機械音痴

f:id:toumei88:20160504160900j:image母親は携帯電話を使うのが下手だ。スマホを使っているくせにyoutubeの見方が分からない。LINEも使うが、なぜかカタコト。たまに倒置法。ごく稀にではあるが「あ」「き」「く」など謎の平仮名が送られてくる。怖い。
祖母も携帯電話を使うのが下手だ。メールは件名の所に本文を入力してきたり、急に空メールを送ってきたりする。使うのが下手というか電話という機能しか使えないと言ったほうが正しいのかもしれない。電話はめちゃくちゃかけてくる。用事がなくてもかけてくる。深刻な声で弟の包茎手術を報告してきたりする。そんな祖母でもたまにカメラ機能を使う。ある日、「この写真見てみぃ」と嬉しそうに携帯電話の画面を見せてくるので、なんだろう、と思いながら画面を覗いてみた。

ナスの画像だった。

みずみずしく光沢のあるナス。濃い紫色をした、画面越しにも新鮮さが伝わってくるようなナス。
彼女は何を伝えたかったのだろうか。怖い。

憂き世話

「わたしは貴方の椅子になって差し上げたいの。」

「椅子か、そんな物になってどうするつもりなんだい?そんな物にならなくともきみは僕の恋人であるし、それに、きみは椅子になるにしては不恰好な形をしているよ。きっと、安定感が無いものだから、誰にも座られることなく、終わってしまうよ。」

「あら、貴方が座ってくれれば良いの。それだけで、良いの。不恰好な椅子だなぁ、と笑いながら身を委ねてくださるなら、そんなに素晴らしいことはないでしょう?」

「そんな椅子に座り続けていたら、腰を悪くしてしまうじゃないか。」

「立ち続けて腰を悪くするより、ましよ。でも、わたしは貴方の御身体を心配して椅子になりたいと言うのではないわ。貴方が座りたい時に座るための椅子になりたいの。ふふ、そんな顔をなさらないで。」

「きみの言っていることは、僕にはよく分からないな。まるで、要領を得ていないよ。きみの話を聞いていると、まるで水を掴むような気持ちになる。」

「あら、貴方、水なんて掴めるわけないじゃない。」

「そんなことは百も承知だよ。僕が言いたいのはそんなことじゃないよ。」

「分かっているわ、あのね、わたしはそんなに難しい話をしているわけではないの。貴方はわたしではないし、わたしは貴方ではないでしょう?それと同じで、貴方の椅子は貴方の鞄ではないし、貴方の鞄は貴方の椅子ではないのよ。どんなに不恰好でも、それは貴方の椅子なの。」

「だけど、不恰好な椅子よりも、きちんと調整された椅子の方が良いなぁ。道具には道具の役割があるからね。使い良い物を選びたいのは当然のことじゃないかな。」

「意地悪なことを言うのね、いいわ、何処からでも綺麗な椅子を探して来れば良いわ。そんな物、何処にでもある詰まらない物でしかないわ。そんな物、貴方の椅子ではないわ。使うのは貴方じゃなくても良いの。貴方は、貴方の椅子を無くして、何も考えずに、立ったり座ったりして、それはそれは滑稽ね。」

「怒らないでくれ、僕が悪かったよ。うん、きみは僕の椅子だね。僕の不恰好な椅子だ。全くもって座り辛い椅子だ。勢いをつけて座ったら、崩れてしまいそうで、恐ろしい椅子だ。だから、僕は静かに腰掛けるし、手入れだって欠かさないだろう。不思議なことに、僕はその不恰好な椅子を大切に想っているんだ。でも、何故大切に想っているのだろう。いくら頭を捻っても、分からない。」

