2020-07-04:抜歯

親知らずを抜いた。

 

朝七時五十分に起きて、歯を磨く。一時間と少し経ったら、他人に口の中を見せないといけないので念入りに。

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先日、たぶん十年ぶりくらいに歯医者に行った。左上の親知らずが鈍痛を訴え始めたからだ。

「かなりひどい虫歯になってますね、抜くしかないです」

歯科医に告げられて、そりゃそうだろうな、と思う僕。

「次回、抜きましょう」

帰り際に、次回の予約をして、渡された診察記録を見ると虫歯が九本あって、そりゃそうだろうな、と思う僕。

 

 

一年ほど前、家族で盆の墓参りに行った後、帰り道の肉料理店でローストビーフ丼を食べている時に、突然、ガリッと石を噛んだような感触と音が口の中に響いた。口の中から、その不快な感触と音の犯人である小さな欠片を探し出して、吐き出す。小さくて黒い、貝殻の破片のような、それを見て、あ、これは、と気付く。舌先で親知らずをなぞってみると、やはり、少しザラついた感触が舌先に返ってくる。人差し指を口に入れ、問題の場所に触れる。歯の表面と思えないほどにザラついて所々尖っている。少し力を入れて擦ると、小さな欠片がまた、ぽろり、と指先に付着した。

これはマズい、と思ったのもその日の内だけで、痛みも無く、生活に支障が出るわけでもなかったので、そのうち歯医者に行こうかな、と思いながらもなかなか気が乗らずに放置していたら一年近く経ってしまった。

 

僕は歯医者に行くのに抵抗がある。

機械の音が苦手だとか、痛いのが嫌だとか、そういうわけではなくて、少し前まで舌の裏筋にピアスを開けていたからだ。

タンウェブのピアスを付けたまま歯医者に行って良いものか、それとも外してから行かないといけないのか、まずそこが分からなかったし、タンウェブという部位はピアスが外し辛く付け辛い部位でもあるため億劫だったのである。

そして、もう一つ、僕は舌先を小さく割っている。これは特に治療に関しての支障はないのだろうけれど、単純に仕事柄あまり人に見られたくないという自己防衛のために、あまり歯医者に行きたくなかったのだ。保険証にバッチリ勤務先が記載されているので。

ピアスは手入れが面倒になって塞いでしまった。ピアスの穴はすぐに塞がる。もう穴が空いていた名残しか残っていないし、それも言わなければ分からないほどの些細な違和感程度のものだ。割った舌先は再生しない。一度、割ってしまえば、一生割れたままだ。割ったことに後悔はしていないのだけれど、こういう時に少し困る。

しかし、そうは言っていられない程の鈍痛が梅雨に入った頃から親知らずを襲い始めた。それくらいでは僕は歯医者に行かない。億劫なので。最初は気圧のせいかと思っていたし、二、三日で痛みが引くだろうと楽観的に捉えていた。

実際、気圧の低い時や疲れている時に親知らずが痛むことはよくあって、そういう時は大抵、数日で痛みは治まる。しかし、酷い痛みが一週間以上続いて治まる気配もなかったので、ついに観念して泣く泣く歯医者を訪問したわけである。

 

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午前九時の予約で、歯医者に着いたのは八時五十五分頃だった。開院が九時なので、一番乗りかと思ったら、既におばさんがひとり治療を受けていた。開院前なのに対応してくれるのか、と感心していると名前を呼ばれる。

 

抜歯の前に「歯のお掃除」をしてもらう。前回受診時に教わった歯の磨き方を実践している旨を伝えると、褒めてもらえた。

親知らずの抜歯は手術として扱われるようで、承諾書にサインをして渡す。文字を書く度に、自分の字の汚さに辟易とする。けれど、綺麗に書く努力はしないので自分が悪い。

 

 

「これ、いけるかなぁ、、、」

「なるほど、ここで砕けるか、、、」

「掴めるかなぁ、これ、、、」

「お、ここで(根が)三本かぁ、、、」

等々の不安になる呟きを残しつつ歯科医が僕の親知らずをいじくり回す。十分ほどいじくられ、

「はい、お口ゆすいでくださいー」

という言葉をかけられて親知らずが抜けたことを理解する。全然痛くないので抜けた瞬間も分からなかった。もっと痛いものかと思っていたけれど、ほぼ無痛だった。麻酔の注射を歯茎に刺す時にほんの少しだけチクリとしただけで、あとは無だった。無。

 

抜いた後の親知らずを見せてもらった。

なんだかゴツゴツと強そうな形をしていて、

「なかなか複雑な形で手強かったです」

と歯科医に褒められ(褒められてない)、少し誇らしい気分になった。

 

麻酔が切れた後の痛みを覚悟していたけれど、それも皆無だった。親知らずってこんなに呆気なく抜けるものなのか。

 

 

健康のために身体の一部を排除する。変な話だ。

身体は物体で、僕の容れ物で、壊れたところを修理しなければ、きっと僕のいろんな部分が零れ落ちてしまうのだろう。だから、穴を開けたり塞いだり、排除したり付け足したりして、修理を繰り返すことで容れ物としての役割を維持しなければいけないのだ。僕は痛んだ身体の一部を排除して、僕が僕としてあり続けるための、少しだけ快適な生活を手に入れる。

僕の身体の一部だった変な形をした物体。お前から恩恵を受けたことは一回もないけれど、今まで、ありがとう。さようなら。

 

 

「血流が良くなると出血してしまうかもしれないので、今日はお酒を飲まないでください」

と受付のお姉さんに言われたので今日は禁酒しなければいけない。

土曜日に酒が飲めない、それが一番辛い。