回想

彼の故郷は小さな集落である。水田や畑が民家と同じ数ほど並ぶその集落には、1年中、土の匂いが漂っている。集落の中には1本の川が流れている。彼の家はその川沿いの崖の上に建っていて、彼は常に水が岩にぶつかったり渦を巻いたり忙しく流れ続ける音を聞きながら育った。しかし、彼は川にいつも恐怖を感じていた。底の見えない深緑色がどうしても好きになれなかった。キラキラと日の光を反射する流れを見て人々は綺麗だと口を揃えて言うが、彼には得体の知れない怪物が蠢いているように思えたのだった。


彼の家の玄関を出ると、正面に、川へと下りることのできる石段がある。石段を下りると、大岩と言われている文字通り大きな岩がある。苔が大岩の表面を覆っていて、岩肌から小さな木が何本か生えている。彼は、岩なのに木が生えるのだなぁ、とそれを不思議に思っていた。夏になれば町内の中学生が集まってきて、岩の上から深緑色の水面へ飛び込んで大声で騒いだ。彼の祖母は自分の家の庭を中学生達が勝手に通り抜けていくことをよく怒っていた。大岩の横には小さな水溜りがある。茶色く濁った水溜りの底には木の葉が積もっていて、アブの幼虫やボウフラがプカプカと浮かんでいる。彼はその水溜りが好きだった。何故かというと、水溜りにはこじんまりとした恐竜のようなアカハライモリが何匹も泳いでいたし、4月頃になるとモリアオガエルが卵を産むためにやって来るからである。こんなに汚い水溜りでもそれを頼りに命を繋ぐ生物が沢山いるのだ、と幼いながらに彼は感動したのだった。水溜りの上には大きな樹が枝を広げていて、モリアオガエルがその枝や大岩の岩肌に泡状の卵を産み付ける。産卵から数日経つと、泡はゆっくりと溶けていき、オタマジャクシが水溜りにポトリポトリと落下していく仕組みである。彼は毎日水溜りに通い、オタマジャクシの成長していく様子を眺めるのを好んだ。あ、今日は小さな足が生えてきたな、あ、こいつは前足が生えている、じきに陸に上がってくるぞ、とワクワクしながら眺めていたのだった。
しかし、ある日、台風が来て川が増水し、大岩の半分ほどの高さまで水嵩が増した。茶色く濁った水が慟哭の様な音を響かせることが彼の不安を増幅させた。
台風が去って、水嵩も減り、川が元の姿に戻ると、彼はいつものように石段を下っていった。そこには、今まで見たことのないほどに綺麗な、透き通るような水を湛えた水溜りがあった。 彼は涙を流したのだった。

2018/10/29:酔

人間は猿と変わらない。猿よりも馬鹿な生き物かもしれない。人間はどんな動物よりも賢いと思っているのは人間だけで、そんなことに固執しているのは人間だけで、他の動物は人間の存在なんて風景と同じに思っているのだろう。

 

自意識の中でしか生きられない悲しい生物たちよ。本当にこんな生き方が正しいのかい?

 

要らないことばかりを突き詰めて、要らないことが生の全てを埋め尽くして、僕らは苦しんでいる。食と性とそれ以外に何が必要だって言うんだろう。人間が人間であるためには知性が必要だとか、理性が必要だとか、そんなのはただの幻想で、人間なんてのは本当にその辺の虫と変わらない。社会なんてくだらない枠を絶対だと錯覚してその中でしか生きていけなくなってしまったくだらない生き物が世界を牛耳って鼻高々に平和とか叫ぶけど、本当は果てなんてないのに。

 

人間が何だ。この身体は結局、精子卵子の結合体でしかないだろ。お前も、お前も。偉そうなことばっか言ってるけど、お前は細胞の塊でしかねえよ。

混ざり合って、幸せだと泣き合って、死んでいこうぜ。

 

2018/10/27

夕方、窓辺で煙草をふかしながらぼーっと空を眺めていると一羽のツバメが視界を通り過ぎて行った。こんな時期にまだツバメがいるなんて、と不思議に思う。他のツバメと一緒に渡りそびれたのかもしれない。もしそうならば、早くみんなに追いつけるようにと願う。この集落は、もうこんなにも寒い。

 

夕日が雲を橙に染める。青かった空の色は、夜の闇に飲み込まれる前の短い時間だけ薄い水色に変わる。青が薄れて、そしてまた深い青へ変化して、最後には黒く塗りつぶされる。

橙の雲の割れ目に薄水色の空が覗いていて、そこに小さな光が見えた。一番星。

夜空に無数に輝く星の中の幾つかは、暗くなる前に輝き始めるのだ。

そういえば、星が輝き始める瞬間を見たことがない。夜空を見上げると無限とも思えるほどの数の星が輝くが、それらが輝き始める瞬間を一度として目にしたことがない。見たことのある人は、果たしてどこかにいるのだろうか。

 

昼間に近所の畑で野焼きをしていた。煙の匂いがまだ空気中に残っている。秋の匂いだ。煙たい空気に煙草の煙を吐き出す。

 

