切な何か」とか「自分という存在の証明」とか、そういうものを必死に探し求めているのだ。あたしはめちゃくちゃに頭が悪かったことで、たまたま「本当の自由」を見つけることができたけれど、それって運が良かっただけだ。めちゃくちゃに頭が悪い故に、自由に自由を追い求めることができて、その結果、たまたま「本当の自由」を見つけてしまっただけなのだ。あたし以外のみんなは、ちゃんと必死に考えて、必死に今まで誰にも解けなかった超難問を解こうとしている。そうやって人間は分かることをどんどん増やしてきたし、これからも増やしていくのだと思う。

「分かること」ってのは、全て、元々人間の頭の中のどっかに存在していて、「分かる」ってのは「分かること」を人間が自分たちの頭の中から頭の外へアウトプットする方法を見つけたってだけの話で、つまり、人間の頭の中に全ての答えはあって、それを例えば文字とか図形とか言葉とかを使って説明するという作業を経て、あたしたちはやっとそれを答えとして受け止めることができる。「生きる意味」とか「1番大切な何か」とか「自分の生きる意味の証明」とかの、人生をかけて探すべきとされるそれらは、あたしたちが人間として生まれた時から誰に教えられたでもなく探し始めたであろうそれらは、絶対にあたしたちの頭の中のどっかに転がっているはずだ。あたしたちは、それを何千年、何万年と探し続けているのだ。

 

あたしたちは、何千年、何万年前から今まで、ずっとずっと同じ問題を考え続けている。

 

あたしは、たまたま、本当にたまたま、「本当の自由」を見つけることができたけれど、あたしはめちゃくちゃに頭が悪いから、それをみんなに分かるように伝えることができない。アウトプットがクソなのだ。だから、これは人類の答えとしては機能しない。あたしにしか機能しない「本当の自由」なのだ。あたしのあたしによるあたしのためだけの答えなのだ。そう、けっきょくのところ、あたしはめちゃくちゃに頭が悪いだけの、ただの馬鹿でしかないのだ。

湿気

ジメジメとしたこの土地の性質が、土地に生きる人々の性質を侵し、人々の心象も土地と同じく湿り気の強い腐葉土のような不快な柔らかさを携え始めたのはいつのことなのだろうか。


 

彼が生まれた土地は、山と山に挟まれた谷であった。集落の中心を流れる川の水は緑色をしている。流れは激しく、水流が水底を削り滑る音がひっきりなしに集落に響いている。
彼は幼い頃から孤独を感じていた。過疎化の進む集落には子どもは彼を含めて数えるほどしかおらず、道を歩けば皺の寄った老人たちが畑を闊歩する姿ばかりが目についた。
彼は、集落の子どもたちの中で一番歳が下だった。誰もが彼を可愛がったし、遊びの仲間に入れてくれたが、彼はいつもどこか上の空で、楽しさと同じほどに重くのしかかる寂しさとどのように付き合っていくべきなのか思案していた。遊びの誘いを断ることも多かった。自分から寂しさを深めることを選択したのだった。楽しさはたしかに捨てるには勿体無く感じたが、しかし、寂しさを内包する楽しさを希求することを好きにはなれなかった。どうせならばもっと寂しさに溺れてみたいと、何故だかそう考えた。


彼はひとりで散歩をするのを好んだ。長い階段を上がり、社の縁の下に蟻地獄の巣を探すのが好きだった。地面にすり鉢型に空いた穴を探し、掘り起こす。すると、すり鉢の中心、穴の底に他のどの生物にも似つかない生物を見つけることができる。二本の角、三角形の身体。触るとそれはぶよぶよと柔らかく、力を入れると潰れてしまいそうだった。恐々とつまみ上げ、手のひらの上に乗せると、ぴくりぴくりと身体を痙攣させるように動かして後退しようとする。この虫は穴を掘る際、尻の方から身体を地面に食い込ませていく。手のひらは地面ではないので、いつまでも穴を掘ろうとする虫の動きに抵抗し続ける。彼はそれを眺め、こいつらは前には進めないのだな、そう思った。

 

