2020/07/27:寝る前

連休が終わった。

それだけで人々は嘆くことができる。100人いれば98人は憂鬱な気分になる。憂鬱な気分になって、最悪の場合、死に至ることもある。連休は害悪だ。

いや、労働があるから休日があるわけで、休日の最上級が連休で、つまり、労働が悪い。労働は害悪だ。

いや、労働というのも人間が創り出したシステムで、つまり、人間が悪い。人間は害悪だ。

 

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書くということについて考えていたら、4連休が終わった。

 

僕は奇しくも金融マンなので、書くという行為は正直まったく仕事に関係ないし、なんなら稟議書なんて文法破壊しても特に言及されることなく案件はすんなりと通ってしまう。

一応、文学研究をしていた身として文法破壊は死刑に値する行為だと刷り込まれているので、就職して最初の頃は稟議書をもうめっちゃ推敲していたが、ある時、死刑を覚悟で、ぽけーっと書いて回したら案の定すんなり通ってしまった。それ以降はもう無駄な労力は使いたくないので、ぽけーっの繰り返しになっている。本来なら多分100回近く死んでいる計算になる。極悪も極悪、稀代のワルだ。

 

仕事に関しては極悪犯な僕だが、プライベートでは仏で、こういう日記的な文章は全く推敲しないのだけれど(ここでギロチンによって、ザックリ、首を落とされる)、趣味で書いてる長い文章は、めちゃくちゃ推敲する。3年くらいかけて推敲する。

例えば、小説を書くとする。誰に読ませるわけでもないが、破綻したものを書くのは文学に対する冒涜だと思っている。なので、ひとりで書いては推敲し、書いては推敲しを繰り返している。描写が〜、比喩が〜、その辺の技術的なあれこれが下手とか上手いとか、それ以前にまずは文章を文章として形にする、ということが必要だ。それができていない人っていうのも沢山いて、自分ができているのかって言われると自信はないのだけれど、せめてまずは、文章と呼べる文章を書けるようにならなければならない、と思っている。まともな文章が書けたなら、もうこの世に思い残すこともないだろう、と思う。

 

書くためには、読むことも必要不可欠だ。

だから色々読んでみては、こんなのを書くことができる能力を兼ね備えた脳ミソはどちらに売っているのですか?  と聞きたくなる。

自分の文才のなさに絶望する。

絶望していたら1日が終わる。

それを4回繰り返したら4連休が終わった。

 

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どーでもいいクソみたいなというかクソそのものな文章とも呼べない文字の羅列をiPhoneの画面に唾を吐くみたいに打ち込んでいたら、もう午前1時を過ぎている。明日は仕事らしい。仕事ってなんだよ。仕事、って言葉の由来は「すること」らしい。すること、ってなんだよ。することをするために朝早く起きて疲れ果てて帰って飯食って風呂入って寝るだけで、好きなこともできない生活ってなんだよ。すること、は仕事以外にも沢山あるのに、なんて理不尽なんだろう。

文句を言っていても、何にもならないので、僕はきっと明日も早く起きて働きに向かうのだろう。

すること、は沢山あるから、することをするために、することをする。