憂き世話

朝、目が覚めると隣に彼女が眠っている。朝は気分が良い時と悪い時がある。今日は少し気分が良い朝だ。僕はテレビのリモコンを手に取り、電源ボタンを押した。画面の中では、先日この町で起きた女子大生失踪事件について様々な議論が交わされている。警察は女子大生が事件に巻き込まれた可能性も視野に入れて捜査を進めているらしい。

小鳥の声とテレビの音、それと時折道路を走る車の音だけしか聴こえない静かな部屋の中で、僕は画面の中の彼女の笑顔の写真をぼーっと眺めてから、食パンを焼いた。白い壁に、レースカーテン越しの光が不思議な影を映している。頭の中では眠気が変な模様を描いている。オーブンがチンッ、と間抜けな音を立てる。焼きあがったパンには賞味期限が切れて少し経っているピーナッツクリームを塗った。賞味期限が切れているからといって、味は特に変わらないと僕は感じる。パンを食べ終わって歯を磨きながら時計を見るとバイトの時間が迫っていたので、急いで支度をして家を出た。
 
バイト先のコンビニは何故か人の入りが悪く、暇な時間が多い。暇な時間には、バイト同士で世間話をする。サボっているわけではない、暇なだけだ。
「最近は、この辺も物騒だね。」
スマートフォンをいじっていたバイト仲間がそう切り出した。おそらくネットでニュースでも見ていたのだろう。
「この前も通り魔事件とかあったし、今も女子大生が失踪したって騒いでるし。たしか先月も隣町のコンビニに強盗が入ったよね。ここのコンビニじゃなくて良かったわ。」
確かに最近、この町周辺で幾つか物騒な事件が起こった。ただ、通り魔事件もコンビニ強盗も犯人は逮捕されたらしいので、そんなに心配する必要もないだろう。たまたま、同じような時期に同じような場所で物騒な事件が起きただけだ。
「お前も変な事件に関わらないようにしろよー。死んだ目しやがって。」
僕がそいつに向けて軽口をたたいていると、客が入ってきた。なのでその話はそこで終わった。
 
夕方、バイトを終えた帰り道、パトカーが横を通り過ぎていった。
 
玄関のドアを開けると部屋の電気が点いていた。不思議に思ったが、そういえば今朝は急いで家を出たので消し忘れていたのだろう。冷蔵庫からコーラを取り出し、テレビを点ける。コーラは数日前に開栓して途中まで飲んでいたもので、炭酸が抜けていて美味しくない。甘くて黒い液体、成分もよく分からない液体が喉を下っていく。男性アナウンサーが淡々と原稿を読み上げている。若者が政治離れしていること。有名女優が緊急入院したこと。山の中で男性の遺体が見つかったこと。行方不明の女子大生のものとみられるスマートフォンが川の中から見つかったこと。
 
僕らは何故生きているのか。そんなことを誰もが一度は考えたことがあると思う。しかし、その問いの答えを見付けた人は果たして何処かに存在しているのだろうか。少なくとも僕の周りでは聴いたことがない。何故か生まれて、何故か生きていて、何故か苦しい。と誰もが言う。
彼女はどうだったのだろう。失踪した彼女は。何を考えて生きたのだろう。世の中に悲観してはいなかっただろうか。それとも、世界は素晴らしいと歌う様に生きていただろうか。問いの答えはそこに在ったのだろうか。
 
明日は燃えるゴミの日だった筈だ。日が暮れて暗くなったら、玄関の隅に溜まっているゴミを出そう。夜になったら、分からなくなった答えごと海に沈めてしまおう。夜は何もかもを飲み込んでくれる。
 
あの時、彼女は生まれることができて良かったと言っていたのだった。