蛙の皮を剥ぐ、という残酷な遊びをしたことがある。アマガエルではなくツチガエルの皮を剥いだ。水田の横を流れる細い用水路には、多くのツチガエルが跳ねている。一匹捕まえる。何処からか見つけてきた木の枝を、ツチガエルの口に差し込む。ツチガエルは苦しそうに両腕をばたつかせる。木の枝を蛙の中心にぐっと押し込み、固定する。ツチガエルはまだ死なない。適当な小石を拾い、ごつごつとしたそれを蛙の身体に突き立てる。赤い血。茶色い皮の内側には、桃色の肉。ツチガエルの伸び切った後脚が痙攣を始める。脚全体、膝から先、足首から先、そして指先、というように震えの範囲は小さくなり、やがて終息していく。最後に枝から蛙を引き抜いて、水路へと戻す。何度も捕まえては皮を剥ぐことを繰り返した。数匹に一匹は、皮を剥いで痙攣が終わり、水路へと戻そうとした時に、突然、ぴょこりと跳ねた。死んだと思っていた蛙が跳ねるのであった。血液を滲ませた桃色の蛙は此の世の生き物ではなく、地獄を体現していた。この地獄を創ったのは自分で、そして自分を創ったのはこの土地で、そこに巣食う人間たちで、ここは地獄なのだ。

 

彼は度々同じ夢を見た。
彼の家を出て、すぐ右手に青い欄干の橋がある。夢の中で彼は欄干の上に立って、眼下に流れる水流を見下ろしている。街灯の少ない集落は闇に包まれていて、橋の下には黒い水が流れているように見える。数十メートル先に光る街灯の明かりが視界の端で揺れる。耳に入る音は、木の葉が風に擦れる音と水流の音、そして自分の呼吸音だけだった。夜の冷気が舌の上を滑り、喉元を下る。肺まで到達したそれは身体の何処かへ流れていく。体温を纏った生ぬるい不快な感触と共に吐き出されるものは、夜の闇そのもののようだった。
不意に、足元から感覚が消える。
落下する身体をどうすることも出来ずに、彼は手を伸ばし欄干に掴まろうとする。届かない。落ちていく。
川面は黒く、何処からか飛んできた光をチラチラと揺らすように反射させる。
見上げると橋の上に誰かが立っている。闇を背負って立つその姿が誰のものなのか判断出来ない。その顔は闇に溶け、闇よりも深い黒色の影となった身体を彼の視界に映す。闇より深い黒色。そんなものが存在して良いのだろうか、彼は考える。考えている間も落下は続く。水面に触れる瞬間、一瞬、眩しさを感じる。
目を開くとそこは、ベッドの上で、カーテンの隙間から朝日が細く室内へ侵入しているのが見える。
彼はいつも、同じところで目を醒ます。眩しさの正体も、闇より深い黒色の正体も、彼はいつまでも知ることができない。

 

畦道を歩いていると、ひとりの男が向こうから歩いてくるのが見えた。この集落の住民だ。何度も見たことのある顔。短髪の白髪頭に、二日前に剃ったような中途半端な長さの髭、皺の寄った目尻にそぐわない大きな目。正確な年齢は知らないが、六十代後半位ではないだろうか。ちらりちらりとこちらを見たり見なかったりしながら歩いてくる。明らかにこちらを気にしている。目を合わせようとすると慌てて反らす。
仕方なく挨拶をしようと口を開きかけたところで、向こうが先に声を発した。


「おい、ありゃあ、お前の車か?」


男の人さし指が指す方に目を向けると、田圃がひとつ、ふたつ、みっつ、その向こうの畦道に白い軽自動車が停まっていた。


「いや、違います」


そう言うと男は、返事もせずに歩き去った。
男の声には不信感と怒りのようなものが含まれていた。男は蔑むようにこちらを見ていた。
理由はすぐに分かった。男は他所者が自分の土地を歩き回っていると勘違いしたのだろう。それが気に食わなかったのだろう。自分が生まれ育った神聖な場所を踏み荒らして欲しくないのだろう。
ただ、男は勘違いしていた。僕はこの土地の人間だ。何度も顔を合わせたことがあるはずなのに、なぜ分からない?
自分の土地に十数年間生きていた人間を、男は他所者のように扱った。何の疑いも持たず、他所者だと判断し、他所者のように扱った。男にとってのこの土地は、男の自意識の中にある。自分がこの土地の人間だという誇りは、自分がこの土地を支配しているかのような錯覚へといつの間にか変貌し、それが男の自意識となる。自分の意識外のものは、この土地のものではないと思い込んでいる。しかし、この土地は男がいてもいなくてもこの土地のまま在り続けるだろう。土地において、男の自意識は、羽虫のはばたきと何ら変わらない。
しかし、紛れもなく男はこの土地の生き物で、僕もそれは同じである。

