THE PARK


 2020年、私の敬愛するギタリストが死んだ。自殺だった。コロナ禍と呼ばれる状況が一向に解決しない中、2020年は多くの人々が自ら命を絶った。その中の1人が彼女だった。アナウンサーが彼女の名前と年齢を読み上げ、反射的に目を上げるとテレビ画面に「自殺」の2文字が映し出されていた。瞬間、私の中で何かが壊れた音がした。20インチの小さなテレビ画面に四角く切り取られた彼女の笑顔の写真が遺影にしか見えなくなってしまった。

 彼女が亡くなった数ヶ月後、彼女の所属していたバンドの新譜が発売された。作詞作曲をしていたのは彼女だったので、つまり、この曲は彼女の遺作ということになる。

 再生ボタンを押す指が震えた。

 イヤホンから鳴り始めたのは穏やかなイントロだった。ピアノのアルペジオにボーカルの歌が乗る。ボーカルの優しい歌声が、歌詞を滑らかになぞっていく。その歌詞がなんだか彼女が自分の死を予感していたかのように聴こえてしまう。

 最後にこんな曲を遺して逝くなんて、ずるい。

 緩やかに終わりに向かうアウトロが聴こえなくなるくらい、声を上げて泣いた。

 

 

 

 どっかの国で発見されたよく分からない新型ウイルスは、瞬く間に世界中へと拡がって、気付けば日常に溶け込んでしまった。ウイルスと同時に不安や混乱が拡がって、気付けば日常に溶け込んでしまった。2021年の8月になっても、事態は悪化するばかりだ。非日常が日常を喰ってしまった。

 

 

 

 小さな頃から、よく行っていた喫茶店が今月いっぱいで閉店するらしい。あそこのオムライスが食べられなくなるなんて、信じられない。おばちゃんの笑顔の接客が受けられなくなるなんて、考えたくもない。

「あら、いらっしゃい」

 店に入るとカウンターでおばちゃんが迎えてくれる。いつも通り。

「オムライス、食べにきたよ」

「いつもありがとね」

 適当な席に腰を下ろす。おばちゃんが厨房のおっちゃんに、オムライスひとつ〜、と叫ぶ。出されたお冷がぬるい。でもそれもなんだか安心する。10分ほど待って机に置かれたオムライスは、チキンライスにしっかり火が通った薄めの卵が乗せられ、ケチャップをかけられたシンプルなものだけど、それが良い。私は下手に凝ったお洒落なトロトロ卵のホワイトソースがけ、みたいなものよりも何倍も好き。お冷を追加しにきてくれたおばちゃんに

「おばちゃん、美味しいよ」

と笑いかけると、

「そう言ってくれるのあんただけだったよ」

とおばちゃんも笑う。

「それはみんなが馬鹿舌なんだ」

 本心で言う。

「あんたが馬鹿舌なんだよ」

 おばちゃんが嬉しそうに舌をぺろりと出して戯けて見せた。

「ここは私のアナザースカイ」

 私が戯け返すと、おばちゃんは

「本当あんたは変な子だねえ」

 苦笑して、

「今までありがとうねぇ」

 どことなく寂しそうに微笑んだ。


 自動車修理販売をしてる近所の兄ちゃん(もう兄ちゃんという年齢でもないけれど、私にとってはいつまでも兄ちゃん)も、

「外出自粛されちゃうと、みんな車使わなくなってさ、修理も販売も需要がなくなって儲からなくてね。困っちゃうよ」

と嘆いていた。

「兄ちゃんもちゃんと仕事してたんだね」

 からかってみると、スパナを振り上げられてビビった。けど、すぐに上げた腕を振り下ろして、スパナを優しく地面に置いて、煙草を吸い始めたから、1本ちょうだいって、2人で吸った。溶けていく煙を、ぼーっ、と眺めながらみんなの不安も全部、この煙みたく溶けていけばいいのに、と思った。オレンジに燃えるこの煙草の先端みたく、夕焼けがみんなの不安を焼き尽くしてしまえばいいのに、と思った。兄ちゃんが、

「煙草も美味しく感じなくなっちまった」

と呟いた。

 

