憂き世話

普段は家にこもっていたいと思っているくせに、いざ「外に出るな」と言われると、なぜだか無性に外に出たくなるのは、私だけではないはずだ。人間は誰しも心の中に天邪鬼を飼っている。心の中の天邪鬼たちも、政府からの自粛要請を受けて、天邪鬼だから、外へ出たがっているのだろう。

 

 

レースカーテン越しの春の陽射しが、フローリングに暖かな模様を描いている昼さがり。普段より時間をかけて淹れたコーヒーを、地元の窯元で買った少し良いマグカップで飲む。私は熱い液体を飲むのが昔から苦手で、一口目を口に入れるその三回に一回は舌先を火傷する。今回は火傷しなかった。よし、順調。

さて、家から出ることができないとなると、油断をすれば、スマートフォンの画面を睨み続けてしまう生活になりかねない。家から出ることなく如何に充実した一日を過ごせるか、それを思案することが自粛中の自分にできる唯一の楽しみである。

 

 

今日は本を読むことにする。

買ったまま読まずに積み上がった本の山が本棚とスチールラックとの間の四〇センチほどの隙間に、どっしり構えている。本棚はとっくにキャパオーバー、それなのについつい増やしてしまう本たちが群れている幸せな山。本当は、新しい本棚が欲しいけれど、本棚を買うならそのお金で本を買いたい。それに本棚を新しく置くスペースもない。私は、直木賞よりも芥川賞が好きで(理由は自分でもよくわからない)、歴代受賞作を買い漁るのが趣味なのだけれど、読むスピードがかなり遅く、また、所謂「ゾーン」に入らないと読み進めることができず、大抵は読み始めても「ゾーン」に入れず数ページで本を閉じてしまうという、めっぽう読書に向かない性格の持ち主なので、歴代受賞作が続々と買い揃えられつつあるものの、未だに読んだ作品よりも読んでいない作品のほうが多い。つまり、そういうわけで、さっき「買い漁る」のが趣味と言ったのだ。

山の中腹、富士山でいうと七合目あたりに、川上弘美の「蛇を踏む」の文庫の背表紙が見える。私はこの作品が好きで、何度も読んだ。何度も読んだけれど、何度読んでもさっぱり分からない。そのさっぱり分からなさがなんとも気持ちよくて、何度も何度も読み返しては、毎度唸っている。川上弘美は自分の書く物語を、うそばなし、と呼んでいる。「うそ」の国は、「ほんと」の国のすぐそばにある、とも言っている。「蛇を踏む」には「消える」と「惜夜記」という作品が併録されていて、「惜夜記」は、夏目漱石の「夢十夜」の影響をもろに感じる構成で書かれている。掌編の集合体としての短編、というか。

七合目から「蛇を踏む」を抜き出す。そこに「蛇を踏む」分の隙間が生まれる。私は無造作に本を重ねているわけではない。ちゃんと、崩れないように、本の抜き差しをやり易いように、考えて重ねているので、一冊抜き出したくらいでは、この山はビクともしない。危なっかしい子供の頃によく遊んだジェンガとは違って、しっかりしたバランスで、この山は立っている。

ページを捲って、数行読んだところで、今日は「ゾーン」に入れそうだと気付く。そして、突入する。

「蛇を踏む」のあとがきに、

「ここに収められた三篇の「うそばなし」は、1995年の後半から1996年の前半にかけて書いたものです。」

という記述がある。大好きな作品が、自分が生まれたのと同じ頃に生まれたのだという事実があるだけで、こんな世界でも悪いことや悲しいことばかりではないのだ、と安心できる。

「蛇を踏む」を、本の山に空いた一センチにも満たない隙間へ戻す。オレンジ色の背表紙が、隙間を埋める。

 

 

数時間ぶりにスマートフォンのロックを解除して、SNSアプリを開く。画面の中を流れる言葉の川。そのひとつひとつに大小様々な想いが込められていることを考える。言葉を発するのは人間だ。言葉は自然発生しない。三密を避けなければいけない状況で外を出歩けない分、SNSに費やす時間が増えたことによって、画面の中、人々の思考は普段の数倍の密度で絡み合っている。濃厚接触だ。

とはいえ、文字だけでは実感が湧かないのも当然で、目に入る文字の羅列から、それを組み立てた人の顔だったり身体つきを想像することはできても、やっぱりそれは想像でしかなくて、その人のことなんてさっぱり分からないので、自分が向き合っているのは四角い電子機器でしかないように感じてしまう。実体のない沢山の誰かは、果たして本当にこの日本の何処かに存在しているのだろうか。でも、この画面の向こうの誰かにとっては、自分も沢山の誰かの中のひとりで、私はたしかにここに存在していて、だから、たぶん、私にとっての沢山の誰かは、ちゃんとそれぞれ、そこに、たしかに存在しているのだろう。

それに、いま、世界と繋がる術は、この小さな長方形の端末にしか見出すこともできない。小さな部屋で、私はひとりだけれど、ひとりではない。

でも、スマートフォンの画面を一日睨み続けるのは嫌だ。なぜって、肩がこるから。首の骨が歪んじゃうから。

 

 

夕方は、一日の中で最も好きな時間だ。夕方の光は優しい。その光の傾き方、それに照らされるビルや街路樹の影、世界が最も美しく見えるのは、夕方。異論は認めない。こんなに晴れているのだから、散歩に行きたい。でも、行けない。いや、行こうと思えば、行ける。要請なんだから、強制じゃないんだから。私の天邪鬼も外へ出たがっている。いや、ダメだ。私はこれから映画を観る。冷蔵庫にはお酒も買ってある。自粛要請を受けて、アマゾンプライムにせっかく加入したんだから。私は善良な国民でありたい、わけじゃないけど、例えば友達や家族、同僚、近所のおじいちゃんやおばあちゃん、アパートの廊下でよくすれ違う家族、そういう私の日々にとってかけがえのない人々に対して、善良でありたい。

冷蔵庫から、缶ビールを一本取り出して、プルタブを引く。ぷしゅっ、と長い夜が始まる音がした。