 

それが猫の死骸だと気付くまでに数秒かかった。無数の蛆が、猫だった物の表面を波打つように蠢いている。嫌な臭いがする。死を餌にして生き延びる生物のグロテスクな生。蛆の波に時折、亀裂が走る。亀裂の中に赤黒い肉と、その赤黒さと不釣り合いな白色をした骨がちらりと覗く。知らぬ間に繰り返される生と死。土地は血を吸ってぶくぶくと太っていく。生き物と物体の境目に、蛆が湧く。蛆はそのうちに蝿となって、飛び去るのだろう。猫の白く濁った瞳が、何処か遠くを見つめ続けていた。

 

十一月の空は灰色をしていることが多い。


彼は、考える。自分の居場所は何処にあるのか。


もうじき雪が降り積もって、集落を白く染める。春はまだ先のようで、しかし、すぐに訪れるだろう。


空き家の荒れ果てた庭。叢と化した田圃。畑には無数の山の動物の足跡。喪服を身に纏った人々の行列。イタチの糞。崩れた物置小屋。


彼は、考える。
生きるということは、死ぬということとどう異なるのか。

吸水性

終わりがくる度に、自分の中に空洞がぽこりと生まれる様な心持ちになる。必死に立ち向かっていた対象がある日急に無くなってしまうことなんて、生きていく中では珍しいことではないのだけれど。


自分の中に生まれた空洞は、徐々に広がっていって、今まで生まれてきた空洞とひとつになったり、交わらないままに広がり続けたりする。
普段は気にしないのだけれど、新しく終わりが訪れた次の日には、僕の意識はそれらに集中される。そんな時、僕は自分はスポンジの様だと思う。スカスカの中身。外から見る形だけは変わらないままなのが虚しい。


スポンジは色々なものを吸い取る。洗剤とか水とか、大抵の液体ならば否応なしに吸収してしまう。僕が吸い取っているのは、寂しさや虚しさで、空洞の中を満たすそれらを搾り出す術を僕は知らない。誰かが僕を抱きしめる様にして力を加えてくれれば、搾り出せるのだろうか。
吸い取ったものを溜め込んで腐らせて、そんな身体で明日について考える。そんな日々を繰り返しては、また空洞が生まれ、僕はそこに新たな寂しさと虚しさを溜め込んでいく。


空洞を何か別のもので満たしたいだけなのだ。


抱きしめられて、ぎゅっと小さくなった身体を元の大きさに戻す時、寂しさでも虚しさでもない何かを吸い取って、そうやって、満たされたいだけなのだ。

憂き世話

たまたま街中であなたを見つけると、それだけで嬉しいような悲しいような変な気持ちになって、思考が停滞してしまいました。


あなたがここを去ってから、もう何度夜が来て、その度、私は何度暗闇へ浸されたのか、もう分かりません。身体を濡らす暗闇が乾く前に、また新しい暗闇が私をひたひたと飲み込んでいくので、いつまで経っても糊の利いたパリパリのシャツを着ることができません。


私たちは5年近い間、隣にいたのに、あなたは呆気なく他の人のところへ行ってしまいましたね。私ひとりがあなたの側から離れるのを嫌がって、迷惑をかけてしまいました。


本当は今でも、まだ、縋り付きたいと思ってしまうことがあります。でも、そんなことを望んでも、何も、良い方向へは向かわないし、あなたが幸せになれないと知っているので、我慢します。


私には、あなたの幸せを創ってあげることができなかったのです。私は幸せだったけれど、あなたの幸せはここにはなくて、だから、あなたはここを去ったのですね。
私が苦しむだけ、それだけのことで、あなたの幸せが保証されるのなら、それで良い。あなたの幸せは私の幸せでもあります。だから私は苦しんでも大丈夫。
私はあなたの幸せを創っている一部になれたのです。隣にいては創れなかったそれを、今は、少しだけ支えることができているのです。私は、幸せなのです。

 

今日、見つけてしまったあなたは楽しそうに笑っていました。
あなたが私を思い出すことがあるならば、あなたの選んだ道が間違っていないということだけ覚えていてください。