ひとり、美しさに打ちひしがれる夜。酒を飲んで、ふわりとした頭で、考えているふりをして何も考えずにいる。

 

自分に無いものを持っている人がどうしようもなく羨ましくて妬ましい。美しいと思うものはいつも、自分の中にはなくて、美しいのはいつも他人だ。

 

全てにおいて、他人より劣っている気がして怖い。僕は何も持っていない。ただ身体があって、陳腐な脳味噌があって、それで何だって言うのだろう。

 

劣等感で生かされている。何か、何か、何でも良い、何かひとつだけでも、何かがあれば良いのにな。満たされることのない人生を、満たされるために生きる。

 

アルコールに溶けた脳で、美しさに殺されるだけの人生。それはとても苦しくて、でも、とても幸せだ。

 

 

雑記

人は皆、自意識の中に生きている。眼に映るものは全て自意識によってしか認識されない。つまり、人間はそれぞれがそれぞれの世界を見ていて、その世界を創り出しているのは紛れもなく自分自身である。人間は自分の中に生きている。だから、逃れられるはずがない。自分が世界なのだから。生きるということは、世界に身を置くことだ。生きている限りは、世界の中を彷徨うしかない。世界からの離脱は、自己の喪失を意味する。

 

僕と君は同じ部屋で暮らしていても、同じ世界には暮らしていない。同じものを食べていても違うものを食べているし、同じ景色を見ていても違う景色を見ている。

 

それがとても寂しい。

 

青について

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物置小屋の横の石垣で、トカゲが日光浴をしていた。若いトカゲの尻尾は青く輝いている。捕まえてみようか、と思ったが、尻尾を千切らせてしまうのが勿体なく感じて、やめておく。

 

青年というが、成る程、人間も若い頃は青いのだ。ケツの青いガキ、という言葉もある。尻尾がないので、ケツが青くなるしかないのだろう。そんなことを考える。トカゲは身の危険を感じた際に、尻尾を切り離し、身代わりにして、逃げる。では、人間が自身の青を切り離すのはどんな時で、何処へ逃げて行くのだろうか。

 

近付いて指を目の前でチロチロと動かしてみると、トカゲは、石垣の隙間にするりと滑り込んでいった。

2018/09/29

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雨が降る。

草木は濡れて葉先から雫を滴らせる。地面を無数の水滴が叩く音。それが雨音なのか、見渡す限りの樹々がその葉から水滴を落とす音なのか、判断できない。音は川のせせらぎのようにも聴こえる。そういえば近くに小さな渓流がある。空から降る水が地に落下する音と地から湧く水が流れる音が混ざり合って、聴覚全てを埋め尽くす。

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今日もまた神様に会いに行った。先週以降、僕は完全に魅せられたようで、生活の中のふとした瞬間にこの苔むした樹皮や躍動する枝を思い出すようになった。

雨の中、ただ聳え立つ巨樹。晴れていても曇っていても雨が降っていても、そんなことは問題ではないのだろう。明日は台風が来るらしい。そんなこともきっと問題ではない。巨樹はこの場所に、じっと聳え立っている。

雨音以外に聴こえる音は自分の呼吸音とぬかるんだ地を踏む足音だけで、時間など初めから無かったかのように錯覚する。あるのは森と自分と巨樹だけだった。今ここで蠢くあらゆる感情は全て自分の中から湧き出している。それらは圧倒的な無に包まれている今、不純物のようにしか思えない。くだらないものを持って生まれてしまったな、と思う。

 

巨樹はただただ聳え立っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

憂き世話

空き缶が机の上に溜まっていく。机の上から淘汰された奴らは転がり落ちて床に横たわっている。窓を開けていると得体の知れない小さな虫が入ってくるし、浴槽の四隅は掃除しきれなかった水垢でぬめっている。脱ぎ散らかした服。雑然と積まれたCDや文庫本。

 

彼女はいつだって無垢な笑顔で男を転がしていたんだろう。俺だって転がされた中の一人なんだろう。彼女がどんなつもりだったのかなんて今更わからないし、わかる必要もない。ただ、触れた彼女の身体は温かかった。彼女はちゃんと人間だった。くだらねえ物語のヒロインなんかじゃない。だから、俺と彼女は分かり合えなかった。分かり合えなかったけれど身体を合わせて、分かり合えないから満たされないと会わなくなった。あの頃、間近に見た白い肌に生える細くて透明な産毛、それすら愛しかった。愛しくてどうしようもなくて、舌先で彼女の輪郭をなぞった。くすぐったい、と笑う彼女は俺の唾液で濡れてキラキラと輝いていた。

 

無造作に積まれた漫画本の中から、適当な一冊を抜き出して適当なページを開く。胸とクビレが異常に強調された女がよくわからない怪物に襲われている。リアリティもクソもないけれど、べつにこれを読む人はリアリティなんて求めてないんだろう。なんならリアルから逃れるためにページを開いてこの胸とクビレのお化けに会いに行くのだろう。こいつの二の腕とか背中にも産毛が生えてるのだろうか、とか考える。舌で舐めると、くすぐったいと笑うのだろうか、とか考える。馬鹿らしくなってページを閉じる。