「簡単なことよ。それが貴方の椅子だからよ。ふふ、貴方のものなのよ。」

大人感

ふとした時に、沸々と湧き上がるこの嫌な感情の名前は何というのだろう?というか、名前のある感情なのだろうか?考えたところで答えなど誰にも分からない。もし分かるとしたら、それは、それを抱えている僕自身にでしかありえない。
いつもいつも、考えている。僕は何者なのだろう。昔から、大人びていると言われている僕は、大人が僕を見る目がどうしても嫌いだった。大人びていたらしい僕に、大人は何かと頼み事をするのであった。あの子とも遊んであげてね、君には期待しているよ、君がクラスをまとめるんだよ、みんな君のことが好きだから、そんな風に。
保育園に通っていた頃、友達が、鳥の羽根を無くしたと言って探し回っていたことがあった。僕は、その子が羽根を探すのを手伝っていた。先生がやってきて、ご飯の時間だからこっちに来なさい、と言った。僕は、羽根を探しているから待ってくれ、そんな風なことを言った。羽根なんていいから、早く来なさい。先生は叱る様な口調でそう言った。
子どもの考えていることなんて、大人にとっては稚拙な思考でしかない。子どもが真剣に悩んで真剣に紡ぐ言葉も、大人にとっては「子どもの言葉」でしかない。何を考えていて、何を喋っても、僕は子どもでしかない。それを悟った。それからは、僕は自分の思っていることを言えなくなってしまった。僕は自分を潰されるのが怖かった。僕の口から飛び出した僕の言葉が、まともに聞かれることもなく、ただ地面に落下して、そのまま腐っていくような、そんな気がしていた。
大人びて見られていたのはそのせいかもしれない。
そして、僕は大人にどれだけ褒められても、喜ぶことができなくなった。だって、大人は僕を子どもとしてしか見ていなくて、褒めれば言うことを聞くと思っていて、僕は子どもでしかなかったから。そんな屈辱を味わうくらいなら、見られていない方が良いと思った。僕は自分を押し殺して、生きていた。
大人、と言われる年齢になったが、自分を押し殺してきたせいで、自分でも自分が分からなくなってしまった。身体は確かに見覚えのあるものだが、その中に巣食う生き物が果たして自分であるのか、分からない。知らない間に喰い潰されていた。僕を内から喰い潰したのは僕自身で、僕を生んだのは紛れもなく大人達である。僕も大人になってしまった。無邪気さの塊の様な小さな子どもを見ていると、なんだか謝りたくなる。ごめんね、僕は大人になってしまった。君が君を飲み込むいつかの日を、僕が創り出してしまうのかもしれない。ごめんね、

感情は自分。自分は感情。押し殺された感情は、形をなくして、溶けていく。それを餌に醜い生き物はぶくぶくと太っていき、そして死んでいく。僕に名前は無い。

昔、僕のことを好きだと言ってくれた女の子がいた。背が高くて、優しい女の子。
僕はその頃、恋愛の仕方が全くと言って良い程に分かっていなくて、初めて付き合った女の子と不味い別れ方をした後で(別れたと言うより掴み損ねたと言う方がしっくりくる)、不味い別れ方をしたばかりに口の中に広がり続けるその苦味を噛み潰す日々を過ごしていた。
僕は、その子が僕のことを好きだという気持ちに薄々気付いていた。しかし、もしそれを打ち明けられてしまえば、僕はその子を傷付けてしまうということにも薄々気付いていた。それなのに、僕の横でその子の気持ちが高ぶっていく様子をただただ見ないふりをしてしまって、その結果、その子は僕に好きだと伝えてしまった。本当は、断わろうと思っていた。僕はその頃、恋愛の仕方が全くと言って良い程に分かっていなくて、口の中には一杯に苦味が広がっていたからだ。そんなところにその子の甘い気持ちを放り込んでしまうことは、是が非でも避けたかったのだ。甘い香りは苦味の中に飲み込まれてしまい、僕の口の中には今までよりも深く、複雑な味が、それでも苦いままに支配して、僕はそれを飲み下すこともできずに噛み潰し続けなければならなくなってしまう。断わろうと思っていたのだ。その子が涙を流しさえしなければ、僕は、俯いて足元を眺めながら、いいよ、なんて言わなかったはずなのに。
その日から僕は、その子のことを好きになろうと努めた。応えようとしていた。口の中は相変わらず苦くて、その子は相変わらず僕のことが好きだった。
しばらく経って、僕はその子に別れを告げた。理由は山程あったが、その全ては僕自身の問題であった。優しい女の子だったのだ。僕の思っていたよりも何倍も。しかし、僕が、その子が思っている何倍もつまらない人間であることに、その子は気付きはしなかった。だから、僕は気付いてもらいたかった。だから別れを告げた。
口の中は苦かった。いつもいつも苦かった。僕は、口の中一杯に広がる苦味に依存していた。たまに、喉の奥がはち切れそうに痛くなることがあった。そんな時、僕は口の中の苦味を飲み込んだ。飲み込む度に僕の意識は、くらくらと、震えた。その頃、その感覚が僕の全てだった。