間違いなんて、どこにもないのだということを忘れないでください。


そして、あなたが嫌じゃなければ、で良いので、あなたがどこにいるとしても、私のことを忘れないでいてください。

2016年10月21日のこと

僕の住む街で大きな地震が起きた。 揺れ始めた時に何をしていたのか、もうあまりよく覚えていない。ベッドに座って、振動する部屋の中で、棚から空き瓶や小銭をためていた小箱や木で出来た蛙の置物や、いろいろなものがポロポロと落下していくのを見ていた。スマホが耳障りな緊急地震速報を鳴らし始めたのは、揺れが始まってから数秒後で、これじゃただの事後報告じゃないか、と思った。

 

幼い頃にも地震を経験したことがある。たしか震度3くらいだった。保育園のお昼寝の時間に、突然窓がガタガタと音を立て始めたのだった。みんな、起き上がってぼうっとしていた。先生たちだけが深刻な顔をして、何か僕たちに話しかけ続けていたけれど、それを聞いている園児なんていなかったと思う。揺れが収まってから、隣に座っていた麗ちゃんに「ゴジラが来たのかと思った」と言うと、麗ちゃんは笑っていた。先生が部屋の隅に設置されていたテレビをつけて、「怖いなぁ」と言っていた。

 

揺れは5分位続いた。いや、5分に思えただけで、実際は3分だったかもしれないし 、30秒だったかもしれない。非日常に投げ込まれたときの時間の感覚なんて曖昧なものだ。 Twitterを開くと、地震に関するツイートばかりが画面を覆い尽くしていた。「揺れてる、怖い怖い」なんて、本当に怖いと思っている人がTwitterなんて開いて投稿している場合かよ、と少し面白く感じた。数分前まで、授業が退屈だとか、バイトが面倒だとか、そんな呟きばかりだったのに、揺れが始まった時間帯からは、スイッチが切り替わったかのように、地震のことしか呟かれていなかった。

 

余震は数分に一回のペースで続いた。祖母に電話をしてみると、繋がらなかった。サーバーが混み合っているのだと思った。しばらくしてからかけ直すと、息を切らした祖母の声が電話口から聞こえてきた。動揺しているようだったので、少しでも安心させようと、楽しげな声で話してみた。両親は共働きだし、弟は高校に行っている。姉は県外の大学院に通っている。祖母は昼間、家に一人なのだった。寂しがりやで、最近は足の具合が悪く歩くのも辛そうにしている祖母が一人で揺れに耐えたのだと考えると胸が痛んだ。怖かったよな、と声には出さずに言ってみる。

 

ガスの点検は予定通り行われたので少し驚いた。数日前に「21日金曜日にお伺いします」という内容の手紙がポストに入っていた。ガス会社のおじさんは何事もなかったかのように「こんにちわー」とやって来た。点検してもらっている最中にも大きめな余震が来て、また、棚から小物が落下した。おじさんと僕は苦笑いをしながら顔を見合わせた。「余震、けっこう来ますね」なんて馬鹿みたいな会話をおじさんと交わした。

 

夕方、また祖母と電話をした。近所の家を訪ねてみたら、焦っている自分とは裏腹にその家族はみんな平気な顔をしてた、と言っていた。やっぱり祖母は一人が怖かったんだな、と僕は思った。話をしているうちに、祖母がいつも通りの世間話を始めたので、僕は安心する。しばらく話を聞くともなしに聞いて電話を切った。

 

余震は回数を減らしながらも、やはり続いている。揺れの強かった地域では今後1週間程度は大きな地震が起こる恐れがある、とテレビで言っていた。現実味のない現実が続く。

ピアスを開けるのは完全に自己満足です。べつに誰かに見られたいとか、お洒落したいとかそんなんじゃなくて、自分の身体を自分のものだって確認するための行為。自傷行為。腕を切ることにはまだ抵抗があって、というか腕を切るのはあらかさま過ぎる気がするのと、自分の中で合法的ではないので罪悪感がまだ勝っているから、腕は切らないのですね。

 

