成人男性の握り拳ほどの大きさの泡の塊が、池の上に枝を投げるいくつかの樹の、その枝に点々とぶら下がっている。葉を飲み込むような恰好で枝に付いているものもあれば、竹輪のように枝を芯にして付いているものもある。全部で八個あった。ここから無数の命が生まれるということが信じられない。

 僕の家の隣に空き地がある。長年手入れもされていない様子で、名前も知らない様々な野草が茂っている。空き地の向こうは山で、山の斜面と空き地の平たい地面との境目の部分に、六畳ほどの僕の部屋と同じ位の広さの小さな池がある。春が終わって梅雨入り間近の頃になると裏山からモリアオガエルが下りてきて、池の周りの木々に卵を産み付ける。

 モリアオガエルは木の上で産卵を行う。卵を宿した雌に雄が後ろから抱き着いて、雌の腹を揉み下ろしていく。すると、雌の尻から粘液が排出される。そこに雄が射精する。粘液と精子の混ざり合ったそれを二匹が後脚で掻き混ぜると、徐々に泡立っていき、最終的にソフトボールほどの大きさに膨らむ。そしてその泡の塊の中に雌は卵を産み付ける。水分を含んだ泡塊は、当初は白くどろどろとしているが、日が経つに連れて、その表面は硬く乾いていく。産み付けられた卵の運命は平等ではない。外側の層の卵たちは、その産み付けられた位置、ただそれだけの偶然によって、与えられた命が数日で消えてしまうということを決定付けられてしまう。表面から三センチ程度の層に産み付けられた卵は、乾燥して死んでしまうのだ。泡塊の外側が乾燥して厚い膜となり、内側から水分が蒸発していくのを防ぐことで、内部の卵が守られる仕組みである。そうして守られた内部の卵が成長し所謂オタマジャクシの形になる頃、泡塊は、どろり、と溶け始める。泡塊の下には水面が広がっていて、溶けた泡の中からオタマジャクシがぽとりぽとりと、一滴の雫のように水面へと落下していく。死に内包されて成長した生は、オタマジャクシとなって此の世に孵り、池の中で泳ぎ始める。

 毎年、この時期の雨が降る日の夜中に「コロコロ」と喉の奥で何かを転がすような鳴き声が聞こえると、その次の日にはいくつかの泡の塊が木の枝にくっ付いているのであった。先日、僕が住む地域の梅雨入りが発表された。そして昨日は、一日中しとしと雨が降って、夜中にはモリアオガエルの鳴き声が窓の外に響いていたので、僕は池の様子を見に来たのである。

 前日には無かった場所に突如として現れた幾つもの泡塊は、一晩で瞬く間に成長した果実のようだった。まだ卵塊は産み付けられたばかりで真白く、瑞々しい気泡のひとつひとつが木漏れ日を小さく反射している。気泡に包まれるようにして、薄黄色い小さな粒が泡塊の表面にぽつぽつと浮いている。卵だ。数日たてば、泡塊は黄色く乾燥して、今見えているこの卵たちは全て死んでしまう。モリアオガエルは、一つの泡塊の中に、約四百個の卵を産み付けるという。そして、その約半数は渇きによって死んでしまう。オタマジャクシとして無事に此の世に生まれ落ちても、池の中にはアカハライモリやヤゴやアメリカザリガニなどの天敵がたくさん存在していて、無事に成体になることができるのは、生まれ落ちた中の半分以下だという。

 落ちていた木の枝を拾い、泡塊に刺してみる。全くと言っていいほどに感触は感じられず、まるで空気に枝を突き立てているようだ。しかし、枝先はしっかりと泡塊にめり込んでいく。どこまで突き刺しても感触が返って来ないのでつまらなくなって、枝を引き抜く。枝先はぬるぬると湿って濡れていた。