憂き世話

彼は硝子で作られた兎である。彼を見るものは声を揃えて綺麗だ、と言った。しかし、彼には色彩が無かった。透明なその身体の内側を光は貫通し、彼はその様子を見て、憂えていた。彼の身体を貫通し切ることのできなかった光の欠片達は、彼の足元に彼の影を薄く落とし、その僅かな光の模様によって、彼は、自分が存在していることを確認し、安堵していた。それ故に、夜は彼を不安と恐怖で飲み込んだ。彼は夜の暗闇の中では、自身の存在を確認する術を持たず、自分は此処に存在していないのではないか、と毎夜、泣きたくなった。流す涙も持たないことが恐怖を増幅させ、彼の存在を更に希薄なもののように感じさせた。
ある日、彼は自分と同じ形をした生き物を目にした。その生き物は、長い後脚で地面を蹴り、自らによって、一瞬、世界から離脱し、そして再び世界へと飛び込んでいく、その様な動きを繰り返していた。まるで踊っているようだ、と彼は思った。命というものの美しさを垣間見たような気にもなった。自分も、あの様に世界へ飛び込むことができるのではないか。そして命を感じる事ができるのではないか。そうすれば、自分が此処に存在しているという事実を信じることができるのではないか。私はあの美しい生き物と同じ形を持っているのだから。
彼は、力を振り絞り、身体を動かそうとした。思っていたよりも簡単に身体は動いた。前脚も、後脚も、今まで動かそうとしたことは無かったので気付かなかったが、まるで血が通っているかのように熱を含み、自分の身体をしっかりと支える力を持っていたのであった。気付いてしまえば、あとは踏み出すだけである。力を入れる。彼の後脚はしっかりと地面を捉え、そして、次の瞬間にはまるで拒絶するように地面を、離れた。
古びた棚の三段目に静かに座っていた彼が飛び込んだ先は、汚らしい黄ばんだ床で、彼は、硝子で作られた兎であった。

一番好きな数字は何?

小さな頃、好きな数字は2であった。理由はなんか格好良いから。2以外の数字はダサく見えたし3や7に至っては、なんて変な形なんだ!と思っていた。中学くらいになると、6や9のフォルムもあれ?なかなか良いな、と思い始め、高校に入ると、あれ2ってなんかよく見たらそんなに格好良くないな、と気づき、むしろ2の醸し出す「俺って格好良いだろ?」的な感じがダサくね?と思い始めた。そして、8。こいつの格好良さにも気付いた。左右対称であり、上下も対称と見せかけて上の丸と下の丸の大きさが異なる。なんてお洒落。3もこの頃からお洒落に見え始めた。変な形だと思っていたが、改めて見てみると、可愛らしさの中に知的な雰囲気を隠し持っている数字である。1と4と5と7については未だに良さが分からない。所謂、平凡な数字のように感じている。可も不可もない。そして0。これは美しい。左右対称、上下対称、なにより「無」を表す数字であるというところが本当に美しい。「無」でありながら、たしかに存在するのだ。なんだこいつは。人智を超えている。神のような存在、と言えるのではないか。見た目の美しさに加え、その存在自体に究極の美を感じざるを得ない。まさに数字界の神である。しかし、それでも0は数字の中の一つに過ぎない。0123456789。その中の一つ。我々は物を数える時に、1から数える。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ…。0は、他の数字、物として存在する数字たちの中に紛れ、あたかも自分も存在しているかのように振る舞っている。もし、0が存在するとするならば、それは我々の頭の中、そこに概念として存在するのである。我々は概念の存在である0を、数字として可視化し、その存在を日常生活へと還元している。

