大人感

ふとした時に、沸々と湧き上がるこの嫌な感情の名前は何というのだろう?というか、名前のある感情なのだろうか?考えたところで答えなど誰にも分からない。もし分かるとしたら、それは、それを抱えている僕自身にでしかありえない。
いつもいつも、考えている。僕は何者なのだろう。昔から、大人びていると言われている僕は、大人が僕を見る目がどうしても嫌いだった。大人びていたらしい僕に、大人は何かと頼み事をするのであった。あの子とも遊んであげてね、君には期待しているよ、君がクラスをまとめるんだよ、みんな君のことが好きだから、そんな風に。
保育園に通っていた頃、友達が、鳥の羽根を無くしたと言って探し回っていたことがあった。僕は、その子が羽根を探すのを手伝っていた。先生がやってきて、ご飯の時間だからこっちに来なさい、と言った。僕は、羽根を探しているから待ってくれ、そんな風なことを言った。羽根なんていいから、早く来なさい。先生は叱る様な口調でそう言った。
子どもの考えていることなんて、大人にとっては稚拙な思考でしかない。子どもが真剣に悩んで真剣に紡ぐ言葉も、大人にとっては「子どもの言葉」でしかない。何を考えていて、何を喋っても、僕は子どもでしかない。それを悟った。それからは、僕は自分の思っていることを言えなくなってしまった。僕は自分を潰されるのが怖かった。僕の口から飛び出した僕の言葉が、まともに聞かれることもなく、ただ地面に落下して、そのまま腐っていくような、そんな気がしていた。
大人びて見られていたのはそのせいかもしれない。
そして、僕は大人にどれだけ褒められても、喜ぶことができなくなった。だって、大人は僕を子どもとしてしか見ていなくて、褒めれば言うことを聞くと思っていて、僕は子どもでしかなかったから。そんな屈辱を味わうくらいなら、見られていない方が良いと思った。僕は自分を押し殺して、生きていた。
大人、と言われる年齢になったが、自分を押し殺してきたせいで、自分でも自分が分からなくなってしまった。身体は確かに見覚えのあるものだが、その中に巣食う生き物が果たして自分であるのか、分からない。知らない間に喰い潰されていた。僕を内から喰い潰したのは僕自身で、僕を生んだのは紛れもなく大人達である。僕も大人になってしまった。無邪気さの塊の様な小さな子どもを見ていると、なんだか謝りたくなる。ごめんね、僕は大人になってしまった。君が君を飲み込むいつかの日を、僕が創り出してしまうのかもしれない。ごめんね、

感情は自分。自分は感情。押し殺された感情は、形をなくして、溶けていく。それを餌に醜い生き物はぶくぶくと太っていき、そして死んでいく。僕に名前は無い。