2022-04-01 : 片割れ

 

 「男女の友情はあると思いますか?」

 

 よく耳にする問い。僕は迷わず「あります」と答える。だって、実際にあるんだもの。僕は知っているんだもの。大好きで最強な女友達がいるんだもの。恋愛なんて馬鹿らしく思えるくらいな友情を知っているんだもの。なんなら友情なんかでは括り切れない、色んな感情や色んな感覚を知っているんだもの。

 

 

 僕と彼女とは、生まれ育った場所は全く違う。距離で言えば、400Km近く離れているのではなかろうか。たぶん。ただ、似ている環境(地図アプリで見せ合った地元の風景が一致し過ぎた。更に、幼い頃のことについて話す内容が一致し過ぎていた。2人とも親が教員だった。なんかもう、ちょっと怖くなった)で、育ったというだけの、そして、中学を卒業する頃に買い与えてもらったガラケーで、とあるラジオ番組のネット掲示板に書き込みをしていたというだけの、それだけの共通点とも言えないレベルの共通点しかなかった。

 

 掲示板に書き込んだコメントへ向こうからレスが付いたのか、自分が向こうにレスを付けたのか、覚えていないけれど、どちらかの書き込みにどちらかがレスを付けて、僕たちの関係は始まった。

「あ、また〇〇さんからレスが来てるな」

「〇〇さんが書き込みしてるからレス付けとこ」

って、だんだんそれが楽しくなっていった。

 それが最初。

 

 10数ヶ月経って、別のSNSで、偶然、彼女らしき人物を発見したので、これは間違ってたら恥ずかしいやつだ、頼む、貴女であれ、そうあってくれ、そうじゃなかったらコーラ一気飲みしてゲップせずに山手線の駅名を言います、と思いながら、

「もしかして〇〇ちゃんですか?」

とメッセージを送ってみた。そして、帰ってきた返信を見て、安堵。

 そして、そのSNSのメール機能(今で言うDMかな)で、連絡を取り始めた。前述のネット掲示板は、毎日定時に2回書き込み内容が更新されていた。つまり、一言でもやりとりをするのにかなりの時間が掛かる。よく考えたら、400Km先へ公共交通機関等で向かって口頭で内容を伝えた方が普通に早い。飛脚の如く。メール機能なら、リアルタイムでやり取りができるし、匿名性もある。そこから、僕たちは更に、一気に仲良くなっていった。きもいくらい仲良くなっていった。

 本当に毎日、連絡を取っていた。日々のこと、趣味のこと、自分の考えていること、彼女の考えていること、内容のないことから内容のありすぎることまで、たくさん話をした。その内に、LINEを交換して、LINEでのやり取りが始まった。会ったこともないのに、もう頭の先から爪先までを共有してるみたいな、そう思ってしまうくらいには、たくさん話をした。

 

 で、1年ほど経ち、僕に恋人ができた。その頃の僕は、ピュアピュアの男子高校生だったので、彼女がいるのに他の女とは連絡取れねえぜ、、とピュアピュア故の残酷さで「連絡を取るのを控えよう」と伝えた。おバカっ。できることなら、その頃の自分に伝えたい「その恋人は『ただの友達』とやらに簡単に寝取られるよ。その後、そいつと結婚するよ」と。あと、「女友達とも連絡取っといた方がいいよ。友達マジで少ないくせに友達削るのやめて、お願いします」と。

 

 そこから、連絡頻度はどんどん減ったものの(当然の結果)、数ヶ月に1度とか年に1度とか、ふとした時に、お互いが「元気?」とか「おひさ〜」とかちょっとした連絡を寄越して、ふと途切れる、というのを繰り返すようになった(以下『ふとLINE』と記す)。大事な友達がいなくならなくて良かったね。

 僕は基本的にLINEが嫌いで、誰彼問わずに結構な頻度で無視をするので(するな)LINEが続くことは少ないし、一度途切れてしまった相手と再度連絡を取ることなんてのはありえない(ありえろ)。しかし。彼女との『ふとLINE』だけは、何故か、いつまでも、続いてきたのだった。