 

 

 公園のベンチで缶ビールを傾けて、煙草を吹かしている。もうすぐ日が暮れる。

 夏も終わりに近づいたこの時期の夕焼けの赤は、炎と同じ色をしている。私は少し期待した。この夕焼けが全てを燃やしてしまえば……。けれど、こんなに暑いのに、こんなに赤いのに、何も起こる様子はない。日が落ちて、辺りは暗くなり始めた。やっぱり何も起こらなかった。

 私は立ち上がる。


 コンビニで新しい煙草と、適当な週刊誌を3冊買う。袋はいりません。

 公園のベンチに戻る。ベンチの上に買った週刊誌を並べてみる。どの表紙にも「コロナ禍」とか「政府の対応」とか「パラリンピック」とか「ヌード」とか、同じような言葉が散りばめられている。煙草の箱を開けて、1本咥える。

 ライターで着火する。

 煙草ではなく、週刊誌に。

 左手で開いた状態の週刊誌の角を持つ。反対側の角を舐めるように何度か炙ると、週刊誌は燃え始める。

1冊目。燃え始めた週刊誌に、咥えた煙草を近付けて、火をつける。週刊誌の炎が大きくなって、手に持っていられなくなったので地面へ落とす。そして、一服。私は、煙をしっかり肺まで吸い込んで、吐き出す。煙草を消す。

「こんなもんさぁ」

 2冊目。

「私が全部煙にして溶かしてやるから」

 新しい煙草を咥えて、先程と同じ要領で、燃やす。大物政治家の顔、芸能人のゴシップ、曖昧な感染対策、エロい写真、ゲスい記事、あらゆる人間の欲望。燃え盛るそれらで、煙草に火をつけて、一服。週刊誌を落とす。

「みんなが悲しい顔しなくても良くなりますように」

 3冊目。燃やす。煙草に火をつける。落とす。煙を吸って吐く。煙は空に溶けて、すぐに霧散する。足元には3冊の週刊誌が炎を上げて燃えている。

 私には、何もできない。こんなことしか。


「おい! 何やってんだよ!」


 ふと、声が聞こえて、足元に水を掛けられる。

「兄ちゃん」

 水が飛んできた方を向くと兄ちゃんが立っていた。

「何やってんだよ、ほんと!」

送り火

「はぁ?」

 兄ちゃんが呆れた声を出す。

「もしかして、スカート燃えてたの気づいてなかったの?」

 え、とスカートを見下ろすと、たしかに裾から腰の辺りまで黒く煤けていた。

「気付いてなかった、ありがとう」

「馬鹿……。はぁ、まぁいいや。そんなに何か燃やしたいんならさ、一緒に花火しようよ」

 「おじちゃーん」と遠くから子どもの声が聞こえた。「おーい、ごめんな! ここだよー!」と兄ちゃんが応える。

「花火しようと思って甥っ子連れてきてたら、お前が燃えてたからびっくりして置いて走ってきちゃったじゃんか」


 線香花火勝負は甥っ子ちゃんが6戦全勝だった。

「ちびちゃん、君、線香花火のプロになれるぞ」

「姉ちゃんは放火魔になれるぞ」

「なんだと!」

 兄ちゃんが微笑みながらこちらを見ている。

「昔からやんちゃで、何考えてるのか分からなくて、手が掛かる悪ガキで」

 そして私の顔を見て、

「でも、いつまでも変わらないお前を見て、みんな安心してきた節もあるんだよ。またアイツが何かやらかしたらしいぞ! って、笑い話にしてさ」

 

 

 

 どっかの国で発見されたよく分からない新型ウイルスは、瞬く間に世界中へと拡がって、気付けば日常に溶け込んでしまった。ウイルスと同時に不安や混乱が拡がって、気付けば日常に溶け込んでしまった。2021年の8月になっても、事態は悪化するばかりだ。非日常が日常を喰ってしまった。

