汽車

汽車に乗っている。田舎なので、電車ではなく汽車。通路を挟んだ向こうの席に老夫婦が座っている。老夫婦は、この汽車に乗り換える前の汽車にも同乗していた。もう車を運転していないのかもしれない。だから汽車に乗っているのかもしれない。それにしても、汽車を乗り継いでまで行きたい場所がこの田舎にあるのだなぁ。何もないようで素敵なものはわりと沢山あるのかもしれないなぁ。夫の紫色のアウトドアのリュックがパンパンに膨れているのと反対に、妻の青色のリュックは萎んでいる。二人は仲が良さそうにずっと話をしている。素敵だなぁ、と思う。いつまで経っても仲良くどこかへ出掛けられるような二人。窓の外を眺めて何を話しているのだろう。僕には山と田圃しか見えないけれど、二人には何かが見えているのだろう。

憂き世話

フルはウロを私に渡そうとビを伸ばした。私はそんなものにはもう飽きてしまったので、視線だけはウロの方に向けて、じっとその場に座っていた。フルは「アラ、ゴキゲンナナメカナ」なんて言って、ウロを、ことり、と置いて向こうへ行った。
ここには、フルの他にも2匹のフルがいる。大きなフルと小さなフルだ。「タダイマ」と大きな声で言ってさっきのフルよりもひとまわり小さなフルがバタバタと近づいてくる。私は、このフルが好きだ。小さなフルが2本のビを私に伸ばして抱きついてくるので、私は小さなフルをペロリと舐めてみた。小さなフルは大抵の場合、似たような匂いがする。散歩している時にすれ違う小さなフルも、今私に抱きついている小さなフルも、皆同じ様な匂いを発している。
私は1日1回は外に出る。外は気持ちが良い。外には沢山のフルがいる。大きいのから小さいのまで、どこを見てもフルだらけだ。そんな中で私は、たまに仲間とすれ違うことがある。「やぁ、今日も元気そうだね」なんて簡単に挨拶を交わしたり「君のフルはなんだかひょろ長いね」なんて笑い合ったりする。それにしても、すれ違う大半が仲間ではなくフルであるが、フルの繁殖力には驚くばかりである。世界にはどれ程のフルがいるのだろう。
ある日、私はフルのパニが膨らんでいることに気付いた。いつから膨らみはじめたのだろう?毎日眺めているので気づかなかったが、明らかに他のフルに比べてパニが膨らんでいる。小さなフルは、フルのパニにぺをくっつけては何かを話している。大きなフル(パニが膨らんでいない方のフル)はフルのパニに嬉しそうに声をかけている。
しばらくして、フルがいなくなった。大きなフルと小さなフルと私だけがここにいて、2匹のフルはソワソワしている。でも、2匹はなんだか嬉しそうにも見える。日も暮れて、私が眠りにつくかつかないかという時、突然、なんだかうるさい音が聞こえたかと思うと、大きなフルは小さなフルを連れてどこかへ行ってしまった。夜遅くに騒がしいなぁ、と思いながら私は眠りについた。
次の日、目を覚ますと大きなフルと小さなフルは帰ってきているようだった。フルはどこへ行ったのかまだ帰ってこない。
数日経って、フルが帰ってきた。膨らんでいたパニは元に戻っていた。大きなフルが何かを抱えている。小さなフルがそれをきゃあきゃあ言いながら眺めている。なんだろうと思い、私も大きなフルに近づいて様子を伺ってみる。大きなフルが2本のビを絡ませていて、2本のビの間から小さなピが覗いていた。驚いたことに、大きなフルは小さなフルよりもさらに小さなフルを抱えていたのだった。フルが増えたのだ。驚くべき繁殖力だ。
小さなフルよりもさらに小さなフルは自分で生活することが出来ないらしい。おそらく生まれたてなのだろう。もしかすると、膨らんでいたフルのパニから分裂して生まれたのかもしれない。パニの膨らみは、たしかこの小さな小さなフルと同じくらいだったような気がするし、あの膨らみがこの小さな小さなフルだったとしたならば、この小さな小さなフルがここに来たときにフルのパニが元に戻っていたのも納得できる。生命の神秘というやつか。
フルは分裂して増えるという結論に達したところで、私は眠くなって、ウォムを閉じた。





