2022-01-02

恋愛とは、粘膜と粘膜を重ね合わせる作業に裏打ちされた正義の上で繰り返される陶酔、行き過ぎて狂う安心感と独占欲、理不尽を許すことすら少し楽しんでしまうことを肯定される驕り、そういうものを綺麗に言い換えただけの言葉で、そこに付随するナンバーワン感情はたぶん「苦しみ」なのに、皆んな、恋愛を祭り上げる一方なのは、僕らも生き物であって、本能的な部分でその方が都合が良いからなのだと、思う。

これは僕の考え方だから、否定されても仕方ないし、僕はこんなこと考えている人と恋愛したくないので、否定されても仕方ないんだけど、やはり僕も生き物なので、雄と雌との間にある理に飲み込まれそうになる夜だってあるわけですよ。そんで考えれば考えるほど、滑稽な生き物だなぁ人間、と思うわけです。他の動物に脳味噌自慢するんなら、もっとスマートに生きて見せるべきなんだ。いくら個性とやらを尊重したところで、結局、自分の遺伝子をいかに残すかっていう脳味噌のどっかに転がっているデッカい本能の塊を誰も見つけられずにいるじゃないか。

 

恋愛とは関係ないのだけれど、僕はこの一年と少しをバカみたく生きている間に、「他人をもっと信用してもいいのだ」ということと、「他人を信用し過ぎてはいけない」ということを学んだ。どっちだよ? って思うと思うけど、両者共に同じ位に真実なのです。何言ってるか分かんないですよね。でも本当にそう感じたのです。

 

生きててくれて安心した、とか、元気そうで安心した、とか、そういう言葉を投げてくるのは、一度、僕のどっかを粉砕した人たちばかりで、この人たちは何がしたいんだろう? と考える。誰かを無意識的に見下して、安心する。そのための道具が僕なら、それでいいけど、そんな安心を欲さなければ生きていけないくらいなら僕は生きていなくてもいいと思ってしまう。ダサいもん。だから僕は、いらんな、と思った関係は、できる限り終わらせるようにしている。だらだら引き摺って、良いことがあった試しがない。腐り切った安心感なんて、そんなものを抱えていても、その臭いと重さに、足取りが重くなっていくだけだ。

 

新しい年が始まったらしい。

 

新年一発目の記憶は「同性にされるフェラ」。相も変わらずクソみたいな年になりそうです。でも、なんだか久しぶりに前向きなんだ。やり直す。今からでも遅くないって、遅くなかったって、言えるようになる。人生は良くも悪くも終わるまで続く。終わるのを楽しみに生きてみようかな、と、今は思っている。