憂き世話

 如何なる文明においても、人々は、踊り、歌い、言葉を話してきた。それらは各地でそれぞれに自然発生し、そして現在、それらは、混ざり合い、排除し合いながら、所謂「ひとつの世界」を築く重大な要素となっていること。

 伝播者がいなかった、とは言い切れないかもしれない。しかし、遠く離れた土地と土地に全く異なる質感の文字が生まれ、発音が生まれ、あらゆる身体部分に動線が生み出され、そして、各々に育まれ、進化し、各々の「文化」と呼ばれ、そして混ざり合っていくこの光景は、私を混乱に陥れる。伝播者がいたならば、何故、あえてそれらに独自性を付与する必要があったのだろうか? 

 

 上に述べた事象が「文明:文明」の構図だけでなく、「個:個」にも当て嵌まり、起こりうるとしたならば、こんなにも希望に近しいものは、他に存在しないのではないだろうか。だからこそ、私は未来に一縷の望みを託すことができる。私だけでは創り出すことのできない未来。想像を超える未来。共鳴と反発とを繰り返し、そしていつか、辿り着く未来を、たとえこの目で見ることができなかったとしても、誰かの瞳にそれが映る時を想うと、私の心は、初めて産声を上げたあの瞬間の如く、光に包まれたような恍惚感を覚える。

 

 人は不思議な生き物だ。そして、私は人として生存を許されている。誰に許されているのかは、まだ知らない。