水底の猫 : 一

 蝉の声が熱い大気を揺らして、陽炎を生む。枝木の影が、群れたまま干からびた蚯蚓のように、縁側の床に伸びている。流水が岩に激しくぶつかって割れる音が、日差しに焼かれた地表に染み込んでいく。切るのが面倒で伸ばしっ放しになっている前髪が、汗で湿って額に張り付くのが鬱陶しい。

 風通しを少しでも良くするために開け放たれた障子の向こうには、仏壇がどっしりと構えている。その前に真菰を茣蓙のように編み、竹で土台を組んだ、棚と呼ぶには陳腐な精霊棚が用意されていて、胡瓜と茄子に竹串を刺して動物の形を模したものが供えられている。胡瓜は馬で、茄子は牛なのだ、と祖母が言っていた。仏壇の横で盆提灯が襖や壁に色とりどりの光の玉を投げかけている。

 持田智一は、縁側に寝転がって、仏壇の上方に並ぶ遺影を眺めていた。曾祖父と曾祖母、そして祖父。黒い額縁の中にいる先祖たちは皆、穏やかに微笑んでいる。そのせいだろう、遺影を見ていると、死ぬことは怖いことではないぞ、と言われているような気分になる。

 智一の住む一軒家は川沿いの斜面の上に建っている。この辺りは山間部で川の上流にあたるので、川は低いところに向かって、ざあざあと大きな音を響かせながら勢いよく流れていく。岩肌に毛が生えるようにして雑草が育つ斜面の下は、他の所よりも深くなっていて川底が見通せず、川面が深緑色に見えるその部分だけ水がゆっくりと渦巻いている。昔、そこに落ちて死んでしまった人もいるのだ、という話を近所の誰かから聞いたことがある。幼い頃、夏になると父親が智一を抱きかかえて下の深みに落ちてしまわないよう慎重に斜面を下って、深みの左側へ十メートルほどのところの、小石や砂が堆積してできた小さな川原へ連れて行ってくれた。その周辺は比較的流れが大人しく、子どもが遊んでも溺れる心配がないくらいに浅いので、そこで智一は父と一緒に魚を捕まえたり水切りをしたりして遊んだ。水中で群れているウグイの子を捕まえようと智一が手を伸ばすと、小さなウグイたちはきらきらと光を反射させながら、指の間をすり抜けていった。

 Tシャツが身体に吸い付いてくる。汗は何度拭ってもすぐに毛穴から滲み出て身体を湿らせる。シャワーでも浴びようか、そのあと課題でもしようか、智一が考えていると、二つ折りにして枕代わりにしている埃臭い座布団の横で、携帯電話が細かく震えながら着信音を鳴らし始めた。智一は、この音が嫌いだ。この音を聞くと腹の中心がざわざわとして落ち着かない。地震や、政治家の辞職表明などの速報を伝えるテロップがテレビ画面の上の方で点滅するときに流れるあの音にも、智一は同じような感覚に襲われる。携帯電話の画面を見ると見慣れた名前が表示されていた。電話に出るのが面倒で、切断ボタンを押す。長い間横になっていたために身体が重くなったように感じる。立ち上がって、天井に向かって大きく身体を伸ばす。縁側の軒下に常備している黄色いサンダルを引っ掛け、神社へ向かって智一は歩き出した。

 この集落は山と山の間の谷になった所に位置している小さな農村で、民家の立つ部分よりも田圃や畑の面積の方が広く、道を歩けば、身体中に皺のよった老人たちが畑の中を闊歩する姿ばかりが目につく。二十歳より下の人間は数えるほどしかいない。コンビニもスーパーマーケットも無く、田中商店という小さな個人商店が集落内で唯一、生活必需品や食料を手に入れることのできる場所であるが、品揃えが恐ろしく悪い。そのため、ほとんどの人間は、バスや自家用車で街まで出て買い物をする。集落の人々が田中商店を利用するのは、急遽どうしても必要なものができた時の頼みの綱としてくらいである。田中商店を切り盛りしているのは八十歳くらいの綺麗な白髪のお婆さんで、彼女はいつでも店を入って正面に置いてある木製の椅子に座って、動くこともせずにじっと外を眺めている。そのせいで、智一が店の前を通るといつものように目が合うのだった。田中商店にはレジが無く、商品を持っていくと、お婆さんは震える手で算盤の玉をぱちぱちと打って計算をする。智一は、毎回、計算が間違っていないだろうかと不安になる。不安に感じることは他にもある。一度、祖母に頼まれて買って帰った竹輪の賞味期限が切れていたことがあったのだ。智一は生ものをここで買うのはやめておこう、と思ったのだった。

 田中商店の前を通り過ぎると今日もお婆さんと目が合ったので智一は小さく会釈をする。お婆さんはそれに気付いているのかいないのかが読み取れない表情で、じっと智一を見つめ続けていた。