旅先で恋人がイヤホンを落としてしまって、馬鹿だなぁなんて思っていたら自分も買ったばかりのイヤホンを落としてしまって馬鹿だ。帰りのバスの中、100均の腐った水面に腐った桃を叩きつけるみたいな音質のイヤホンで音楽を聴きながら、これを書いている。おれの最高の休暇が終わる。
恋人は明日から友人たちと遊びに行くとのことで、逆方向の電車に乗ってどっかに行った。楽しんでこいよ。無事に帰ってこいよ、方向音痴。
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ホテルまでの道を確認しようと、ホテル名でググってみると「〇〇ホテル 幽霊」「〇〇ホテル 事件」とか物騒な予測変換が出てきた。恋人はそういうのがめちゃくちゃ苦手なので、普段そういうホテルには絶対に泊まらないようにしているのだけれど、今回は直前に急いで宿を決めたせいで安さだけ見てしまい、そういった噂があるかどうかを確認するのを忘れていた。
なので、恋人がホテル名を検索してしまい、これから泊まる場所がそういったホテルだということを知ってしまうのを避けることに必死になる。恋人が「地図調べてあげようか? なんていうホテルだっけ?」とか親切心で言ってくれているのに「大丈夫、おれの携帯の方が充電多いから任せてくれ」とか言って男らしい感じを演出しつつ、なんとか誤魔化し誤魔化しホテルまで辿り着く。安くて古いホテルだった。べつに幽霊なんて出なかったし、恋人もわりと気に入っていたので良かった。もし恋人にホテルの噂がバレてたら、幽霊じゃなくて恋人に恨まれてただろうなぁと思う。
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京都のとある喫茶店に行った。ホールの女の子は綺麗な子で、働き始めたばかりなのか、レジを打ち間違えたり、金額を計算し間違えたりしていた。その店のレジは見るからに古い型のレジで、打つのが難しいんだろうな、と思う。慣れない接客に慣れないレジ打ちに大変だよな、と思う。みんな生活をするために、なんとか頑張って働いて金を稼いでいる。知らない街の知らない店で、知らない女の子がこうやって必死に仕事を覚えている。
女の子が運んできてくれたコーヒーを飲みながら、頑張ろうな僕たち、なんて心の中で話しかけてみる。
相席のおっさんがピースを吸っている。おっさんが読んでいる新聞に水着姿の女の写真がデカデカと印刷されたエロい記事。別の席にはカップル。読書をする青年。数人の女に囲まれた態度のデカいスーツ姿の男。
誰もがそれぞれに生活をしている。
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すれ違う人、人、人、たまに犬、猫、人、人、人。
全ての顔が違って、全てに違う生活がある。おれはその誰も知らないし、誰もおれのことを知らない。今ここでおれのことを知ってるのは隣の恋人だけで、恋人のことを知っているのはおれだけだ。
それぞれに過去とか現在とか未来とかが重くのしかかってることを考えて、途方も無く苦しい。
人混みに溶けて、一生こうして二人、匿名の誰かとしていたい。そう思う。誰にも知られなくていい。風景の一部になる。
おれたちのことを放っておいてくれ。
誰も何も邪魔をしないでくれ。
街中でキスをする。
誰もおれたちのことを知らないし、興味も無い。
だから、街中でキスをする。
匿名の二人の生活が、匿名の二人にとって掛け替えのない生活であることなんて誰も想像しないし、興味が無い。
だから、街中でキスをして、二人のどうしようもない日々を繋ぐ。
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大阪に行ったときにいつも泊まるラブホテルを当てにして宿もろくに考えずにそこに向かったら、そのラブホは潰れて解体作業中だった。安くてわりと快適だったのに、残念。
適当に調べて適当なラブホに泊まる。
ラブホの風呂は広い。ベッドもデカい。部屋も広い。そして普通のホテルより安い。電マもコンドームも平然と置いてある。ラブホはコスパが良い。
困ったらみんなラブホに泊まればいいと思う。しいて言えば、予約ができないのが不便だけれど。
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土日が明ければ、また仕事。生活のために金を稼ぐ。金を稼ぐために、色々な面倒くさいことや嫌なことや考えたくないことに真剣に向き合う日々。
クソみたいな日々。
明日のことは分からないけれど、明日の予定に縛られている。
誰もがクソみたいな日々をクソみたいな気持ちでなんとか生き延びている。
おれは匿名で有れる瞬間を生き甲斐にして、クソの中を泳いでいる。
例えばネットはそういうとこだし、そういうとこが無ければ、生きていくのも困難なクソな世の中。
おれの最高の休暇が終わる。
所属して、役割を担って、縛られて、疲れて帰って酒を飲んで寝るだけの日々に戻る。そうじゃないと生きていけないらしいから、不本意ながら、戻る。