憂き世話

 

 父さんはいつも私に言った。

「お前は、母さんによく似てるな」

 母さんが死んで、父さんとふたりで暮らし始めてからというもの、周りに頼れる人もいない私の生活は父さんと二人で閉じていた。

 

 幼稚園の迎えはいつも七時を過ぎてからだった。五時を過ぎると先生たちは、一人、また一人と姿を消していった。園長先生と二人きりになった園内で絵本を読んでもらったり、積み木遊びに付き合ってもらったりしていた。ある日、父さんが迎えに来たので、ロッカーの前で鞄を肩にかけていると、遠くから父さんと園長先生が何か言い争っている声が聞こえた。男の人と女の人が言い争う声を聞くと、あの家に住んでいた時のことを思い出してしまって、怖かった。私はその場で、じっ、と声が止むのを待った。声が聞えなくなってから十秒ほど待って、玄関へ歩いていくと、いつもと変わらない笑顔で園長先生が、まーちゃんさようならね、と声を掛けてくれた。父さんは、早く帰るぞ、と私の手を強い力で引いた。父さんが引っ張るから、靴を上手く履けなくて、踵を踏んだまま歩き始めた私に、もう一度、園長先生が、さようなら、と言ってくれたけれど、私は振り返ることもできずに、父さんの背中を見つめたまま、先生さようなら、とわざと元気良く叫んだのだった。

 

 小学生になった私に父さんは家の鍵を渡してくれた。学校から帰って、自分で家の鍵を開けて、父さんが仕事から帰って来るのを待つ。所謂、鍵っ子というやつだった。

 高学年になると、自分で料理をしてみるようになった。土日に、近くのスーパーに父さんと一週間分の食材を買い出しに行った。学校から帰ると、冷蔵庫の中身を確認して、作れそうなものを作った。レパートリーはあまり多くなかったので、月に何度も同じものを作ってしまっていたけれど、父さんは、お前は本当に母さんに似てるなあ、と笑って食べてくれた。幼い頃はそれが当然だったので何とも思っていなかったけれど、今思えば、毎週月曜日と土曜日は肉じゃがの日で、火曜日はカレーの日、と我が家では決まっていたのも、母さんの料理のレパートリーが少なかったからだろう。母さんは不器用だった。ちなみに私の得意料理は、肉じゃがだ。

 

 中学三年の夏休み。無駄に多い課題に対する憂鬱を部屋の中に充満させながら、その上に、受験勉強についても真剣に考え始めなければいけないという青臭い憂鬱を抱え込み始めるくらいの微妙な時期。だらだらと勉強をしていると、気づけば時計の針は深夜一時を指していて、さすがに眠くなった私は、寝る前に、とトイレに向かった。

 父さんと二人で住んでもう十年近く経つアパートは、キッチンとリビング、父さんの寝室と私の部屋、和室が一部屋という間取りだった。玄関を入ってすぐ右側にトイレがあって、その奥が風呂場、その向かいが父さんの寝室になっている。私の部屋は、リビングの奥だ。

 リビングを抜けて、廊下を歩く。億劫なので電気は点けない。数秒もすれば目は暗闇に慣れてきて、徐々に自分の進行方向に存在する家具やドアの輪郭が浮かび上がってくる。それらにぶつからないように、ゆっくりと進む。父さんは寝ているはずだから、足音を立ててはいけない。つま先で歩く。悪いことをしているわけではないのに、なんだか悪いことをしているような気がしてくる。

 用を足して、下着とズボンを履いて、ドアを開くと、暗闇の中に父さんが立っていた。音を鳴らさないように細心の注意を払ったつもりだったけれど、生き物が動く気配を感じて目が覚めたのかもしれない。

「起きてたのか」

「うん、もう寝るよ。おやすみ」

 父さんと狭い廊下ですれ違おうとした時、父さんの腕が私の腰に回された。もう片方の腕が、首と胸の間くらいの辺りを通過して、父さんに背後から抱き寄せられる形になった。肩の上にあった父さんの右の手のひらが、ゆっくりと、蝸牛が岩の上を這うようなぬめり気を感じる速度で、乳房に向かって降りてきた。眠る時に私は下着を着けない。乳房の先の突起が、薄い布地を持ち上げている。その先端に、父さんの小指の側面が、擦れた。

 

「お前は」

 

 父さんの低い声が耳のすぐ後ろで、生ぬるい吐息とともに吐き出された。背中に父さんの腹部が密着している。父さんの体温が、私に浸透し始めて、背中が熱を帯びる。反対に、私の体温も父さんに浸透しつつあるのだろう。混ざり合った体温は、きっとそれぞれ単体のそれよりも高い温度に達していて、だから、背中だけではなく身体全体が熱く火照り、そして、私は自分でも未だになぜだか分からないけれど、その時、笑ってしまった。私の含み笑いの後ろで、

 

「本当に、母さんに、よく似てるな」

 

 父さんは泣いていた。