ピアスを開けるのは完全に自己満足です。べつに誰かに見られたいとか、お洒落したいとかそんなんじゃなくて、自分の身体を自分のものだって確認するための行為。自傷行為。腕を切ることにはまだ抵抗があって、というか腕を切るのはあらかさま過ぎる気がするのと、自分の中で合法的ではないので罪悪感がまだ勝っているから、腕は切らないのですね。

 

耳に穴を開けるのは痛いです。毎回、痛過ぎてニードル通す最中もあぁもう嫌だぁとか思いながら通すんですけど、一ヶ月くらい経つとまた開けたくなってまたニードルをぶっ刺します。痛みに依存してるのかもしれないですね。 でもあまり耳に穴開けまくるのも避けたい。もうこれ以上は開けたくないと思っていて、じゃあ次、また開けたくなったときに僕はどうすれば良いのか今から不安になってます。 不安を消すための行為に不安になって、どこにも行けないまま、生きていくのかと考えてまた不安になります。 血を流したいわけじゃなくて、自分を自分に繋ぎ止めていたいだけなんです。腕は二本、脚も二本、胴体もあります。次はどこを、そんな風に考えて怖くなります。

 

僕を僕に繋ぎ止めてくれる人を探しているけれど、そんな人はまだここにはいなくて、どこかにいる保証も無くて、ここはなんて虚しいところなんでしょう。 喪失感も孤独感も消えない今日を、明日も明後日も続けていくしかないのでしょうか?

 

小学生の時に、卒業式から帰ったら父方の祖父が硬くなっていたことや、遊んでいたら父親が切羽詰った様子で迎えに来てそのまま病院に向かい、母方の祖父が死ぬ瞬間を見たこと、クラスメイトが棺の中で花に埋もれているのを見たこと、死というものを知ってしまったことが僕を此の世に繋ぎ止めようと必死にさせます。怖いとは思わなかったけれど、現実感のないあの光景たちが幼い僕の現実に割り込んできたのでした。それがどのようにいまの僕の中、残っているのか自分でもよくわからないのですが、確実に残っていて、消えることはないのだという確信もあります。消えて欲しいわけではないけれど、たまに思い出すと自分もいつか、あの子もいつか、とどうしようもないふわふわとした感情が胸を締めつけるのです。

 

生きている間は生きていなきゃいけないのだ。生きている間に幸せにならなきゃいけないのだ。そんな脅迫概念が僕の中に巣食っていて、だから生きていることを確認したくなるのです。身体に穴を開けて、自分を繋ぎ止めなければ、どこかへふわふわと自分が溶け出していってしまいそうで、精一杯繋ぎ止めるのです。こんな方法しか知らないのが恥ずかしいけれど。こんな生き方しかできないのが悔しいけれど。 明日の僕もこの身体でしかないので、どうしようもないのです。