憂き世話

僕はウサギだ。これは比喩でもなんでもなく、近所の遊園地でウサギの着ぐるみを着て風船を配っている。バイトの求人を探していたら、たまたま見つけた仕事だった。なんとなく楽しそうだと思い、なんとなく応募したら、数日後には、僕はウサギになっていた。
大学生活はうんざりするほどに退屈だ。入学したての頃はできたばかりの友達の家に押しかけたり、講義をサボって遊びに行ったりしていた。入学して2年経った今でも友人達は同じ様な生活をしている。僕はというと、ある日、いつも通り友人4人と缶チューハイ発泡酒の空き缶の転がる部屋の中で「今日もオールで酒飲むぞぉぉ!」みたいなテンションの中、ふと、あれ?僕はこんな生活を楽しいと思ってるのか?なんて考え始めたが最後、もうその部屋に行くことはなくなった。友人達はしばらくは遊ぼうと誘ってきたが、僕がなにかと理由をつけて断っていると、誘われる回数も減っていき、今では話すことも滅多になくなった。僕は勉強も好きな方ではないので、休みの日に勉強するということもない。何か、生活に刺激が欲しいなぁ、バイトでもしてみるか、ということで今、僕はウサギをしている。

風船を配るのは思っていたよりも楽しい。特に、いろいろな子供がいるのを見るのが楽しい。自分から近寄って風船を受け取りに来る子もいれば、怖がって親に促されても近寄って来ない子もいる。そういう子は怖がっているわりにずっとこっちを見つめ続ける。手を振ると「うわぁぁ」と叫んで親にしがみつく。見ていて楽しい。僕は案外子供が好きなのだということにウサギになって初めて気が付いた。
ひとりの男の子が僕の方にずんずん近寄って来て、着ぐるみをペタペタ触っているうちに背中のファスナーの存在に気付きハッとした顔をした。笑いをこらえながら風船を渡すと、その子はなんとも言えぬ顔をしながら立ち去っていった。