 

 大学2年生になって、僕は件の恋人を寝取られた。寝取られました。大事なことなので2回言いました。ここテストに出ます。寝取られて、そして結婚まで行かれます。赤ちゃんもすぐ産まれます。おめでとうございます。ここもテストに出ます、復習するように。それで、そのうち、また、ふと連絡を取り始めた彼女と、なんとなく暇だし、なんかタイミングも合いそうなので会ってみようということになり、2人が住んでいる中間地点にあたる京都で予定も立てずに昼頃に待ち合わせ、ラーメンを食べ、どこ行こうか〜って悩んで、水族館に行き、夕方に帰る、という、小学生のデートか? みたいな初対面を終えた。両生類マニアの僕がオオサンショウウオが見たかったという理由だけで提案した水族館だったが、今思えば彼女はオオサンショウウオを丹念に体の隅から隅までニヤニヤしながら舐めるように見渡す僕の姿に少し引いていた気がする。ごめんなさい。またいつか〜、と別れて、そこから6年、『ふとLINE』を繰り返し現在に至る。ちなみに、その間もお互いに恋人ができたりいなくなったりしている。

 

 で、再会の日が唐突にやってきたわけだ。本当に唐突だった。『ふとLINE』からの『ふと再会』である。僕が休職をしていて暇を持て余していると言う話をしたら「来れるなら来ていいよ〜」との返信があり、休職してるくせに酒ばかり飲んで酔っ払いながらスマホをいじいじしていた僕は、気付けば、片道8時間のバスのチケット(往路)をゲットしており、自分でも、え、マジで行くの? と思うなどした。え、復路は?

 いつ折り返すのか分からない駅伝のようなノリで、彼女の元へ向かったのであった。

 

 彼女の住むマンションに着いて、まず、見たことのないなんか電話機みたいに数字のボタンが並んでるインターホンで部屋番号押して呼び出す瞬間が、今回の旅で一番緊張した瞬間。

 

 結局、3日間を共に過ごしたわけですが、やったことを書き落とすと、

 

・留守番

・近所の居酒屋へ行く

・お腹見せ合って「それはちょっと、、やば、、」    と言われて筋トレに目覚める

・適宜薬を飲む

・米を炊く、食べる

・夕方まで寝る

・近所の麺屋に行く

・映画を観る

・テレビ電話で顔合わせをする(彼女の彼氏さんと(この書き方分かりづらいな(()の中に()を入れると、とても読みづらいな)))

・昼前まで寝る

Uber eatsを頼む

・映画を観る

・冷凍食品を解凍して食べる

・ゲラゲラ笑いながらツーショットを撮る

 

 お分かり頂けただろうか、、、

 それではもう1度ご覧頂こう、、、

 

・留守番

・近所の居酒屋へ行く

・お腹見せ合って「それはちょっと、、やば、、」    と言われて筋トレに目覚める

・適宜薬を飲む

・米を炊く、食べる

・夕方まで寝る

・近所の麺屋に行く

・ドラッグストアに行く

・映画を観る

・テレビ電話で顔合わせをする(彼女の彼氏さんと(この書き方分かりづらいな(()の中に()を入れると、とても読みづらいな)))

・昼前まで寝る

Uber eatsを頼む

・映画を観る

・冷凍食品を解凍して食べる

・ゲラゲラ笑いながらツーショットを撮る

 

 ほぼ、何もしておりません。我々。ていうか、ほぼ外に出てませんね。なんなら仕方なく外に出る感じでしたね。

「栄養、、摂るかぁ、、死ぬし、、、」

みたいな感じでしたね常に。2人とも。

 3日間ですよ。片道8時間ですよ。

 でもこれで満足するのが我々なのです。というか、正直、めちゃくちゃ楽しかったです。僕の住んでるとこはバチクソ田舎で、Uberの配達範囲に入るまであと100年くらい掛かってもおかしくないので、初の「こんちはー、Uber eatsでーす」が聞けてテンションブチ上がった。めちゃくちゃ楽しかったし、自分の家より居心地が良くて、ゴーロゴーロヘーラヘーラしてたら「お前ナメてやがるな」と言われた。

