2019/06/08:雨

明日は試験だ。勉強をしようと参考書を開いて、眺めて、飽きて、スマホをいじって、参考書を眺めて、飽きて、スマホをいじって、を繰り返している。もう夕方だ。今日は天気が悪くて不快。

 

1ヶ月くらい前に「愛がなんだ」っていう映画を観た。あれを観てから心の中で何かが引っかかっているような気がする。1ヶ月経ったけど、何が引っかかってるのか未だに分からない。愛なんてもの、本当に存在するのだろうか。愛に見せかけたエゴとかなら、そこら中の男女の間に溢れてるんだろうけど。

 

愛されたいわけじゃないと思ってたし、愛してあげたいと思ってたけど、そのどちらも間違いだったのかもしれないなぁと、最近は考えている。

愛してもらえなくても、とりあえず一緒にいてくれればいい。僕があの子を思い切り愛して、不安なく生きていけるようにしてあげたい。そうなれば1番良いとは思う。

でも、愛を差し出し続けても、それをなんてことないものみたいに、当然でしょう、みたいな顔で受け取られ続けると、なんだかおかしくなってくる。与え続けるだけじゃバランスがおかしくなってくる。

知らない間に与えられてたものとか、もちろんたくさんあるんだろう。それに気付けないで文句ばっか言ってる僕は、自己中心的な人間なんだろう。結局、見返りを求めて動いてるだけだ。愛されたくて愛してる。超ダサい。

それに、僕が愛として差し出し続けていたあれは愛なんかじゃなくて、自意識優越感傲慢怠惰罪悪感嫉妬独占欲etc.をグチャグチャに詰め込んでミキサーで砕いて「愛」の形した型に流し込んで冷凍庫で一晩固めたみたいな感じの何かだったってこと、薄々気付いてた。

そんなもん渡され続けても困るよな。だって見た目は愛でも蓋開けてみたら汚い塊なんだもんな。

でも、僕はそれしか渡せない。僕の精一杯は、それ。

あの子は、いつも蓋開けてくれてんのかな。蓋開けずにそのまま置いてるんだろうか。開封するのが勿体無いって、大切に大切に置いてくれてるんだろうか。もしも、そうだったら嬉しいけど悲しい。早く開けて欲しい。

もしも、毎回ちゃんと開けてくれてるなら、それなら良い。

どれだけ考えても、これまで渡してきた「愛」たちの蓋が開いてるのか開いてないのか分からない。

 

「分かり合う」なんて幻想だ、って誰かが言ってたな。誰だっけ。

 

このままじゃ、明日の試験に受かる気がしない。やる気スイッチなんてどこにもないし、楽な生活なんてここにはないし、欲しいものは手に入らない。それが人間として生きるってことです。クソみたいだな。

 

頭の中がまとまらない。