冷蔵庫を開けて冷やしていた缶ビールを取り出し、ベランダへ出る。ポケットから煙草を取り出して火を点ける。風船を配るのは楽しいが、疲れる。疲れを癒すために、帰宅してからのビールと煙草は日課のようなものになっている。子供達はまさかウサギがビールを飲みながら煙草を吸うなんて思ってもいないだろう。ぼーっと煙草から立ち上る紫色の煙を眺めていると、隣の部屋の窓が開いて、ベランダに人が出てくる音がした。その後隣のベランダからカチカチと火打石を鳴らす音がして、小さな溜め息が聞こえた。
「すいません」
僕は、不意に声をかけられてビクッと身体を揺らした。
「すいません、ライター点かないんで、貸してもらえませんか?」
横を見ると、若い女が隣のベランダから少し身を乗り出して、こちらのベランダを覗き込んでいる。茶色くて肩に掛かる程度の長さの髪が風に揺れている。見た感じ、自分と同じくらいの年齢なので大学生だろう。隣に女の子が住んでいるなんて初めて知った。断る理由も特にないので、
「あぁ、はい、どうぞ。」
僕は彼女にライターを渡す。
「ありがとう、助かります。」
彼女はライターを受け取ると一旦、ベランダの中に消えた。5秒くらいして、またひょこっと顔を出して、ライターを返してきた。薄い唇には火を点けたばかりの煙草をくわえている。
「なんで僕が煙草吸ってるの分かったんですか?」
と尋ねると、彼女はきょとんとした顔をした。
「なんでって、煙草の匂いがしたからだよ。」
と答えた。なんだこいつ、タメ口を使うのが早いな。僕はビールを一口飲んで、ああ、そうなんですか、と適当に相槌を打った。
「あなた大学生?なんか死んだような顔してるけど。」
今度は女が尋ねてきた。尋ねるのは良いけれど、失礼すぎるぞ、僕のライターがなかったらお前は煙草を吸えてないんだぞ、分かってんのか。
「大学生ですよ。バイト終わりで疲れてるから死んだような顔してるんじゃないですかね。」
イライラしながら、それでもちゃんと答えるのは、この状況を少しだけ楽しく感じているからである。突然、隣のベランダから若い女の子にライターを貸してくれと頼まれることなんてそうそう無いし、ましてや、その女の子がこんなに癖のある人間であることなんてもっと無いだろう。
「へぇ、バイトか…。お疲れ様です。あたしはバイトしてないよ、しなきゃ金無いんだけどね、なんせ面倒でね、バイト何してんの?」
彼女はさほど興味のなさそうな口調で、また質問をしてきた。僕の情報を聞き出して楽しいのだろうか、いや、口調からしてべつに楽しくはないんだろうな。たまたま喫煙中に話す相手がいるから話してるだけだろう。よし、少しだけ楽しませてあげようじゃないか。
「ウサギしてます。」
僕は、少し得意げに言った。ウサギしてます。こんなに意味の分からない響きはなかなか聞くことはできないだろう。相手はどんな反応をするだろうか。彼女へ視線を向ける。
「へぇ、ウサギしてるんだ、ふぅん。楽しそうだね。」
素っ気ないものだ。彼女には冗談が通じないのだろうか。渾身の冗談がスルーされたので不貞腐れながら、言い訳の意味も含めて言う。
「ウサギって言っても、着ぐるみのウサギですけどね。遊園地で子供たちに風船を配ってるんです。」
僕が言うと、彼女はなぜかニコッと笑った。その笑顔が以外にも可愛らしくて僕は少し照れてしまう。
「いいね、幸せを配ってるみたいだね。あたしにはライターを貸してくれたし。子供たちはいつか、君のこと思い出して、幸せな気持ちになるだろうし、あたしはまた君にライターを借りるよ。あたしお金ないからライター買うのも勿体無いし。」
なんだか、またライターを貸せという圧力をひしひしと感じる発言だが、彼女のこの言葉に僕はハッとした。子供たちは、いつかウサギのことを思い出して幸せな気持ちになってくれるのだろうか。こんな煙草臭いウサギでも、子供たちに幸せを配ることができているのだろうか。なんだか泣きそうになる。
彼女の煙草はもうかなり短くなっている。
「それなら、このライター、あげるよ。」
涙をこらえながらライターを渡すと、彼女は嬉しそうな顔をしながら部屋の中に去っていった。







憂き世話

この部屋に居ると、落ち着くので、私はよくこの部屋を訪れます。私は几帳面な性格ではなく、どちらかというと大雑把な性格をしているせいもあって、この雑然とした空間を堪らなく心地良く感じるのです。今、私の周囲は様々な物で溢れて、少しでも手を触れたならばそれらが崩れ落ちて、生き埋めになってしまいそうで、私はきょろきょろと辺りを見回しては呼吸を整えて、大丈夫、此処はこんなにも居心地が良いのだから、と自分を慰めております。此処にある物たちは、きっとそれぞれに理由があってこの部屋に匿われているのでしょう。なんとなく、そんな気が致します。この手足の妙に長い猿のぬいぐるみも、きっと何か意味があってこの様な形をしているはずです。根拠はありませんが、私はそう思います。この部屋の広さはどれ程のものなのでしょうか。なにしろ沢山の物が積み重なって、見通しが悪いものですから、奥行きがどれくらいあるのか、私が今この部屋のどの辺りに居るのかすらも全く見当がつきません。あなたも、もしかしたら、この部屋の何処かにいるのではないですか。ほら、昔話してくれましたよね、手足の妙に長い猿のぬいぐるみの話。こいつは僕の母親みたいなものだから、と言って、あなたはどこへ行くにもそのぬいぐるみの手足をあなたの胴体に巻き付けて、嬉しそうな顔をしていましたね。入り口も出口もございません。私はこの部屋が好き、という訳ではございません。ただ、居心地が良いというだけです。ほら、あそこ、誰かがこっちを見ている。手を伸ばせば届きそうな距離です。でも、ほら、届かない。こんなにも物が溢れているのに、何処までも走っていけるのです。誰かが、泣いている、笑っている、怒っている、みんなみんな、息を吸って吐いている、たしか、私は少しの間息を止めてみようと思ったのでした。この部屋は落ち着くけれど、長居をしてしまうのは良くない様です。息を吸うと、また、私は外へ放り出されて、そして、いつも、息が詰まるのです。