 

ノートパソコンを開いて、エロサイトを漁る。こんなにたくさんの女性が裸になって画面の向こうで喘いでいるのに、そこに彼女の姿は見つけられない。あんなにたくさんの男と関係を持っていたくせに、画面の向こうに彼女の姿は見つけられない。彼女がどこにいて、何をして、誰に舐められて、誰にあの笑顔を見せているのか、俺はもう一生知ることはない。だから仕方なく、俺は知らない女が喘ぐ姿を眺めて、現実感のない汚ねえ部屋の中で、果てる。あんたわりと可愛いからまた会いにくるよ、そんな風に投げやりに、果てる。

 

 

2018/09/23:彼岸中日

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彼岸花が咲き乱れている。蛇の舌を抜いて寄せ集めたような不気味な花弁が、その赤色であちらこちらを燃やしている。

 

今日は墓参りをした。我が家の墓は山の中にある。墓地には十数基の墓石が並んでいる。明和、文政、天保。聞いたことがないような元号が墓石に刻まれている。途方もなく長い時間の中をこの血は流れてきたのだ、と思い知る。

花立に菊や鶏頭、榊などを差し込み、供え物としておはぎや団子を置く。

墓前で手を合わせる。手を合わせる時に何を考えたら良いのかいつも分からない。仏さんに願い事はしてはいけないということは知っているので、とりあえず「会いに来ました。僕は元気です。ありがとうございます」と伝える。

最近、墓参りをする度に河鹿蛙に遭遇する。この墓地に住み着いているのだろうか。近くに小さな渓流があるものの、そこで繁殖しているようには思えないのだが、どこからやって来たのだろうか。

 

墓参りから帰った後、特にやることもなく暇だったので、車に乗って、なんとなく滝を見に行く。地元の山奥は渓谷で、渓流には大小の滝が流れている。一番有名な滝は高さが約80メートルもある大きなもので、滝の前に赤い吊り橋が架かっており、そこから全体を見ることができる。吊り橋もかなり高い場所に架かっており、見下ろすと40メートルほど下に渓流が見える。現在は、落石や崩落で吊り橋までの林道が通行止めになっており、その滝を見ることはできなかったが、他に小さな滝がいくつもあるので、それらを見に行った。道中に宿泊施設や休憩所として使われていた建物がある。建物の前には大きな窪みがある。以前、釣り堀として使われていた窪みだ。幼い頃に父に連れてきてもらったことがある。自分たちの他に数組の客がいた。カップルや親子連れ、おじさん。僕がヤマメを釣りあげると、隣にいたおじさんが「大きなの釣ったなぁ、すごいがな」と褒めてくれた。賑わっているというほどでもなかったが、釣り堀を囲む客たちは皆、とても楽しそうだった。

水の抜かれた釣り堀の底には黒く湿った泥が積もっている。伸び切った雑草が、使われなくなってから何年も経っていることを教えている。

ふと、耳障りな音が鳴っていることに気づく。建物の中で何かが鳴っている。目覚まし時計か黒電話が鳴っているような音。建物に近づいてみると。建物の入り口には閉鎖中の張り紙が貼ってある。平成31年3月末まで、と書いてあるが本当なのだろうか。

そこを立ち去るまで、誰もいない室内で音は鳴り続けていた。

 

渓流に降りる。岩と岩の間を縫うように透明な水が流れている。手を浸けてみる。恐ろしく冷たかった。流れの激しい部分は川底が削られ深くなっている。そういったところは、水面が深い緑色をしている。手で掬う水は、透明なのに不思議だ。透明は無色ではないらしい。

 

帰り道、少し脇道に入る。しばらく進むと、かなりの山奥であるにも関わらずポツリポツリと民家が現れる。こんな場所にも集落がある。きっと、限界集落に分類される集落なのだと思う。おじいさんが庭先で農機具をいじっているのが見える。小さな小屋に「館民公」という木の看板がぶら下がっていた。

右手に集落を見ながら山道を進む。民家が見えなくなって数分後、ある場所に辿り着く。

そこには巨木が聳え立っている。幹周12メートル、樹高40メートル、樹齢は500年以上と言われている大カツラの樹。この辺りでは「山の神さん」と呼ばれている。東西へ伸ばした枝は、周りに生えている木々の幹よりも太く、長い。龍が空へ飛び立つ姿のようにも見える。

今、この世にいる全ての人間が生まれるずっと以前からこの樹はここで静かに生きていた。見上げると、龍が空を覆い隠している。

自分が生きていることが取るに足りないことだと感じる。自分にとって自分の生が全てのはずなのに、その全てを取るに足りないと感じる。全ては取るに足りないことだ。

吸い込む空気が湿っている。この土地は湿っている。吐き出した呼気も、湿っている。

この土地が僕を産み落としたのだ。

この身体を流れる血のことを想う。全ての取るに足りなかった血液が、今、この渓谷で流れ続けている。

自分の全てがここにあることが、どうしようもなく苦しくて、愛しい。

僕の神様はこの土地にしかいないと知る。