耳に穴を開けるのは痛いです。毎回、痛過ぎてニードル通す最中もあぁもう嫌だぁとか思いながら通すんですけど、一ヶ月くらい経つとまた開けたくなってまたニードルをぶっ刺します。痛みに依存してるのかもしれないですね。 でもあまり耳に穴開けまくるのも避けたい。もうこれ以上は開けたくないと思っていて、じゃあ次、また開けたくなったときに僕はどうすれば良いのか今から不安になってます。 不安を消すための行為に不安になって、どこにも行けないまま、生きていくのかと考えてまた不安になります。 血を流したいわけじゃなくて、自分を自分に繋ぎ止めていたいだけなんです。腕は二本、脚も二本、胴体もあります。次はどこを、そんな風に考えて怖くなります。

 

僕を僕に繋ぎ止めてくれる人を探しているけれど、そんな人はまだここにはいなくて、どこかにいる保証も無くて、ここはなんて虚しいところなんでしょう。 喪失感も孤独感も消えない今日を、明日も明後日も続けていくしかないのでしょうか?

 

小学生の時に、卒業式から帰ったら父方の祖父が硬くなっていたことや、遊んでいたら父親が切羽詰った様子で迎えに来てそのまま病院に向かい、母方の祖父が死ぬ瞬間を見たこと、クラスメイトが棺の中で花に埋もれているのを見たこと、死というものを知ってしまったことが僕を此の世に繋ぎ止めようと必死にさせます。怖いとは思わなかったけれど、現実感のないあの光景たちが幼い僕の現実に割り込んできたのでした。それがどのようにいまの僕の中、残っているのか自分でもよくわからないのですが、確実に残っていて、消えることはないのだという確信もあります。消えて欲しいわけではないけれど、たまに思い出すと自分もいつか、あの子もいつか、とどうしようもないふわふわとした感情が胸を締めつけるのです。

 

生きている間は生きていなきゃいけないのだ。生きている間に幸せにならなきゃいけないのだ。そんな脅迫概念が僕の中に巣食っていて、だから生きていることを確認したくなるのです。身体に穴を開けて、自分を繋ぎ止めなければ、どこかへふわふわと自分が溶け出していってしまいそうで、精一杯繋ぎ止めるのです。こんな方法しか知らないのが恥ずかしいけれど。こんな生き方しかできないのが悔しいけれど。 明日の僕もこの身体でしかないので、どうしようもないのです。

憂き世話

美咲先生は大学生で、毎週火曜と木曜に僕の家へやって来て国語を教えてくれる。僕は文章を読むのが嫌いで、小説ならまだ少しは楽しいと思えるのだけれど、評論なんて何が楽しいのか分からないし、細かな字が整然と並んでいる様を眺めているとなんだか頭の中がふわふわして、読んでも読んでも、内容が頭に入ってこない。勉強は嫌いだ。なんのために自分がこんなことをしているのか、そう考えると馬鹿らしくなって、そして眠くなってしまう。


美咲先生は本を読むのが昔から好きだったと言っていた。僕には理解できない。本なんて読まなくたって生きていけるし、楽しいことなんて本を読む以外にも沢山あるのに、なんでわざわざ長い時間を消費して本を読むだろうか。
本を読むのが好きな美咲先生は、国語教員を目指していて、大学では文学部に所属しているらしい。
「本って、自分の知らない世界を見せてくれるのよ」
美咲先生はそう言った。自分の知らない世界は、知らないままでも良いと僕は思った。知ってしまえば、それはもう知らない世界ではなくて知識の一部になってしまうだけで、知らなかったことすらそのうち忘れてしまって、そんなことになんの意味があるのだろう。単に賢くなりたいのだろうか。知識豊富な自分に恍惚としたいのだろうか。

それでも先生が熱心に僕の勉強を世話してくれるので、少しずつだけれど、僕は文章を読むことができるようになっている。この前の期末テストでは、前回のテストよりも良い点が取れた。もちろん嬉しかった。だけど文章を読むのはやはり楽しいことではない。

 

美咲先生の耳にはピアスの穴が空いている。先生が僕の家に初めて来た時には空いていなかった。先生の耳にピアスが光っているのに僕が気づいた日、先生は少し悲しそうな顔をしていた。


