雑記

特に目的など持たずにつらつらと書き始める。が、同時に僕は、目的など持たない、という目的を持ってしまっている。矛盾はそこかしこに生まれ出でて、僕たちは矛盾の氾濫の中を泳ぐ泳ぐ。溺れ死んでしまうまで。

 

 

「書き始める時には何も考えていない」「物語が進むのに任せる」「推敲はするけれど、自分が何を書いているのか分からないまま書き終える」。そういうことを言っている小説家が好きだ。プロットのない小説は、まるで生活で、まるで日常で、心地良い。伏線は回収されなくて良い。僕たちの人生において、わからないまま死ななければならないことなんて沢山ある。あの子はいま何してるんだろうとか、あの本誰に貸してたんだっけとか、死んでしまった祖父の涙の理由とか。その他諸々。僕たちの人生に張り巡らされた伏線は、回収されることなく、僕たちは死ぬ。
何もかも全て理解して終わるなんて、フィクションでしかありえない。そんなリアルがあるとしたら、それは相当に気持ちが悪い。

 

 

猛暑も終わりに近づいたのか、今日は涼しかった。ちょこちょこ雨が降ったからか、ただでさえ高い湿度は、いつもより高かった。湿度の高いこの街は、いつだってジメジメしていて、この街の人々は、押入れの奥の角から生えたキノコみたいに見える。

 

 

酒を飲みながら、ネットを漁る。本を読む。こうやって文章を書く。つまんねえ日々だ。でも、それが僕の生活だ。アルコールに溶かされた僕の脳味噌が、流れ出して、こうやって文字として貴方の、貴女の、目に触れる。文章を書くとは、なんてグロテスクな行為なのだろうか。ツイッターやタンブラー、その他諸々のSNSなんて溶け出した脳味噌の溜まり場だ。ネットも、雑誌も、街中の広告も、そこら中が文章で溢れている。なんてグロテスクな世界。無数の、匿名の、脳味噌の氾濫の中を、僕たちは泳ぐ泳ぐ。溺れ死んでしまうまで。