 沢山の人が亡くなった。沢山の人が苦しんでいる。

 大好きだった喫茶店が閉店する。兄ちゃんの煙草はきっと不味いままだ。

 みんな悲しそうな顔をしている。

 大丈夫じゃないんだ、みんな。大丈夫じゃない人に、簡単に「大丈夫だよ」なんて口が裂けても言えない。


 でもね。

 今だけはね。

 今だけでもね。


 兄ちゃんが笑っている。甥っ子ちゃんも笑っている。私も笑っている。


 だからね。


 私がいつでも祈っているよ。祈ることしかできないから、だからこそ、ずっと祈っているからね。

 

 

 

 

 

2021-07-25

救急車の通過数が明らかに多くなる季節、夏。

夏は人を容易く殺す。皆さん、暑さには気をつけて。健やかな生活を。

 

東京オリンピックが開幕して数日が経った。僕は運動を憎んでいる(マジで憎んでいる)ので観ていないけれど、それでも情報は色々なところから入ってくる。既に日本の選手たちが金メダルを何個か獲得しているらしい。素晴らしいことだ。素晴らしいことだけど、素晴らしいことで、素晴らしくないことを隠そうとする今の社会は如何なものか、と思う。べつに僕は博識でもないし、社会の仕組みや歴史や政治やなんやかんやに明るいわけでもないから、馬鹿が喋っているだけなのだけれど、馬鹿にすらそう思われてしまう日本社会って、どうなの? という話。

選手の皆様、今までの努力が報われますよう。あなたたちのしてきた我慢や献身が、あなたたち自身の幸福にしっかりと結びついていくこと、願っております。

 

休職期間が一ヶ月延びた。というか延ばしたのかもしれない。主治医との意思疎通ができないのでよく分からない。延びた、ということにしておく。

この一ヶ月で何を考えることができるのか、何かできるのか。

人生は長い。いや、短いかもしれない。どちらにせよ僕の人生にはリミットがある。

昨日、後輩たちの飲み会に呼ばれて参加した。社会人一年目や二年目の子達が色々な話をしていた。みんな明るい顔をしていて良かった。

二次会で水風船大会になったので

「日頃のストレスをおれにぶつけてくれ!」

と呼びかけたら、めちゃめちゃにされた。

こんな暗い雰囲気の世の中で、みんながちゃんと笑って生きていてくれて安心した。

 

 

 

 

 

 

憂き世話

「あの人と復縁する気はもうないですよ。あの人がどう考えているのか分からないですけど、僕はもうあの人とどうこうってのは考えてないです。振ったのは向こうだし、僕は振られた側でもあるので。あの人はたぶん愛されたい人なんです。愛されたい、って感情は誰にでもあるけれど、あの人のそれは少し行き過ぎてるんです。愛されたいだけで、愛すことを考えていない、とまでは言いませんけど、たぶん誰かをちゃんと愛したことはないと思います。愛しているつもり、にはなっているのかもしれないけれど。それは結局自分が愛されるための小細工なんです。言い方は悪いけれど。だから、誰からも愛されない。愛されたいだけの人を愛せるほどの余裕がある人間なんていないんです。無償の愛、って言葉ありますけど、そんなもの本当に存在するんでしょうかね。存在したとして、それは果たして本当に愛なのか、と僕は疑ってしまいます。エゴではないのか、って。自分が少し苦しんでも、愛して見せることで自分を満足させたいだけなんですよ。それで相手も満足してくれるならウィンウィンですもんね。ね、それって無償じゃなくないすか? 綺麗な言葉で飾られたエゴでしかないんです。そもそも恋愛なんて両者のエゴを噛み合わせる作業でしかないでしょ。本当に自分のことに脇目も振らずに相手のことを愛せる人なんて、異常ですよ。そう、だから僕もなんとかその無償の愛ってやつをあの人に与えようと思って頑張りました。形だけでもね。でもあの人は愛されていることに満足して、僕を愛そうとしていたようには思えなかったんです。で、本当は振られる前に気づいてたんです。あ、この人を愛することは、つまり、この人の人生の道具になることなんだ、って。愛を与えてくれる道具。他人を狂わせてまで自分のことを愛させようとするあの人は、きっと、これから誰のことも愛せないと思います。僕はあの人のために、まぁ、自分のためでもあったけど、狂ってしまいました。他人を愛するのに覚悟が必要なように、愛されたいなら、それなりの覚悟を持たなきゃいけないんです。あの人には覚悟なんてなかった。ただ、愛されたい、が先行して、暴走して、目の前の、愛になっていくかもしれない何か、を、むしろ潰してしまってた。僕はそう思いますよ。だからこそ、僕はあの人に幸せになってほしい。愛され方も愛し方も分からない可哀想なあの人が、ちゃんと笑える人生に導かれてほしい。だから復縁なんてあり得ないんです。僕はあの人の道具にしかなれなかった。そんな、出来損ないの愛製造機なんてのは、手元に置いておくべきじゃないんです。だから、振られた時、すぐに受け入れました。後悔も何もありません。ただ、あの人の最善を見つけていって欲しいと思っただけで、僕には、あの人にとっての最善の方法が分からなかった、それだけの話です。」