機械音痴

f:id:toumei88:20160504160900j:image母親は携帯電話を使うのが下手だ。スマホを使っているくせにyoutubeの見方が分からない。LINEも使うが、なぜかカタコト。たまに倒置法。ごく稀にではあるが「あ」「き」「く」など謎の平仮名が送られてくる。怖い。
祖母も携帯電話を使うのが下手だ。メールは件名の所に本文を入力してきたり、急に空メールを送ってきたりする。使うのが下手というか電話という機能しか使えないと言ったほうが正しいのかもしれない。電話はめちゃくちゃかけてくる。用事がなくてもかけてくる。深刻な声で弟の包茎手術を報告してきたりする。そんな祖母でもたまにカメラ機能を使う。ある日、「この写真見てみぃ」と嬉しそうに携帯電話の画面を見せてくるので、なんだろう、と思いながら画面を覗いてみた。

ナスの画像だった。

みずみずしく光沢のあるナス。濃い紫色をした、画面越しにも新鮮さが伝わってくるようなナス。
彼女は何を伝えたかったのだろうか。怖い。

憂き世話

「わたしは貴方の椅子になって差し上げたいの。」

「椅子か、そんな物になってどうするつもりなんだい?そんな物にならなくともきみは僕の恋人であるし、それに、きみは椅子になるにしては不恰好な形をしているよ。きっと、安定感が無いものだから、誰にも座られることなく、終わってしまうよ。」

「あら、貴方が座ってくれれば良いの。それだけで、良いの。不恰好な椅子だなぁ、と笑いながら身を委ねてくださるなら、そんなに素晴らしいことはないでしょう?」

「そんな椅子に座り続けていたら、腰を悪くしてしまうじゃないか。」

「立ち続けて腰を悪くするより、ましよ。でも、わたしは貴方の御身体を心配して椅子になりたいと言うのではないわ。貴方が座りたい時に座るための椅子になりたいの。ふふ、そんな顔をなさらないで。」

「きみの言っていることは、僕にはよく分からないな。まるで、要領を得ていないよ。きみの話を聞いていると、まるで水を掴むような気持ちになる。」

「あら、貴方、水なんて掴めるわけないじゃない。」

「そんなことは百も承知だよ。僕が言いたいのはそんなことじゃないよ。」

「分かっているわ、あのね、わたしはそんなに難しい話をしているわけではないの。貴方はわたしではないし、わたしは貴方ではないでしょう?それと同じで、貴方の椅子は貴方の鞄ではないし、貴方の鞄は貴方の椅子ではないのよ。どんなに不恰好でも、それは貴方の椅子なの。」

「だけど、不恰好な椅子よりも、きちんと調整された椅子の方が良いなぁ。道具には道具の役割があるからね。使い良い物を選びたいのは当然のことじゃないかな。」

「意地悪なことを言うのね、いいわ、何処からでも綺麗な椅子を探して来れば良いわ。そんな物、何処にでもある詰まらない物でしかないわ。そんな物、貴方の椅子ではないわ。使うのは貴方じゃなくても良いの。貴方は、貴方の椅子を無くして、何も考えずに、立ったり座ったりして、それはそれは滑稽ね。」

「怒らないでくれ、僕が悪かったよ。うん、きみは僕の椅子だね。僕の不恰好な椅子だ。全くもって座り辛い椅子だ。勢いをつけて座ったら、崩れてしまいそうで、恐ろしい椅子だ。だから、僕は静かに腰掛けるし、手入れだって欠かさないだろう。不思議なことに、僕はその不恰好な椅子を大切に想っているんだ。でも、何故大切に想っているのだろう。いくら頭を捻っても、分からない。」

