憂き世話

 

 集落の中心を焼鳥の串の如く真っ直ぐに抜ける市道脇の、人ひとりがやっと歩ける程度の幅しかない歩道を歩いていると、いつもの夜には決して聴こえることのない賑やかな話し声が、幾戸もの民家の窓から漏れ聞こえてくる。

 盆の連休の間、集落には人間の気配が増える。県外ナンバーの車が集落内に疎らに存在する空き地に点々と駐車される。昼間には、見たことのあるようなないような若夫婦が農道を散歩しながら小さな子供を水鉄砲で遊ばせていた。

 道沿いに建つ、普段は誰も住んでいない空き家の開け放たれた窓越しに、一際賑やかな話し声が聴こえた。開け放たれた、といっても、網戸一枚が外界を隔てているわけではあるが、盆提灯と丸蛍光灯の灯された薄明るい室内の様子が、まるで、テレビ画面に映された団欒のように、窓枠で四角く区切られて、夜の闇に明るく浮かび上がっている。

 酩酊した人間特有の呂律の回っていない発話と、その発話が誘引する、無駄に大きく張り上げられた笑い声。かちゃかちゃと食器がぶつかる音。誰も観ていないであろうテレビ画面に流れるバラエティ番組の音声。酒の匂いとオードブルの油っぽい匂いが混ざり合い、窓の外で吹く夜風に溶け、こちらまで流されてきて、時折鼻先を掠める。

 玄関先に、迎え火を焼いた後が目に入った。黒い焦げ跡と白い灰が玄関前のコンクリートにこびり付いている。焼け残った麻幹の屑が何本か落ちていて、その先端からほつれた繊維をふわりふわりと生ぬるい風に揺らしている。迎え火は、祖先の霊を迎えるための目印として焚くのだという。

 宴会が行われているのは仏間で、大きな座敷机の周りに親族が集まっており、その奥に設置された仏壇の上に遺影が並んでいる。白黒のものもあれば、着色されたものもあった。仏壇を挟むようにして三つ足の盆提灯が立てられ、灯されている。

 山奥の小さな集落の誰も住まなくなった民家にも、帰ってくる人々がいる。家に明かりが灯される。嘗ての生活の跡しか残っていないそこで、同じ血が流れる数人が集まり、食べ物を食べ、排泄し、睡眠をとる。一年の間の決まった数日間だけ、生活の音や匂いが民家の中を満たし、その様子は、まるで、普段から人が住んでいる家であるようにしか見えない。

 普段は空き家であることが信じられないほどに光と音を漏らす窓の外で、そんなことを考えていると、酩酊の声が急に泣き声に変わり、鼻をすすり始め、相変わらず何を言っているのか分からなかったが、その突然の変貌ぶりが面白かったのだろう、周囲が、どっ、と笑い声を上げた。

 

 無数の小さな羽虫が網戸の周辺を飛び交っていた。何処からか一匹の大きな蛾が、空中を飛んでいるにも関わらず何故だか身体を引き摺るように見える飛び方でやって来て、ぴたり、と網戸に止まった。その後翅の輪郭が少しひび割れていた。そのせいであのような不気味な飛び姿になってしまうのだろう。この角度から見ると、丁度、室内の盆提灯と重なる位置に蛾は止まっていて、盆提灯と網戸との距離の隔たりから生じる遠近感の錯覚のせいで、人間の頭ほどもある盆提灯に、まるで人間の頭ほどもある蛾が静止しているように見えた。