 小学生デートの次に会った今回、ただ各々生活をしただけの3日間だった。会うのが2回目の男女で、こんなことあります? 会ってない6年の間に何があったのだろう。生霊同士でルームシェアとかしてたんだろうか。と、思うくらいにはお互い、何の違和感もなく気遣いもなく過ごせてしまった。そう思っているのが、僕だけだったらごめん。

 しかし、まぁ、驚くほどに生活のペースが一致していたので、ほんっっっとうにノンストレス。起きる時間も寝る時間も、ご飯を食べる量(仏壇に備える用くらいの少量の米)も頻度(ちゃんと3食食え)も、やる気が出てくる時間も、わりと元気に動き回れる時間も、ほぼ完全に一致していた。びびった。彼女もびびっていた。あまりにも同じ過ぎて、もしも、この2人で暮らしたら餓死する、と言う結論に至った。何故なら、放っておいたら何も食わないから。なんと驚くべきことに、2人とも咀嚼が面倒だ、と感じているからである。誰か食わせてくれる人がいなければ我々は生きてゆけないのである。「ほら、ご飯の時間! 起きて!」「ちゃんと食べなきゃ!」そういった言葉たちが我々の生命線なのだ。今生、この2人からは絶対に出てこない言葉たちだ。来世でちゃんと食おうな、、、。

 

 帰りのバス、1日間違えてチケット買ってて、倍額払いました。

「お客さん、これ、昨日のだよ。待っとくから買ってきてくださいな」

 運転手さんの言葉に愕然として、チケット売り場に走った。ちょうどいい感じに雨が降り始めていて、主人公の心情の比喩みたいな感じで降るんじゃねえよ、と思った。涙出そうだった。ちょっと出ちゃってたかもしんない。

 これは蛇足。

 

 さて、本題。

 これまでのネットでのやり取りが我々の友情なのか何なのか分からない感情、お互いが持て余して名づけることのできない感情を生み出したのは間違いないのだが、この関係性を形作るのに最も貢献したのは、やはり全力の言葉を投げて、全力で受け止めていた、あの頃なのだろう、と思っている。若かった我々は、心という心を言葉に込めてやり取りをしていた。それしか手段が無かったから。彼女が辛い時も、僕が辛い時も、彼女が楽しい時も、僕が楽しい時も、ずっと言葉を、脳内を、感覚の全てをやり取りしている内に、きっと、彼女が僕の中に積もっていって、僕が彼女の中に積もっていった。

 

 だから、お互いの共通認識として

 

「双子の片割れみたいだよね」

 

という結論に至る。

 

「めちゃくちゃ好きだけど恋愛感情は全くないよね」

「それな」

 

 自分の中に他人がいる。そういう感覚。そうとしか言い表せない感情。

 

 言葉ってのは、その人の「形」ではなくて核の部分を表現するものだと、僕は思っている。

 つまり、性別や身体の特徴や、その人の見た目ではなくて、その人が常日頃考えていること、好きなこと、嫌いなこと、そういう、所謂「人間の中身」を表すものが、言葉である。

 

 僕と彼女は、言葉を通して出会った。

 身体が会っている時間よりも、圧倒的に多くの時間を言葉で会っている。中身の共有。これは僕たちだけの特権で、これから先、もうこんなに素晴らしい体験をすることはないだろう。

 

「双子だとしたら、兄か弟かどっちだと思う?」

「弟」

「だよね」

 

 きっと貴女が姉ちゃんだから、たぶん僕は少しだけ貴女に引っ張ってもらって生きている。

 

 

 「男女の友情はあると思いますか?」

 友情なんてもの越えてしまっているけれど、まぁ、だから、僕たちは、

 「あります」

って、何の躊躇もなく言える。