「神様とは?」

ちなみに僕の一番好きな数字は8です。


万年筆と左手

f:id:toumei88:20160111052433j:image成人の祝いに貰ったお金で万年筆を買った。ふと思い付いてネットで色々調べてみると思っていたより色々な種類があり、デザインも様々で、面白い。知識など無いので、とりあえずデザインやロゴが気に入ったものを買った。ひとつだけ問題があって、僕は文字を左手で書く。万年筆は主に右手で書くことを前提に作られている。右手で書く人は左から右へ引く方向に文字を書くが、左手で書く人は左から右へ押す方向に文字を書く。万年筆のように先の尖った筆記具では、押す方向に書くと、紙にペン先が引っかかり、破れてしまうこともある。ボールペンも押す方向に書くと、インクが掠れてしまう。左利きはボールペンをよく壊すというが、押す方向に書くとどうしても筆圧が強くなってしまい筆記具に負担がかかる。左手で文字を書く人にとって万年筆はかなり敷居の高いものなのである。しかし、僕は買ってしまったのである。小学生の頃に習字の授業があったが、あれも左利きには辛い時間で、なぜかというと左手では物理的に書けないのだ。止め、はね、はらい、あれらは右手で書かれることを前提に作られている。左手ではどう頑張っても書けない。なので左利きなのに右手で書くということを強いられる。僕も右手で書いていた。あの頃の努力を今に生かせるかもしれない。万年筆も右手で使えるように、頑張ろうと思っている。インクがまだ届いていないので、早く届かないかとそわそわしながらこの文章を書いた。

聖夜

クリスマスだから献立にケーキって書いてあったけれど、今は何も食べちゃいけないから、食べられなかった。病室のベッドの上で母は言った。手術は15時半頃から始まって、僕は、姉が母親の入院中の暇潰しにと持ってきていた「星の王子さま」を読んで、手術が終わるのを待った。丁度読み終わった頃に、看護師が手術が終わったことを告げに来た。母は子宮に筋腫があったことと、元々子宮の形が不恰好であったことで長年、酷い生理痛と出血に悩まされていた。そのせいで仕事を早退して帰ってきて、寝室に籠っていることもあった。それは、僕には一生分からない辛さであった。ただ、とても辛いのだろうな、ということは嫌でも伝わっていた。
子宮を身体から取り出すということを、母がどれ程の覚悟を持って決断したことなのか、僕には分からない。多くの血と身体の一部を代償として、母はこれからの時間を保証することを選んだ。
取り出した子宮の写真を撮っておいてね、見てみたいから。と、術前、母は父に依頼した。冗談なのか本気なのか分からない口調であった。表情や言葉には出さず、不安を隠して明るく装っていたような気もする。
母は3人の子を産んだ。母の子宮で3人の人間が、文字通り、生まれた。僕も、そこで生まれ、産まれて、そして、母の病室で母の身体の一部が切除されるのを待っていた。
もう、母の中には僕の生まれた場所は無くなってしまった。今までそこにあったそれは、もう母の内には無く、それの収まっていた空洞には、母自身の未来が生み出された。とても喜ばしいことである。少し寂しいけれど。もう、僕の起源地は無くなってしまったのだから。しかし、寂しさよりも、感謝と尊敬を改めて感じている。あとは、最後に生まれたそれが、産まれるのを待つだけだ。術後、目を覚ました母が最初に口にした言葉は「喉が渇いた」であった。母は強し。

楽器の一つひとつが鳴らす音を違える、つまり、個性を持つ様に、声も個性を持つ。声は音だ。そして、楽器の個性を最大限生かす役割を持つのが奏者だ。良い音が鳴る楽器でも、奏者次第では退屈な演奏となる。楽器を生かすも殺すも奏者次第である。声の持ち主は奏者だ。声は音。身体が楽器。勿論、楽器を演奏するにおいて、他の楽器、奏者との駆け引きが重要となる。音の融合、アンサンブルの一員。歌を歌うとはそういうことでもある。
そう、歌は発話ではない。音楽だ。

憂き世話

誰も居ない様な夜だった。まるで、孤独の様だった。紫煙が空気に溶ける事に意味は無かった。黒い空に穴が空いていて、それは突然、視界の上へ上へと泳いでいった。此処はゆっくりと、しかし、僕達の思いもよらない速度を保っている。知っているようで分かってはいなかった。指先にこびり付いた。頭の中には何も無かった。感覚は生きていたが。耳を澄ますと室外機が唸る音、トラックのタイヤが地面に擦れる音、遠くで人の声が音階を作っていた。全てに意味は無い。僕はただの塊だった。時間を消化して、只々朽ちていく、塊だった。此処はそんな物で溢れている。正に地獄ではないか。塊は塊を喰らい、塊を排泄し、塊を産み出す。此処は何処だ。此処は何だ。