「簡単なことよ。それが貴方の椅子だからよ。ふふ、貴方のものなのよ。」

大人感

ふとした時に、沸々と湧き上がるこの嫌な感情の名前は何というのだろう?というか、名前のある感情なのだろうか?考えたところで答えなど誰にも分からない。もし分かるとしたら、それは、それを抱えている僕自身にでしかありえない。
いつもいつも、考えている。僕は何者なのだろう。昔から、大人びていると言われている僕は、大人が僕を見る目がどうしても嫌いだった。大人びていたらしい僕に、大人は何かと頼み事をするのであった。あの子とも遊んであげてね、君には期待しているよ、君がクラスをまとめるんだよ、みんな君のことが好きだから、そんな風に。
保育園に通っていた頃、友達が、鳥の羽根を無くしたと言って探し回っていたことがあった。僕は、その子が羽根を探すのを手伝っていた。先生がやってきて、ご飯の時間だからこっちに来なさい、と言った。僕は、羽根を探しているから待ってくれ、そんな風なことを言った。羽根なんていいから、早く来なさい。先生は叱る様な口調でそう言った。
子どもの考えていることなんて、大人にとっては稚拙な思考でしかない。子どもが真剣に悩んで真剣に紡ぐ言葉も、大人にとっては「子どもの言葉」でしかない。何を考えていて、何を喋っても、僕は子どもでしかない。それを悟った。それからは、僕は自分の思っていることを言えなくなってしまった。僕は自分を潰されるのが怖かった。僕の口から飛び出した僕の言葉が、まともに聞かれることもなく、ただ地面に落下して、そのまま腐っていくような、そんな気がしていた。
大人びて見られていたのはそのせいかもしれない。
そして、僕は大人にどれだけ褒められても、喜ぶことができなくなった。だって、大人は僕を子どもとしてしか見ていなくて、褒めれば言うことを聞くと思っていて、僕は子どもでしかなかったから。そんな屈辱を味わうくらいなら、見られていない方が良いと思った。僕は自分を押し殺して、生きていた。
大人、と言われる年齢になったが、自分を押し殺してきたせいで、自分でも自分が分からなくなってしまった。身体は確かに見覚えのあるものだが、その中に巣食う生き物が果たして自分であるのか、分からない。知らない間に喰い潰されていた。僕を内から喰い潰したのは僕自身で、僕を生んだのは紛れもなく大人達である。僕も大人になってしまった。無邪気さの塊の様な小さな子どもを見ていると、なんだか謝りたくなる。ごめんね、僕は大人になってしまった。君が君を飲み込むいつかの日を、僕が創り出してしまうのかもしれない。ごめんね、

感情は自分。自分は感情。押し殺された感情は、形をなくして、溶けていく。それを餌に醜い生き物はぶくぶくと太っていき、そして死んでいく。僕に名前は無い。

昔、僕のことを好きだと言ってくれた女の子がいた。背が高くて、優しい女の子。
僕はその頃、恋愛の仕方が全くと言って良い程に分かっていなくて、初めて付き合った女の子と不味い別れ方をした後で(別れたと言うより掴み損ねたと言う方がしっくりくる)、不味い別れ方をしたばかりに口の中に広がり続けるその苦味を噛み潰す日々を過ごしていた。
僕は、その子が僕のことを好きだという気持ちに薄々気付いていた。しかし、もしそれを打ち明けられてしまえば、僕はその子を傷付けてしまうということにも薄々気付いていた。それなのに、僕の横でその子の気持ちが高ぶっていく様子をただただ見ないふりをしてしまって、その結果、その子は僕に好きだと伝えてしまった。本当は、断わろうと思っていた。僕はその頃、恋愛の仕方が全くと言って良い程に分かっていなくて、口の中には一杯に苦味が広がっていたからだ。そんなところにその子の甘い気持ちを放り込んでしまうことは、是が非でも避けたかったのだ。甘い香りは苦味の中に飲み込まれてしまい、僕の口の中には今までよりも深く、複雑な味が、それでも苦いままに支配して、僕はそれを飲み下すこともできずに噛み潰し続けなければならなくなってしまう。断わろうと思っていたのだ。その子が涙を流しさえしなければ、僕は、俯いて足元を眺めながら、いいよ、なんて言わなかったはずなのに。
その日から僕は、その子のことを好きになろうと努めた。応えようとしていた。口の中は相変わらず苦くて、その子は相変わらず僕のことが好きだった。
しばらく経って、僕はその子に別れを告げた。理由は山程あったが、その全ては僕自身の問題であった。優しい女の子だったのだ。僕の思っていたよりも何倍も。しかし、僕が、その子が思っている何倍もつまらない人間であることに、その子は気付きはしなかった。だから、僕は気付いてもらいたかった。だから別れを告げた。
口の中は苦かった。いつもいつも苦かった。僕は、口の中一杯に広がる苦味に依存していた。たまに、喉の奥がはち切れそうに痛くなることがあった。そんな時、僕は口の中の苦味を飲み込んだ。飲み込む度に僕の意識は、くらくらと、震えた。その頃、その感覚が僕の全てだった。