「先生、ピアス空けたんだね」


もの珍しそうに僕が言うと


「空けちゃったの」


と先生は言った。その顔はやはり少し悲しそうに見えた。


「痛くなかった?」


「痛かった。すごく」


先生が悲しそうな顔をしているのは、きっとピアスの穴がまだ痛むからなのだろうと、僕は勝手に思った。痛いと悲しいよね、そんな風に思った。
しばらくして、先生のピアスがまた増えた。それまで耳朶に一つだけだったピアスが、今度は耳朶より少し上の軟骨と耳朶の境になっているあたりにもう一つ増えた。

「痛いのにまた空けたんだね」


僕は不思議に思った。痛いことなんてしたくないし、ましてやそれを自分から行うなんて僕には考えられない。自分の身体に穴を開けるなんて、怖い。


「痛いからまた空けたの」


先生はそう言った。そこで僕はまた先生が悲しそうな顔をしていることに気づいた。


「痛いのが好きなの? 先生泣きそうな顔してるけど痛いの嫌なんだったら空けない方が良いんじゃないの?」


先生はもう一度、同じ言葉を繰り返した。


「痛いから、また空けたの」

 

僕はいじめられるようになった。国語の成績が伸びたからだ。親は喜んでくれる。先生も喜んでくれる。だけど、同級生たちは気に食わなかったようだった。いままでろくに勉強もできなかった僕が急に成績を伸ばすものだから、みんな悔しかったんだろう。そんなことでいじめは始まるのだ。馬鹿みたいだと思う。でも僕が彼らを馬鹿にしたところで良い方向には向かわないのだろう。いじめってそんなものだ。

最初はなんてことなかった。無視されたり、机に落書きされたり、それくらいのことが続くくらいのことならいくらでも我慢できた。でも、机の中に虫の死骸が入れられたり、上靴がゴミ箱に投げ捨てられていたりしたあたりから僕は我慢できなくなっていった。何をしていても頭はぼーっとしているし、身体は重くて、ゾンビになったような気がしていた。

家に帰って部屋でひとり勉強していると、机の上のペン立てにカッターナイフが刺さっているのが目に付いたので、僕はそれを使って腕を切ってみた。リストカットって話には聞いたことあったのだけれど、まさか自分がそんなことするなんて思ってもいなかったのに、腕を切った。自分のものでないような気がしていた身体が自分の元へ戻ってきたような感覚だった。傷口から血が溢れて、血の雫が腕をつーっと伝って机に落ちた。なぜか美咲先生のことを思い出した。悲しそうな顔。僕はいまどんな顔をしているのだろうか。

 

僕が腕を切った次の日、美咲先生が国語を教えにやって来た。 先生の耳にはピアスが全部で四つ光っている。


「痛いから空けるんだね」


僕が呟くと、先生は少しだけ僕の顔を見つめた後、


「痛いから空けるの」


と言って、問題集を開いた。

演者

人間は地域の中で無意識的に与えられた役を演じている。大学のある講義でそういう話があった。文学的な視点から地域を見るというテーマで行われた講義で、ある小説について教授が解釈し、そこから導き出される論を説明するというもの。学部全体の必修科目だったため多くの学生が受けた講義だった。僕のいる学部は教育、政策、環境、文化の4つの学科で構成されていて、僕は文化学科で日本文化コースを専攻している。日本近代文学のゼミに所属していることもあり、文学に少なからず興味を持っている僕は興味深く話を聞いていたのだが、まわりの学生たちには文学に興味がない人が多いのか「話が分からない」とか「あの人何喋ってるの?」といった声が聞こえてきて、少し切なく思った。


 

文学的な視点から地域を見る、と言ったが、ここでいう「地域」とは単に地方とか都市部とかそういった場所的な意味での「地域」だけではない。例えば、学校。小学校でも、ある中学校と別の中学校では性質が多少異なる。ある中学校は荒れていてトイレに煙草の吸殻が落ちている。教師たちは生活指導に力を入れる。また、ある中学校では生徒の全体的な学力が高く、進学校へと進学していく生徒も多い。このように中学校といっても千差万別で同じものはない。あるいは家族。家族によって、生活スタイルが違うのは当然の事である。晩御飯を20時に食べる家庭もあれば、18時に食べる家庭もある。
生活文化や習慣が同じ人間同士が共存するある範囲、それも「地域」である。その意味で、中学校も家族もひとつの地域と呼べる。