2021-07-11 : 特に意味のない

 まだ早い夜の窓際で煙草の煙をふかしている、人差し指の第一関節と第二関節を足した程度の、全長がわりと大きめな甲虫が、わりと大きめな羽音を鳴らして網戸へ飛びついてきた。それを見て、あぁ、また夏が来てしまった、と僕は少し憂鬱な気分になる。肺に溜め込んでいた煙を、甲虫へ勢いよく吹きかける。煙は甲虫の身体にぶつかり、割れて、その曲線に沿って流れ、消えていく。数秒後、甲虫はまた羽音を立ててどこかへ飛び去って行った。

 

 髪の毛が伸びた。髭も伸びた。休職してもう三週間程が過ぎた。上司からの電話も、もう来なくなった。組織は、僕が少し外れたところで、大きな問題もなく、すぐに社会に適合していく。この休職で数人の同僚や上司に迷惑をかけた。自分の仕事を代わりに遂行してもらっていることの罪悪感に、まだ慣れない。休職することを告げて、気にするな、と言ってくれている人々が、本当は何を思い、何を考えているのか、僕には分からない。きっと、少なからず面倒なことになったなぁ、と思っているだろう。あなた方の人生にとって、僕は脇役にすらなれない、ただの迷惑な部下でしかないだろう。そうか、脇役にすらなれないのなら、迷惑な部下でも良いか、と思ってみる。あなた方の人生にとって、きっと僕は取るに足りない意味しか持っていないのだから。あなた方が何を考えているのかは分からないが、それだけは、間違いない。あーあー、すんません。

 

 精神疾患の診断を受けて、僕の名前は増えた。名前が増えたというよりは、属性が増えた、と言った方が正しいか。とりあえず僕は、医療費を一割負担にしてもらえたし、少なからず他人に自分のことを説明し易くなった。だからと言って、生きることが楽になったわけではなく、むしろ困難にもなった。自分のことが分からないのは未だにそうで、なんらかの名前が付けられたところで、自分が変わったわけではなくて、考える余地が増えただけ、確定事項が増えただけだった。確定事項と言っても、明らかに見た目や症状で確定できる類の病でもないので、本当に自分はその名前を持って生きていっても大丈夫なのかという不安が消えない。こんなに困っていても、正直、自分がそういった精神疾患を抱えていて、例えばコロナワクチン接種の優先権を持っている、とかそう言った枠組みに入って生活しているという実感はない。自分ですらそうなのだから、周りの家族や、職場の人々は更にそうなのだろう。僕はこういった疾患を抱えています、と突然言われたところで実感なんて湧くはずがない。自分の苦しみは、どこまで伝わっているのだろう。伝えようと思うことすら、無駄な努力なのだろう。と何度も思っている。

 

 朝が来るのが怖い。なんて分からない人がいるらしい。それも怖い。

 

