憂き世話

彼が会いに来てくれた。彼は温和な人で、私は彼の怒った姿を見たことはなかった。私にまだ心を許してくれてないのか、と不安になったこともあるけれど、彼の幼なじみですら彼が怒っているのを見た記憶がないという話を聞いて、あ、彼はそういう人なのかと安心した。私が入院していた時には、毎日お見舞いに来てくれて、私が好きでよく買っている、あのコンビニの、あのプリンを毎回持ってきてくれた。毎日買ってくるものだから、少しだけ飽きてしまったのは秘密。私の毎日は彼に支えられていたのだと、今でも思っている。

彼とは久しぶりに会った。
なかなか会えなかったのには、彼なりの理由もあるだろうし、私にも非があるので、どちらのせいというわけでもない。ただ、そういう運命だったんだな、と思うことにしている。
髭を生やすことにしたらしい彼の顔は、昔より少しだけ痩せたように見える。それでも、話し方や仕草で彼の中身はあの頃と同じなんだと感じることができる。ふと、今の私は彼の目にどう映るのだろうか、と不要な心配をしてしまう。
彼は、あのコンビニの、あのプリンを、今日も買って来てくれた。時間が経っても、私の好きだったものをまだ覚えていていてくれたことに少し驚く。

蝉の声が五月蝿い。
「ありがとう。」と言ってはみたものの、聴こえなかったのだろう。彼は少しだけ寂しそうな表情をして、私と逆の方向へ振り向き、歩き始めた。彼の背中がゆっくりと遠ざかっていく。

次は、いつ会えるのだろうか。私は少しだけ期待してしまう。

彼の姿が小さくなる様子に、私も寂しくなって泣いてしまった。頬から落ちていった涙は空を切って、何処までも何時までも消えることのない空白へと滑り込んでいく。
あぁ、どれだけの年月が過ぎてしまっても、彼が私の事を覚えていて、皺の寄った手で、あのコンビニの、あのプリンを買ってきてくれるだろうか。その頃には、もう、販売中止になっているかもしれないけれど。
あぁ、彼がもしも私の事を忘れてしまっても、それでも、彼が彼のまま何時までも安らかな心のまま生きていければ、それで良い。