そのような地域の中で人間は自分の意思に関わらず、役割を演じている。という。僕自身は家族の中で長男を演じている。学校の中で学生を演じている。友人関係の中で僕自身を演じている。
そして、そこから逃れることができるのは死んだ時である。人間は死ぬまで何かを演じていくのである。
無意識的に、というのが辛い部分である。僕は長男だから長男を演じようなんて、誰も思わないだろう。もし、長男を演じたくない!と思ったとして、事実、自分は長男であるのだから、長男で居続けることしかできない。


自分の話になるが、僕は「長男だから家を継ぐんだよ」と昔から言われ続けていて、そういうものなのだと思い込んでしまっているようだ。家を継ぎたくないわけではないし別にそれでも良いのだが、一人暮らしをしてみたり、県外に出たいなと思ってみたり、そこから逃れようとしている自分もいて、無意識的に演じながら無意識的にそれに抵抗してしまっていることに気づく。それも全てシナリオで、僕は家族という舞台上で与えられた役を演じているだけである。気づいたところで役を降りることはできない。終幕までは、だが。


 

人間は皆、演者である。人生の終幕の際に多くの花を渡されるのは、撮影が終わった際に俳優が花束を渡されるのと似ているな、と思う。


「ありがとうございました!楽しい現場でした!終わってしまうのが寂しいです!」なんて、笑って言えるような舞台を創る一員でありたいと願う。

憂き世話

お前が死んだって世界は変わらねえよ。ただ少しの数の人間が悲しんで、そしてお前のことを忘れていくだけで、そんなことでは世界は変わらない。だから生きるってのも虚しいだけなら、もう好きにしてしまえばよいさ。お前が死んだって世界は変わらない。いや、でも、あれだな、お前の思ってる世界ってのが何なのか、それによって変わってくるのかもしれないな。お前が変えたい世界は、どこにある? お前の中にあるだろ、多分。世界ってのは無数に蠢いてるから、そのひとつかふたつくらいなら、変えられるのかもしんないな。大抵の人間が世界だと思ってるのはただの外枠なのかもな、外枠変えたところで、その中の絵画がクソみたいな出来栄えのものなら、それこそ虚しいだけだ。お前が綺麗な絵を描いてやれば良いのかもな。そのために死ねよ。

憂き世話

誰かが自分の名前を呼んだような気がして振り返ると、クラスで一番可愛いと言われている女子と目が合った。僕は2秒ほど彼女を見つめていたが、目が合った途端に彼女の眉間にはその端正な顔に似合わぬ、深々とした皺が生み出された。自分のことを不審に思っているのがその表情に現れている。彼女が自分の名を呼んだのではないことは明白であった。


僕は目を逸らして黒板に向き直る。白いチョークで文豪の文章を黒板にでかでかと書き写す国語教師は、白髪と黒髪の混じった頭を手の動きと連動させるようにして揺らしている。


いったい誰が僕の名を呼んだのか。周りを見渡してみても、皆、黒板に目を向けているか、机に顔を沈めて眠っているかのどちらかで、この中に僕の名を呼ぶ理由をもった人間がいるとは思えなかった。それは当然のことでもあるように思える。僕の名を呼んで何の意味があるのだろうか。僕はいじめられているわけでもなく、クラスの中心で騒ぐほどの気概もない。強い人間が弱い人間に、理不尽な敵意を向けるのをただ傍観して、日々を過ごしている。強い人間は、強い。誰もが彼らを見上げているように思える。裏で文句を言う奴もいるが、当人を目の前にすると、にこにこと笑みを浮かべている。弱い人間は教室の隅に影を潜め、1日が平穏の内に終わっていくことを望んでいる。ただし、その心の中には平穏なんかではなくて、平穏のふりをした不安や恐怖が巣食っている。僕は強い人間でも弱い人間でもない。ただ、ここにいるだけの人間だ。誰からも見られることはない。弱い人間は、見られることで弱い人間として生きていくことができるが、僕は誰にも見られない。筆箱の中のペンのようなもので、普段は気にもかけず入れっぱなしにしているくせに、無くなった時だけ少し気にかけて探してみるのだ。探して見つからなかったら、まぁいいか、なんて新しいペンを買って、僕は忘れられてしまう。無くなったことにすら気づかれない場合もある。そんな存在。


「修治」


教師の体の向こう、白い文字で埋め尽くされた黒板の中ほどに僕の名前が書かれていた。あぁ、そうか。この教室には僕の名前を呼ぶ人間なんて一人もいない。