 たまに自分を制御できなくなることがある。たとえば、ピアスを代表とした身体改造。そういった行為は、僕の働いている(休職中だが)業界ではタブーとされている。いわゆるイメージが大事な仕事、だから。自分の身体を、自分の意思で、自分のものにしていくことの、どこがイメージの悪い行為なのか、僕には分からない。分からないけれど、禁止される。理不尽なのだ。親から貰った身体、とかよく聞く諭し方があるが、親から貰った身体だからこそ、自分のものにしていかなければならないのではないだろうか? これは偏った考え方なのだろうか? 親から貰った身体を、親から貰ったまま、生きていくことが正義なら、自分をその身体にしか見出す余地の思いつかない僕のような人間は、悪なのだろう。そこに理由なんてないのだろう。ただ、形式があって、歴史があって、社会があって、それだけ。あるものに従って生きていけば、誰にも文句は言われないのだろう。でも、そこに自分はない。あるものに穴を開けて、切って、そうして生まれた空間に、自分を嵌め込んで安心することの何が悪いのだろう。分からない。分かりたくもない。だから僕はタブーを破る。無邪気に。そして後悔はしない。ただ生き辛く、なっていくだけ。

 

 今日もアルコールが脳を揺らす。明日も、きっとそうだろう。

 

 

 

 

 

 

▪️

就職というものについて、真剣に向き合わなければいけない時が来てしまった。自分に向いている仕事、自分がやりたい仕事、そんなものは実際にその仕事をやってみないと分からないのに、どうやって決めれば良いのか分からない。

実際に自分がどんな仕事に就くべきなのかが分かっていて就職活動をしている人間なんてほとんどいないのだろう。

それでも社会で生き抜くためにはお金がいる。お金を手に入れるためには仕事をしないといけない。だから就職活動をする。いたってシンプルな理屈である。

お金なんてシステムがあるから、人生は難しくなってしまうんだ!なんてことを考えたところで、その事実は変わらないしどうにもならない。

 

じゃあ、せめて、何を大切にしたいのかで仕事を考えようと思う。

 

自分が大切にしたいこと。

 

これまでの人生、大切にしたいことなんてほとんど見つけられなかった。

自分のことなんて正直どうでも良いと思ってしまう人間なので、自分のために働こう!とか思えない。

家族を大切にしよう!とは思うけれど、僕は家族が少し苦手だ。理由なんてないけれど、昔から、苦手だ。だから、そこを一番には考えられない。

正直なところ恋人が一番大切だと思う。恋人なんて関係がいつどうなるか分からないのにバカだなあ、と言う人がいるのも分かる。保証のない関係のために仕事を選ぶなんてバカだなあと実際に思う。

でも、頭では分かっていても、どうしてもそれが一番大切に思えてしまうのだから仕方ない。

自分が大切にしたいものくらい自分で決めれば良いじゃないか。それで後悔したって良いじゃないか。自己責任。

 

みんな口を揃えて自分のことを優先しなければ後悔するぞ、と言う。

でも自分のことなんて最初からどうでも良いのに、そんなことを言われても困る。なんでみんなそんなに自分が大切なんだろう。

自分はどうなろうが、好きな人を幸せにしてあげたい。そう考えることしかできない人間なので、もう、そうやって生きていくしかないじゃないか。

もちろんそこには覚悟が必要だ。捨て身で生きる覚悟。誰かを幸せにするために自分を削る覚悟。

上手くいく保証はない。けれど、上手くいくように頑張ることはできる。

 

回り回ってそれが自分のためにもなるでしょう?

 

やりたいこと。僕が好きな誰かの幸せを作りたい。それだけ。それが今まで生きた中で唯一見つけることができたやりたいこと。

 

そのために、お金がいる。仕事がいる。シンプルな理屈だ。

 

そして、自分という人間が必要不可欠。

 

自分じゃなきゃできないことなんて無い。仕事においても、恋愛においても。

お前にしかできない、なんてのは理想でしかない。本当は誰だって代わりのきく存在でしかない。

 

だから、僕は悲しくなる。

 

自分が自分であるためにはどうしたら良いのか。アイデンティティの確立。

僕みたいな人間は一生モラトリアムを生きなければならない。

バカだから。

 

自分が自分である理由なんてどこにもない。たまたま、僕は僕に生まれてしまっただけだ。

 

それを受け入れてくれる人がいるならば、僕はその人を幸せにしたい。というか、しないといけない。それだけ。

憂き世話

吸って、吐く。

 

