ます

小学生の頃、音楽室の壁に音楽家たちの肖像画が並んでいた。授業中、僕がそれらを眺めていると、その中のひとつ、シューベルトの顔の下に「ます」という文字列を見つけた。シューベルトの代表曲「ます」のことだ。

当時の僕は、なぜかその「ます」という響きが笑いのツボに入ってしまった。そして何を思ったか、隣にいるMちゃんに「ます」と囁いた。小学生なんて何を言っても面白い年頃だ。授業という堅苦しい空間の中で突然隣の男子が「ます」なんて言うもんだから、Mちゃんは笑った。

それが最初。

味をしめた僕は、その日から事あるごとにMちゃんに向かって「ます」と言うようになった。Mちゃんは最初は笑っていたが、次第に「やめてよ!」とか「黙って!」とか言うようになり、「ます」に対して嫌悪感を抱くようになっていった。

僕たちのその様子を見て、僕の真似をする奴らが現れた。何人もの児童が事あるごとに「ます」という言葉を一人の女の子に向かって投げかける光景は、異様なものだったろう。

担任も流石にその様子には気づいていたが、単なるじゃれ合いみたいなものだと思ったようで、にこやかに「人が嫌がること言うなよー」と軽く注意する程度だった。

傍から見たら、「ます」という言葉を頻繁に言う子どもたちと、それを嫌う女の子なんて意味がわからない。担任も意味がわからなかったのだろう。意味がわからないから、その状況に対応する必要があるのか無いのかもわからなかったのだろう。

実際に意味なんてどこにも無かった。
あったのは、ただ面白いという感情だけだった。誰も「ます」と言うことが悪い事だなんて思ってもいなかった。

数ヶ月経っても、まだ「ます」は教室内に蔓延していた。Mちゃんもどんどん「ます」を嫌悪するようになり、「ます」と言うと本気で怒るようにまでなっていた。

担任も、その異様な状況にやっと危機感を感じ始めたのか、叱る口調がつよくなっていった。

そして事件が起こった。

ある日、「ます」と言う言葉がテレビから聴こえてきたことに怒ったMちゃんは、テレビを殴ったらしい。しかもかなりの強さで。

その状況を見たMちゃんの親がこれはただ事ではないと思ったのだろう、数日後に担任から話があった。
「他人が嫌がるようなことを言うな、どんな理由であっても、どんなくだらない言葉であっても、絶対にしてはいけないことだ。」
こんなことを担任が怖い顔をして話した。

僕たちは、驚いた。罪の意識なんて無かったのに、担任がこんな怖い顔をして話をしていると。

そして、僕は自分自身が事態の原因であることを思い出した。僕が全ての元凶であったのだ。「ます」という言葉を広めたのは僕で、僕のせいで多くの友人が罪悪感に苦しむこととなった。多くの友人が、単なる面白い遊びとして「ます」を信仰し、一人の女の子を精神的に追い詰めてしまったのだ。

それは、いじめともとれる状況であったのかもしれない。


僕は今思う。
あの頃の僕は「ます教」の教祖であったと。Mちゃんを洗脳し、クラスの友人達を信者として、理不尽にMちゃんの精神を痛めつけていたのだと。


おわり