憂き世話

彼は硝子で作られた兎である。彼を見るものは声を揃えて綺麗だ、と言った。しかし、彼には色彩が無かった。透明なその身体の内側を光は貫通し、彼はその様子を見て、憂えていた。彼の身体を貫通し切ることのできなかった光の欠片達は、彼の足元に彼の影を薄く落とし、その僅かな光の模様によって、彼は、自分が存在していることを確認し、安堵していた。それ故に、夜は彼を不安と恐怖で飲み込んだ。彼は夜の暗闇の中では、自身の存在を確認する術を持たず、自分は此処に存在していないのではないか、と毎夜、泣きたくなった。流す涙も持たないことが恐怖を増幅させ、彼の存在を更に希薄なもののように感じさせた。
ある日、彼は自分と同じ形をした生き物を目にした。その生き物は、長い後脚で地面を蹴り、自らによって、一瞬、世界から離脱し、そして再び世界へと飛び込んでいく、その様な動きを繰り返していた。まるで踊っているようだ、と彼は思った。命というものの美しさを垣間見たような気にもなった。自分も、あの様に世界へ飛び込むことができるのではないか。そして命を感じる事ができるのではないか。そうすれば、自分が此処に存在しているという事実を信じることができるのではないか。私はあの美しい生き物と同じ形を持っているのだから。
彼は、力を振り絞り、身体を動かそうとした。思っていたよりも簡単に身体は動いた。前脚も、後脚も、今まで動かそうとしたことは無かったので気付かなかったが、まるで血が通っているかのように熱を含み、自分の身体をしっかりと支える力を持っていたのであった。気付いてしまえば、あとは踏み出すだけである。力を入れる。彼の後脚はしっかりと地面を捉え、そして、次の瞬間にはまるで拒絶するように地面を、離れた。
古びた棚の三段目に静かに座っていた彼が飛び込んだ先は、汚らしい黄ばんだ床で、彼は、硝子で作られた兎であった。

一番好きな数字は何?

小さな頃、好きな数字は2であった。理由はなんか格好良いから。2以外の数字はダサく見えたし3や7に至っては、なんて変な形なんだ!と思っていた。中学くらいになると、6や9のフォルムもあれ?なかなか良いな、と思い始め、高校に入ると、あれ2ってなんかよく見たらそんなに格好良くないな、と気づき、むしろ2の醸し出す「俺って格好良いだろ?」的な感じがダサくね?と思い始めた。そして、8。こいつの格好良さにも気付いた。左右対称であり、上下も対称と見せかけて上の丸と下の丸の大きさが異なる。なんてお洒落。3もこの頃からお洒落に見え始めた。変な形だと思っていたが、改めて見てみると、可愛らしさの中に知的な雰囲気を隠し持っている数字である。1と4と5と7については未だに良さが分からない。所謂、平凡な数字のように感じている。可も不可もない。そして0。これは美しい。左右対称、上下対称、なにより「無」を表す数字であるというところが本当に美しい。「無」でありながら、たしかに存在するのだ。なんだこいつは。人智を超えている。神のような存在、と言えるのではないか。見た目の美しさに加え、その存在自体に究極の美を感じざるを得ない。まさに数字界の神である。しかし、それでも0は数字の中の一つに過ぎない。0123456789。その中の一つ。我々は物を数える時に、1から数える。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ…。0は、他の数字、物として存在する数字たちの中に紛れ、あたかも自分も存在しているかのように振る舞っている。もし、0が存在するとするならば、それは我々の頭の中、そこに概念として存在するのである。我々は概念の存在である0を、数字として可視化し、その存在を日常生活へと還元している。

「神様とは?」

ちなみに僕の一番好きな数字は8です。