これを何百何千何万回と繰り返す滑稽さは全生命共通の、いわばこの世界の理。

 

思い切り吸って、吐かない。

 

たった数十秒で僕は苦しい。

繰り返して繰り返して、もうそれが普通になって、僕は数十数年を生き延びているらしい。

 

吐く。吸う。

 

それは最早、自分の意思とは関係なく、この身体に巣食う生命とやらが、勝手に、僕の意思とは関係なく。

 

僕は虚しい。

 

僕、とは一体、何なのだろう。

 

僕は生命に生かされている。生命に死は恐ろしいと言い聞かせられている。言いくるめられている。生きていくほど恐ろしいことは、ないだろうに。

 

意味はないけど、意思はある。余計なことしやがって神様。

憂き世話

あんたの弾くピアノが好きだった。普段は不器用な癖に、ピアノの鍵盤を叩くその時だけは、普段からは想像もできないほどの滑らかな運指。繊細なタッチで、情緒的な音を鳴らす。器用ですね、と僕が言ったら、あんたは「何その感想、変なの。普通はすごいですねって言うんだよ」と笑った。

 

僕はあんたのその才能に嫉妬していた。僕には何もないから、あんたのその人並外れた音感と表現力を目の当たりにして、あぁこれが本物か、と絶望したんだ。だからこそ、ずっとあんたのピアノを聴いていたかったのだけれど、そう上手くはいかないのが人生らしい。僕らは知らない間に大人になって、あんたはピアノを弾くのをやめた。仕事ばかりの生活が僕らの日常になった。

 

あんたは村上春樹が好きだった。所謂、ハルキスト、だった。僕は村上龍の方が好きだ。あんたがいつも読んでいるから、僕は何度か村上春樹を読んでみたけれど、やっぱりあまりしっくりこなかった。けれど、思っていたより読みやすいのだな、と思った。ひとつの発見だった。あんたと出会っていなければ、村上春樹が案外読みやすいのだと気づくことはなかっただろう。

 

「家族みたいにしか思えなくなった」

あんたに言われて、僕は、それじゃダメなのか、と言おうか迷ったけれど、やめた。ダメだから、こうやって、あんたは涙を流しながら話しているし、そんなあんたを僕はただ見つめることしかできないんだろう。

 

ワガママも夜遊びも浮気も全部許せてしまったのが、僕の敗因であり、僕らの敗因だったのだろう。

だからあんたは罪悪感とか不信感にああして泣いていたのだし、僕はあんたを許していたのに許し切れなくて、涙も流せなかったのだろう。恋愛は、家族ごっこではない。僕が許していたのは、結局のところ、嫌われたくないから、とか、機嫌を損ねたくないから、とか、自分のためのエゴの押し付けで、許しているフリをしているだけで、心の奥底ではやはり許し切れていなかったのだろう。あんたはあほだけど感受性だけは豊かだから、それをなんとなく察していたのだろう。だから、何度も確認するように「なんで私のことそんなに好きなの」と尋ねてきていたのかもしれない。分からないけれど。

 

あんたは未だに、時たま僕に電話を架けてくる。僕は毎回、電話に出る。遠慮のない話ぶりは相変わらずで、僕は笑って誤魔化しながら少し泣くこともある。あんたの人生が続いていることが嬉しくも寂しくもある。いまあんたの隣に知らない男がいることとか、あんたの口から止めどなく吐き出されるその男の良いところや悪いところとか、あんたそのものとか、全部、もう僕には関係がないのだ。だから、僕は笑う。ただ、ただ、笑う。

 

あんたが「死にたい」と言う。僕は、なんとかなるよ、と言う。僕はあんたを許し続けるし、でもやっぱり許せないまま、だらだらとあんたと話してしまう。

 

 

憂き世話

文章で人を生かしてみたかった。

 

僕の書く文章が、誰かの心(そんなものが存在するのだとしたら)に、薬物のように作用して(たとえ副作用があったとしても)、たとえば喜び、もしくは怒り、哀しみ、楽しみになれば、そして、それらがその誰かの生活にとっての核の部分から数センチ横の隙間に、かちり、と嵌まり込むことができたならば(凹凸が歪であればあるほど良い)。

