憂き世話

 

六月二日、曇り

 

 

 寝室の電灯はずいぶん前に力尽きてしまって、しかし、寝室なので特に不便も感じず、長い間、取り替えずに放置している。寝るだけの部屋に、灯りはいらない。暗い部屋の中、布団にくるまって色々なことを考えるのが日課になってから何年が経ったのだろうか。目を閉じても開いても黒しか見えない眠りに落ちるまでの数時間が、いつの間にか救いになってしまっている。私の生活には眠りにつくまでのその暗闇が必要で、それは言うなれば子守唄のようなもので、幼い頃に母を亡くした私の、母親代わりの安寧なのだろう。暗闇に包まれて自分の拍動に集中していると、自分に命があって、それが続いていることへの安堵と不安が同時に私を襲う。規則的に繰り返される心拍に時計の秒針を想起する。動いているものは、いつか必ず止まってしまう。

 

 あの日、病院に駆けつけると、もう父さんの心臓は止まってしまっていた。病室のベッドの横に看護士さんが立っていて、私が来ると、

「搬送された際に、お父様が身につけていたものです」

と私に父の鞄を渡して、医師を呼んできますね、と言ってそそくさと出ていった。

 看護士さんに渡された鞄の外ポケットが膨らんでいた。ポケットの中には搬送中に外されたのだろう父さんの腕時計が入っていて、もう進むことのない父さんのための時間を刻み続けていた。秒針が振れる度に、少しずつ、父さんと引き離されていくような気がして、リューズを引いて、針を逆向きに回し、父さんの心臓がまだ動いていたであろう時刻まで戻してみた。リューズを押し込む。動き始めた秒針が、虚偽の時間を刻み始めた。もちろん、父さんの心臓は止まったままだった。

 しばらくして、看護士さんが数人と医師が病室へやって来た。医師は私の顔を見ると、こんにちは、と小さく頭を下げた。その後、ベッドに横たわる父さんに近付いて、父さんの左手首に指を当て、動いているはずのない脈を計った。そして、胸ポケットからペンライトを取り出し、左手の親指と人差し指で父さんの瞼を開いて、ライトで眼球を照らし、瞳孔が収縮しないことを確認して、

「五月二十日、午後四時二十八分、ご臨終です」

 こちらを振り返り、今度は深々と頭を下げた。

 

 父さんは、いつもどおり出ていって、なのに、いつもどおりには帰って来なかった。病院で聞いた父さんの死因は、急性の心筋梗塞だったか脳梗塞だったか、とにかくどこかの血管に大きな血栓が詰まったという、そういう説明を受けたけれど、あまり詳しくは覚えていない。

 

 父さんの葬式は、親族だけで執り行った。家族葬というやつだ。親族と言っても、母さんも父さんの両親もずいぶん前に亡くなっているし、父さんに兄弟はいないので、私と、母さんの姉さん、つまり伯母と、伯母の旦那さんと、父さんの従兄弟夫婦とその両親という本当に少ない人数しかいなかった。

 葬儀場は、父さんが生前に互助会に入っていた関係ですぐに決まったし、家族葬だったので父さんが互助会に積み立てていた積立金の満額と少しの支払いで済んだ。父さんは、まだ一般的に死ぬには早い年齢だったのに、自分が死んだ時のための準備をしてくれていて、なんだか笑えた。笑えたけど、同じくらい、泣けた。

 火葬場で食べた弁当は、高級な感じがして美味しかった。父さんが焼けていくのを待つ間に、豪華な弁当を食べて生を繋ぐ自分が意味もなく滑稽に思えた。食べ終わってから時間があったので外に出てみたけれど、映画やドラマでよく見る長い煙突なんて見当たらなくて、空に高く流れていく煙を眺めて、父さんさようなら、なんて感傷に浸ることもできなかった。父さんを焼いた煙は施設内で綺麗に濾過されて排気されるのだろう。

 喫茶スペースで紅茶を飲んでいたら、係員さんが父さんの焼き上がりを教えてくれた。なんだか、父さんが手順どおりに調理されていくみたいで悲しかった。そんなことを考えてしまって、美味しく食べた弁当の味を思い出して、不意に吐き気に襲われた。お手洗いまで走って、便器の中にさっき食べたものを吐き出した。様式の便座の高さは、しゃがみこんで顔をうずめるのに丁度良く、吐瀉物を受け止めるために作られたのではないかとすら疑うほどに、嘔吐に適した形状をしていることに気づく。こんな時にすら、そのようなくだらないことばかり考えてしまう陳腐な思考回路しか持ち合わせていない自分が悲しくて、私は泣いた。でも、たぶん本当は、父さんの死が悲しかったんだと思う。自分の感情もろくに分からない陳腐な脳味噌だから、今になってそのことに気づく。

 父さんの骨の欠片たちは、白かったり、黄色かったり、灰色だったり、黒だったりした。白磁の壺の中に、足の方から頭に向かって、順番に父さんが収められていく。足から納めていくのは壺の中で生前と同じ形になるようにするためなのです、と係員さんが話した。腕の骨を入れる段まできて、係員さんが、二の腕辺りの長い骨に、異様に太くて大きな箸を横向きに宛てがって、ぐっ、と力を込めた。

「このままじゃ、壺に入らないので少し小さくさせていただきますね」

 硬めのスナック菓子を思い起こさせる、重量感のない乾いた響きが、誰かのすすり泣きと混ざり合って鼓膜を揺らした。

 係員さんが、仏様が座っている形をしているから喉仏と言うのです、と説明をしながら、父さんの首だったであろう辺りから小さな骨を拾い上げた。小さな仏様が箸の先に抓まれていた。滅多にないほど綺麗な仏様ですよ、という係員さんの言葉に、ぷつっ、と私の中で変な音がして、自分の意思なんて関係なく喉から声が漏れ始めて、さっきお手洗いの個室で必死に止めて、なんとかそのまま止まってくれていた涙が、堤防が壊れたみたいに一気に溢れ出して、もう、どう頑張っても止まらなくなってしまった。隣に立っていた伯母さんが、泣きじゃくる私を、まるで自分の娘であるかのように抱きしめてくれた。

 

    父さんが死んでしまってから、落ち着かなくて、自分の感情とか感覚とか、持て余してしまっている。だから、それらを何とか外へ排出して、身体を、頭を、軽くしたくて、日記帳を買ってみた。そして初めて、まだ手垢も折り目も皺もついていない新品の日記帳を開いて、汚い字で、頭から指先に流れ出ていくものをそのままシャープペンの芯で紙面に擦りつけているわけだ。

 日記を書こうと思っていたのに、今日の出来事なんて一つも書かないまま、筆を置こうとしている。これは日記じゃなくて、備忘録だ、ということにしておく。まだ一日目なのに、もう書くことに満足してしまった。そして、私は怠惰なので、明日またこの日記帳を開くか開かないか、それは五分五分の確立だ。明日開かなければ、明後日も開かないだろう。でも、せっかく買った日記帳なので書かないと勿体ないな、なんて、ふと思い立って、何日かに一回は開いてみるのだろう。開いても書くことがなくて三行で無理矢理終わらせたり、酷いときは書く前に筆を置いたりするだろう。不定期に気が向いたときに書くのだから、やっぱりそんなものを日記とは呼べないだろう。