 

文章で人を殺してみたかった。

 

僕の書く文章が、誰かの心(それは紛れもない臓器)に、薬物のように作用して(たとえ致死量を摂取してしまったとしたら)、たとえば喜び、もしくは怒り、哀しみ、楽しみになれば、そして、それらがその誰かの生活にとっての核の部分から数センチ横の隙間に、かちり、と嵌まり込むことができたならば(凹凸は歪であればあることを願う)。

 

2021/5/10 : 回想 Happy Mother's Day

花の寄せ植えを母にプレゼントした。花の寄せ植えを買いに行ったのにウツボカズラに一目惚れして買ってしまった。格好良い。

寄せ植え、母が喜んでくれて良かった。

 

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夜ご飯を食べ終わった頃から、身体に電気が走るようなんとも言えない目眩のようなよく分からない感覚に襲われる。このビリっとくる感覚は2ヶ月前くらいから出てきた症状なのだけれど、歩いている時とか立ち上がった時とかに、うっ、となる程度でそこまで困ったことはなかった。が、今回はなんだか様子がいつもと違う。身体を少しでも(指先をほんの僅かにでも)動かすだけで、電撃。歩こうものなら100万ボルト。廊下の途中で崩れ落ちる僕。引き戸すら開けられない。引き戸を開けようとするだけで意識がぶっ飛びそうになる。今の僕は赤ちゃんより弱い。これは入院かもしれないぞ、と100万ボルトをくらいながら、なんとかカバンに本と充電器と財布とその他必要なものを詰め込んで、ヒョウモントカゲモドキのかめちゃんにご飯をあげておく。この間に10回ほど崩れ落ちた僕。さて、救急車タイム突入です。助けて119。

 

 

 

 

ピーポー🚑(搬送中)

 

 

 

 

病院に到着。運ばれながら、振動にすら電撃を感じてうめく僕。症状の説明を必死にするも「何言ってんだろこいつ」みたいな感じであしらわれる。いや、だって、この感覚を説明するのは、むずいぞ? 

「痛みですかね?」と聞かれたので「いや、痛いって感じでもないです」と答える。でも、医者が「今は痛みはありますか?」「動くと痛いですか?」と尋ねてくるので自信が無くなってきて「これ、痛みなんですかね?」と尋ね返す。なんとなく濁される。

「痛み止め飲んで様子を見ましょうか」

分かった。そこまで言うならこれは痛みです。おれの負けだぜ…。

ベッドに移されて3日ぶりの採血。点滴を打たれ、別室で待機することに。移動式ベッドでコロコロ運ばれながら振動にうめく僕。

移動式ベッドから備付ベッドへ移動する際に、座れる? 動ける? と、看護士さんたちに聞かれるので、おれに任せとけよ、という気持ちで「いけます」と言い切り、うっうっ、とうめきながらなんとか移動完了。採血の結果が出るまでここで休んでいてください〜、と言って看護士さんたちは処置室へ戻って行った。

 

 

さて、結果は。

「ちょっと肝臓が悪いですね」

それは先日主治医から聞いております。

あとはやはり異常なしとのこと。ちょうど次の日にCTを撮る予定の病院にえんやこらと担ぎ込まれたので、明日の結果でなんやかんやしましょう! という感じで処置終了。試しに(試しに)痛み止めを飲み、点滴が終わるのを待って帰宅することに。

 

 

ベッドの上で、ぽけーっとビリビリしていると、ひとりの看護士さんが「痛みはどう?」と訪れてくれた。看護士さんがベッド脇にしゃがみ込んで、寝転がっている僕の目線と同じ高さになって、

「わたしもうつ病なんだ」

 

先程、処置室で採血と点滴を僕の腕に施そうとした看護士さんだった。僕の腕には、恥ずかしながら傷痕が数本ある。それを目にしたから、こうして話し掛けに来てくれたのだと思う。

「今の〇〇クリニックの先生はどう?」

と聞かれる。通っている病院についても、症状の聞き取りの最中に抗うつ剤の話になった際に話していた。僕は正直に、

「あまり会話できる感じじゃないです。薬をもらいに行ってるような感じですね」

と答える。

「やっぱり。正直、あそこはあまり評判良くないよ、薬も多いし。〇〇っていうところの先生は話を沢山聞いてくれるし、病院を変えることも考えてみたらいいかも。肝臓の数値が高いのも薬が関係しているかもしれないし、できるだけ薬の少ない病院に変わるのも良いかもしれない。話を聞いてもらうってだけでも気持ちが楽になること、私はけっこうあったよ。大変な時だけど考えてみてね」

自分の通っている病院の評判が悪いことは知っている。ただ、自立支援医療の申請も今の病院で行っており、転院は手続き的にも煩雑になってしまう。それに転院したとして、転院した先が良い病院だとも限らない。リセマラガチャみたいなものだ。だから、転院する労力もなくズルズルと今の病院に通っている。良い病院情報を教えてもらえたことは、今後のためにかなり助かる。

「ありがとうございます」

心からお礼を言う。看護士さんは、微笑みながら、

「たぶん、今、すごくしんどいと思うけどね、大丈夫だよ。…私も何回も死のうと思った。うつ病になった時、子どももいたから家事もしないといけなかったけどできなくて、旦那との関係も悪くなって離婚して、とか、辛いことも沢山あった。本当に何もできなくて、何もできないことが辛くて、とか考えながらスーパーで何も買えずにずっとグルグルしていたこともある。なった人にしか分からない辛さってあるよね。」

 

「ありますよね。僕は、例えば本当に人と会いたくない日、会いたくないと言うか、会えない日っていうのがあって、そういう時は休むようにしてるんですけど、休むことに罪悪感を感じてしまって、それも辛くて。周りに迷惑ばかりかけて、自分何してるんだろう、って。それを説明しても、分かってもらえているのか不安で怖くて、どうしたら良いのか分からないです。」

 

「他人のことなんて考えなくていいんだよ。自分のことを考えたら良い。君はきっと、真面目なんだね。なんとかなるさ、って思って生きてたらいいんだよ。気楽にね。そしたら、本当になんとかなるんだよ。今は辛いと思うけど、でも、生きてたら絶対に大丈夫になる日が来るから。生きててよかった、って私は今、思えてるよ。大丈夫」

付き添いで来て会計やら薬の受け取りやらあれこれしてくれていた母が部屋へ戻ってくる。タクシーが着いたらしい。

 

 

点滴を最後の一滴まで絞り尽くして、看護士さんに車椅子でタクシーまで運んでもらう。看護士さんに心の底から「ありがとうございます」とお礼を言う。なんとかタクシーに乗り、帰路に着く。ゆられゆられ。

そこではたと気付く。あれ、これもしかして「シャンビリ」か?

 

説明しよう!

シャンビリ」とは抗うつ剤離脱症状の中でも有名な症状のひとつである!

「シャンシャン」という耳鳴りと、「ビリビリ」という身体の至る所を電気が走る痺れのような感覚。これらが同時に現れることが多いため、合わせて「シャンビリ」感と呼ばれているのだ!

 

今回の僕のケースは、シャンがなくてビリだけであったこと、ビリのレベルが100万ボルトであったこと、これまでこれほどのシャンビリを経験したことがなかったこと、からそれに思い至らなかったが、そういえば、前日、薬を飲んでいなかった。

シャンビリで救急搬送されたの、僕。ださ…。母の日に母に最大級の迷惑かけて、なにしてんねん。マザーファッカーかよ。おれが最強のマザーファッカーだぜ。お前ら、びびれよ。

タクシーが家の前に着いた。マザーファッカーは、母に縋り付きながらなんとか歩いて帰宅。ビリビリしながら服を着替えて、階段をよじ登り、ベッドにダイブ(実際はじじいの寝転がり方)して、今これを書いています。

 

抗うつ剤飲んでる人たち〜!

シャンビリにはお気を付けを!

そして、お母さんいつもありがとう!

 

では。